慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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2017年6月号表紙


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第16──三田評論 2017年6月号

   
 

立科山荘

 
慶應義塾史跡めぐり
 
   
   
 

立科山荘は、長野県北佐久郡立科町、蓼科山の北西の女神湖に近い六万坪弱の広大な敷地に昭和四十八年に開設された。標高一五〇〇m、八ヶ岳中信高原国定公園内に位置し、豊かな自然の中で勉強やスポーツができる校外施設で、五月から十月までの半年間開荘し、夏休み期間を中心に大学や一貫教育校のクラブの合宿や大学のゼミ、また初夏、初秋には、幼稚舎の高原学校などで使用されている。二〇一七年四月現在、山荘全体の建物面積は約六二〇〇u(一九〇〇坪弱)、宿泊定員は約二百名である。


開設時に建設された主な建物は、中央棟、教室棟、宿泊棟(一号棟、二号棟、三号棟)で中央棟の食堂に一部鉄骨造が使われている以外は木造に鋼板(トタン)を張った簡易なつくりの平屋建てであった。その後、昭和五十三年に鉄筋コンクリート造の体育館が建設され、平成六年には木造平屋の宿泊三号棟が鉄筋コンクリート造二階建てに建て替えられた(平成八年に浴室棟を増築)。体育館前のオープンスペースには水回りを備えた東屋が平成九年に設置され、キャンプなどで利用されている。積雪や寒冷などの厳しい気候の影響だけでなく、閉荘期間中は人の手が入らない状態になることから施設の劣化が早く、建設後三十年が過ぎた段階で、大規模な改修が必要となった。平成十八年から数年かけて宿泊一号棟、二号棟を中心に実施した内外装の改修は、建物の延命だけでなく、室内環境改善の効果もあり、利用者から好評であった。


しかし、開設時からの建物は確実に老朽化が進んでおり、今後の課題である。

土地は立科町からの借地で、山荘施設建設に先立ち、昭和三十八年に借地契約を締結し、翌年からグラウンドなどの仮整備が行われたが、その後、山荘建設が開始される昭和四十七年までの約九年間、高村塾長(当時)をはじめ、様々な方々が現地視察に訪れており、この期間に本格的な利用計画について検討が行われていたようである。


山荘付近にはスキー場もあり、建設当初、中央棟にはスキー利用のための乾燥室が設けられるなど、冬季の利用も想定されていたが、実際には冬季に利用されることはなかったようである。詳しい経緯は不明であるが、当地の冬の環境が予想以上に厳しく、施設や運営が対応し切れないとの判断だったのではないか。


立科山荘へのアクセスは、開設当時、鉄道でも自動車でも、かなりの時間を要したが、平成五年に上信越道が開通し、平成九年に長野新幹線(現北陸新幹線)が開業したことで大きく改善された。この広大な自然に囲まれた教育環境は、義塾にとって非常に貴重な財産であり、有効に活用したい。


(管財部部長 繁森 隆)

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バックナンバー
 

 

第16回
立科山荘


2017年6月号掲載

 

第15回
慶應稲荷社


2017年5月号掲載

 

第14回
グローバルラウンジ


2017年4月号掲載

 

第13回
早慶戦百周年記念碑


2017年3月号掲載

 

第12回
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2017年2月号掲載

 

第11回
三田キャンパスの時計


2017年1月号掲載

 

第10回
創想館


2016年11月号掲載

 

第9回
日吉陸上競技場


2016年10月号掲載

 

第8回
塾生皆泳


2016年8・9月合併号掲載

 

 

第7回
慶應義塾外国語学校


2016年7月号掲載

 

 

第6回
慶應の水


2016年6月号掲載

 

 

第5回
『三田評論』


2016年5月号掲載

 

 

第4回
命名SFC


2016年4月号掲載

 

 

第3回
グーテンベルク聖書


2016年3月号掲載

 

 

第2回
北館


2016年2月号掲載

 

 

第1回
南校舎と植栽


2016年1月号掲載

 

 
   
   
 
 
 
     
 
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