このタイトルを見て、「おやっ、誤植では?」と思われた方は、なかなか注意深い。福沢諭吉ではなくて「福沢屋諭吉」? でもこれは誤植ではなくて、紛れもない事実。「福沢屋諭吉」は、明治2(1869)年11月に東京で誕生した。一方、福沢諭吉はそれに先立つこと30余年前、天保5年12月12日(1835年1月10日)に大坂で生まれた。では、その福沢が数え36歳の時に誕生した「福沢屋諭吉」とは、一体……?
実はこの「福沢屋諭吉」とは、福沢の言論・出版活動の中から生まれてきたものなのだが、これに迫る前に、福沢の名前である「諭吉」も書籍との縁が深いので、まずはそのことに触れておこう。
福沢は天保5年の暮に大坂玉江橋北詰中津藩蔵屋敷(現在の大阪市福島区福島1丁目1番地、もと大阪大学病院の敷地)で、中津藩士福沢百助(ひゃくすけ)の二男として生まれた。
その日はたまたま、父百助が長年にわたって所望していた全60数冊にも及ぶ『上諭条例』という書籍を手に入れて大喜びしているところに、男子誕生! 二重の喜びに、『上諭条例』から一字をとって「諭吉」と命名した。このように、福沢はその誕生の時点から書籍との縁が実に深かったわけである。ちなみに『上諭条例』とは、18世紀の清朝乾隆帝(けんりゅうてい)の治世(雍正13年〜乾隆15年)の法令を編年体に記録したものである。百助が購入したこの書物は、長い間その所在が不明であったが、昭和29(1954)年10月に中津の旧藩士の家から福沢家蔵書印のあるものが発見され、現在では慶應義塾が所蔵している。
それでは、福沢諭吉と「福沢屋諭吉」との関係はいかに? それはまた、次回のお楽しみということで……。
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