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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第11号(2007年4月)
 

 

■ 目次 ■

 

4. 編集後記


「栗原後悔日誌@Harvard」4月号の本文は以上です。1931年、栗林中将はオタワに駐在武官として赴任されましたが、私も2000年1月、オタワに出張した経験があります。オタワに到着した日、気温が零下34度で、車から降りて建物に入る際、横殴りの風が吹いた時には不甲斐なくも思わず叫び声を上げてしまいました。オタワでの寒さも硫黄島での熱さも黙々と耐えられた栗林中将を思うと、今更後悔しても仕方がありませんが急に恥かしくなった次第です。さて、小誌2月号で、西郷隆盛が、「此(これ)からは、武術許(ばか)りでは行けぬ、學問が必要だ。(しかも)學問は生きた學問でなくてはならぬ」と述べ、1869(明治2)年、5人の有能な若者を陽明学者の春日潜庵の下に遊学させた話を書きました。読者のなかにその若者の子孫を親戚として持たれる方がいらっしゃり、驚くと共に嬉しくなりました。その方によると、有能な若者のご子息は、大正時代に16歳で単身日本を飛び出して米国に渡られました。その方は武術の達人であったことから、サンフランシスコ警察の武道師範になりました。そして戦争中、サンフランシスコ警察が保護してくれたお蔭で、自由行動を許されたイェール大学の朝河貫一教授と同じように強制収容所へ送られずに過ごされたそうです。昨年12月10日の世界剣道選手権大会で、日本団体男子は準決勝で米国に敗退しましたが、米国が剣道で強くなったのは、隆盛が生んだ文武両道を貴ぶ「知的サムライ集団」のお蔭かも知れないと想像力を逞しくしております。

以上


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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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