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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第11号(2007年4月)
 

 

■ 目次 ■

 

1. 春が待ち遠しいハーバードより
2. 栗原後悔日誌@Harvard
3. 「個人」・「組織」・「社会」
「ヒト」と「組織」と「社会」
組織設計と社会制度設計の重要性
「ヒト」とリーダーシップ
4. 編集後記


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1. 春が待ち遠しいハーバードより

桜の開花時期が気になり、ケンブリッジも春風が恋しくなる季節になりました。先日、暖かさを求めて、ドイツ、ロシア、そしてスロバキア出身の友達と大学近くのパブに琥珀色ジュースと私が呼ぶビールを飲みに行きました。そして嘗てのケーニヒスブルグ(現在、カリーニングラード)がプーチン大統領夫人の故郷ということから再建ムードが高まっていると聞き、その実態を議論しました。大哲学者カントを生んだ琥珀の産地も訪れる人の少ない街になってしまったかと思うと寂しく思います。私は、自らは生まれる時と場所を選択できないことを改めて痛感すると同時に、平和と繁栄に満ちた日本に生まれた幸運に感謝しております。こうして、春の到来を待つケンブリッジより、高い「志」を抱く有能な若人の方々へのメッセージをお送り致します。  

2. 栗原後悔日誌@Harvard


米国は大統領選挙を来年に控え、早くも前哨戦が始まりました。また大西洋の向こうではフランスの大統領選挙が4月末に迫っております。翻って日本も安倍政権のリーダーシップについて皆様ご承知の通り様々な議論が交わされております。米大統領選に関し、民主党のヒラリー女史や共和党のジュリアーニ氏に対する専門家やジャーナリストの意見を聞いていますと、様々な観点から批判されるリーダーは本当に大変だと痛感します。小誌1月号で、ジョセフ・ナイ教授によるリーダーに関する論文をご紹介しましたが、リーダーは、フォロアー達から期待され、尊敬される幸運だけに恵まれる訳ではありません。或る時には理由も無く盲目的に崇拝されるという半面、また或る時には冷淡に見捨てられるという厳しい運命が常に待ち受けています。

リーダーは、弱い存在の人間であるが故に完全無比でないにもかかわらず、その高い地位と重い責任故に完全無比を要求される厳しい現実に耐えなくてはなりません。これに関して、カントは「最高の権威者は地位にふさわしい形での完璧な存在であるべきたが、それはまた完璧であるはずのない人間でなければならない。従って、この課題は人類におけるあらゆる課題の中で最も困難なことであり、完璧に解決することは不可能である。人類は曲がった木で造られている。その曲がった木から真っ直ぐなものを作ることは出来ない(Das höchste Oberhaupt soll aber gerecht für sich selbst und doch ein Mensch sein. Diese Aufgabe ist daher die schwerste unter allen; ja ihre vollkommene Auflösung ist unmöglich; aus so krummem Holze, als woraus der Mensch gemacht ist, kann nichts ganz Gerades gezimmert werden.)」と、小論『世界市民的見地における普遍史の理念(Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht)』の中で述べています。私自身は欠点だらけの弱い人間であることを毎日実感していますので、究極の真実を悟った「かのように」、カントを頻繁に引用し、「曲がった木から造られた」ことに関しては開き直った感があります。そして忘れた頃になって初めて、「これでは駄目だ」と自らを叱咤激励しています。

2ヵ月前の1月下旬、世界最大の海軍基地が在るヴァージニア州ノーフォークを訪れました。ここはマッカーサー元帥が埋葬されている街でもあるため、同元帥の博物館が在り、私は同博物館と共に、港に繋留されている退役戦艦「ウィスコンシン」を訪れました。博物館では占領軍司令官時代の記念品が展示されており、そのなかには東條英機首相が自殺を図った短銃と摘出された銃弾もありました。その銃弾のあまりの小ささ、それとは対照的に全長270mの戦艦「ウィスコンシン」のあまりの巨大さが私のノーフォークにおける記憶として今尚鮮明に残っています。そして私は戦艦「大和」を凌ぐ長さを持ち、硫黄島の戦いの際に艦砲射撃を行った戦艦の側に立ちながら約60年前、日米両国は敗戦国と戦勝国という対極の立場にあったことを痛感しました。と同時に「あの戦争中に生きていたとしたら…」と当時の世界に投げ込まれた人々の運命を思うと、私達は生まれた時と場所を選択することが不可能であり、「運」の果たす役割の大きさを改めて認識させられた次第です。

近年、世界各地を訪れ、自らを「空飛ぶ修行僧(flying monk)」と呼ぶ私はほとんどの新作映画を機上で観ています。しかし2月初旬、多くの友人が或る映画のコメントを執拗に求めるので、私は独りでケンブリッジの映画館に行きました。ご想像がつくと思いますが『硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima)』です。ご覧になった方が多いと思いますので映画自体の解説・批評は控えさせて頂きます。映画館では日本人は私ただ独り。映画の途中から「この映画が終った後、どのような形で周囲の米国の人々と会わせれば良いか」という不安がよぎりました。そうしたなか私は映画を観つつ、1927年の夏、本学を訪れた経験を持つ司令官の栗林忠通帝国陸軍中将に関して、私のおぼろげな記憶をたどると共に、栗林中将の(1)「個人」としての魅力、(2)軍隊という「組織」のリーダーとしての責務、そして、(3)昭和日本という「社会」に生まれた一日本人としての運命を考えておりました。


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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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