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オリジナル連載 (2006年7月31日掲載)

時事新報史

第6回:「官民調和論」とは?(2) 〜「方便」としての社説〜 
 

























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 たとえばここに、創刊から4ヶ月後、日本と清国の間に軍事衝突の危機が生じた、朝鮮での壬午事変(じんごじへん)のときの社説がある。『時事』は、新聞と政府のあるべき関係について、次のように説いている。原文を少し引いてみよう。


「近来は、我が日本の政府と人民との間はいささか不和なるものありといえども、これはただ内政に関して双方に苦情を唱えるまでのことにして、いやしくも外国の事件とあれば、いかなる政府もいかなる民権家も瑣末(さまつ)の論に局促する者はなきはずなれば、政府はすべからく度量を寛大にしてその真意の所在を示し、新聞記者は政府の意をうけこれを内外人の耳目に明告して誤解を防ぐは実に目下の急なるべし。もとより政府の真意を示すとて、出兵の軍機を語るべきにあらず、廟堂(びょうどう)の機密を洩(も)らすべきにあらず。秘すべきものは極めて秘密ならんこと、我輩の深く祈る所なれども、また大に秘するを要せず、かえってこれを明告して利なるものも甚だ多し。しかるに政府が秘密主義とて一も二も皆これを秘して告げざるときは、人民はこの有様(ありよう)をみて政府に疏外(そがい)せらるるものなりと認め、官民正しく同一様の方向に進むべきものまでも、誤って背馳(はいち)するの憂なきを期すべからず。今日の政略において得(とく)たるものにあらざるものなり。」


「新聞記者を疏外することなく勉めてこれを友視して、軍略政策の機密のほか、これを洩らして妨げなきものは懇(ねんご)ろに告知すること、政府の得策ならんと信ず。ただし我輩はただ政府に向かって忠告するのみならず、かかる大切なる時節には新聞記者もよく注意して事の前後を考え、これは我が日本の政略のために不利ならんと認むるものは、みだりに政府のいましめを煩(わずら)わさずして自ら慎むところあらんこと、同業にも告げ我もまた守るところなり。」


 これを読んで、官偏重と思うだろうか。民偏重と読めるだろうか。官民双方の利害得失を説いて、お互いが外政への団結を重視して行動することを求めている。官民調和の姿勢をよく示す社説といえるだろう。しかし、この社説を一部分だけ切り抜けば、全く違う主張になってしまう。たとえば、次のように引用してみたらどうか。


 日清軍事衝突の危機という「大切なる時節には新聞記者もよく注意して事の前後を考え……みだりに政府のいましめを煩わさずして自ら慎むところあらんこと」を福沢が求めた社説である。


 こういう言い方をすれば、大本営発表に通じる国家による情報統制に、新聞が積極的に協力することを福沢が望んでいた、ということも可能だ。しかし全体を読めば、それが全くの読み間違いであることがわかる。このような極端な読み替えはさすがにないだろうが、似たような切り抜きは「福沢研究」に、間々見られる手法である。『時事』の社説は、社説の全体像や、その社説が書かれたときの社会・政治情勢、他紙の動向はもちろん、福沢の状況認識、期待された世論の反応なども含めてよくよく注意して読み解こうとしなければ、福沢の思想とは全く無関係な結論を導く結果となる。


 上に紹介した社説が、硬軟の「軟」の官民調和論だとすれば、「硬」の主張もある。壬午事変から2年後、朝鮮に甲申事変と呼ばれるクーデターが発生し、朝鮮をめぐって日本と清国が開戦寸前の状態にあった明治18年1月の社説に、「御親征の準備如何(いかん)」というものがある。これも少し読んでみていただきたい。


「…我々日本人は本談判〔日本・朝鮮間で甲申事変の処理を定める漢城条約の締結交渉〕の結局を二様に考え、和とならばかくかく、戦とならばかようかようと、あらかじめその処置方を定め置き、時に及んで狼狽(ろうばい)せざるの覚悟なかるべからず。特に我が当局者においてこの覚悟あるべきは贅言(ぜいげん)を要せざる次第にして、今日にもあれ井上大使〔井上馨、朝鮮で談判中であった〕より談判不調との電報来たれば、日支の両国はこれを合図として交戦国となるべきなり。……今日はこれ談判の準備をなすよりもむしろ開戦の準備をなすべきの時なり。開戦の準備とあれば種々様々にして、軍艦兵卒の増発、沿海の戒厳、糧食被服弾薬銃砲の回運など、もとより枚挙するに暇(いとま)あらずといえども、我輩の特に期望(きぼう)するところは御親政の準備、すなわちこれなり。」


「かくて軍事の模様にて、まず在韓の支那兵を追い払い、またその軍艦を打ち沈め、勝ちに乗じて支那国に攻め入るか、あるいはまず敵の気をくじき置き、支那の攻撃は天津氷融の日を待つこととして一時還幸せらるるか、その辺の機宜は当局者の胸算に任せ、時の都合に任せ、とにかくに御親政の一大美事は、軍勢を振るい人気を振るい、日本国民をして国土の重きと王室の尊きとを知らしむるのみならず、欧米諸国これを聞かば我が天皇陛下の叡聖(えいせい)文武にして我が政府群臣の活発果断なるに服し、瞠若(どうじゃく)として驚きまた粛然として畏るることならん。」


 開戦をたきつけるような非常な強硬論で、福沢を「天皇崇拝主義者」とか「アジア侵略主義者」と位置付ける格好の資料とされている社説の一つである。ところが、この社説が掲載されてからまる3か月ほどして、次のような記事が、『時事』雑報欄に載っている。


「◎天皇の御親政 我が時事新報紙上に『御親征の準備』と題したる一篇を掲げたることあり。朝鮮人これを見て、よくもその文意を翫味(がんみ)せず、ただ一概に日本は支那と開戦するにつき日本天皇には御親政ある由と誤解せしが、その後天皇陛下が福岡県へ行幸あらせらるる由を伝聞し、果たせるかな日本天皇は御親政せらるるなり、日支開戦は今日なるか明日なるかとて、その騒擾(そうじょう)一方ならず、遂には朝鮮政府より内々英国政府へわが国は日支両国の開戦に中立すべきにつき保護ありたしと申し送りたるよしなり。然るに天皇陛下の行幸も一時御延引、親王これに代わられたる由を聞かば、日本政府の真意はじめて明らかに朝鮮人に分かりて、必ずさきの狼狽に一笑を催し、朝鮮もまず当分は南顧の患(うれえ)少なきを知ることならんという。この一話は長く朝鮮にありて最近の船便に帰国せし人につき直に聞くところなるが、風声鶴唳(かくれい)もまた国家を軽重することあるを知るべし。」


 つまり、朝鮮では「御親征の準備如何」を文字通り、日本が御親征の準備を開始したと真に受けたことを「風声鶴唳」の典型と伝えているのである。とすると、この社説は、言葉通り「御親征」の実現を願っているというよりも、極端な過激論で日本の対清強硬姿勢をわざと強調することに力点があったと見るべきであろう。最悪のシナリオへの備えを促す日本国内に向けた発言であるとともに、清国側への一種のポーズとして読まれるべきものである。『時事』はこのように、日本国内の諸方面だけでなく、時に朝鮮・清国や、西洋諸国の読者も意識していた形跡がある。(ただし、ことはそれほど単純ではないことも付記しておく。このとき日本側は清国に対して大いに弱みがあり、政府自身では積極的に強硬論を吐けない事情があったことも関係している。また、福沢はこのとき決して平和論者だったわけではなく、日清開戦もやむを得ないと考えていた。)


 福沢研究でも知られる経済学者の小泉信三(こいずみ・しんぞう)は、「硬」の福沢の文章の書き方を、「求めて当たり障(さわ)りの強いことを言い、いわば曲がった弓を矯(た)めるため、常にこれを反対の方向に曲げることを厭(いと)わぬ」(『福沢諭吉』)と表現している。片方にゆがんだ弓の弦をまっすぐにするためには、反対側に大きくゆがめなければならない。それをやれるのは自分しかいないという使命感は、実社会に合わせて様々に表現の姿を変えるが、福沢の生涯の底流に流れ続けた精神であるといえよう。


 そういったわけで、『時事』社説から、過激な言辞や政府偏重的な文言、軍国主義、侵略主義といった今日では否定的に評価される言説を切り抜くことは、実に簡単なことである。それは100年以上前の福沢の言葉をもてあそぶことになるのか、実はもてあそばれているのか…?


 繰り返しになるが、福沢にとって『時事』社説の政治論は、信念を吐く場ではなく、あくまで、時々刻々と変化する世の空気を操る一種の「道具」であった。「官民調和論」が、福沢の多用する言葉でいう「方便」である以上、個別の政治論も、「方便」として読まなければ、フェアでないのである。



資料
・「朝鮮のことについて新聞を論ず」、『時事新報』(明治15年8月19日付)。『全集』8巻にも収録。
・「御親政の準備如何」、『時事新報』(明治18年1月8日付)。『全集』10巻にも収録。
・「天皇の御親政」(雑報記事)、『時事新報』(明治18年4月17日付)。
・小泉信三『福沢諭吉』(岩波書店、昭和41年)、27頁。直接は『学問のすすめ』について述べた部分である。

 
著者プロフィール:都倉武之(とくら・たけゆき)
1979年生まれ。2007年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。 現在、慶應義塾福沢研究センター専任講師。
専攻は近代日本政治史。 主要業績に、「明治十三年・愛知県明大寺村天主教徒自葬事件」『近代日本研究』18号(2002年3月)、『福沢手帖』115号(2002年12月)、「資料 機密探偵報告書」『福沢諭吉年鑑』31巻(2004年12月)、「愛知県におけるキリスト教排撃運動と福沢諭吉」(一)・(二)『東海近代史研究』25・26巻(2004年3月・2005年3月)、「日清戦争軍資醵集運動と福沢諭吉」『戦前日本の政治と市民意識』(慶應義塾大学出版会、2005年)、「福沢諭吉の朝鮮問題」(『福沢諭吉の思想と近代化構想』、慶應義塾大学出版会、2008年)など。

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