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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第11号(2007年4月)
 

 

■ 目次 ■

 

3. 「個人」・「組織」・「社会」

こうして今月のテーマは「個人」・「組織」・「社会」です。先取りして結論を申し上げます。我々は生まれる時と場所を選択できない。この意味で「運」の果たす役割は大きい。しかしながら我々は、@「個人」として、A学校や会社等の「組織」の一員として、B地元の地域や日本全体等、更には宇宙船地球号の「社会」の一員として、逆境を生き抜き、幸運を呼び寄せる努力はできる。ただ、個々の「個人」や「組織」がいくら努力しても、その努力を反映させるシステム・制度が無ければ「組織」や「社会」は全体として必ずしも良くならないことも事実である。こう考えると、「組織」の設計と「社会」の制度設計が重要であることが分かる。加えて時代に適合させる形で、グローバル化が進展するなか、「組織」や「社会」の設計変更がますます重要な課題として浮かび上がってくる。「組織」や「社会」の設計変更は、「ヒト」の存在が重要で、「志」の高い「ヒト」がリーダーシップを発揮して行動しなければ実現できない。グローバル時代の日本において、我々は、この「個人」・「組織」・「社会」、それぞれの関わりを十分認識した上で、各々の能力に従い「より良き日本」を探りつつ、どんな小さなことでも良いから具体的に勇気をもって自らの本分を遂行するべきである。以上が今月の話題です。  

「ヒト」と「組織」と「社会」


話を栗林中将に戻しますと、この帝国陸軍軍人が、1927年、駐在武官として赴任した米国から日本に残した未だ字の読めない幼い息子宛てに本学の景色を含む絵入りの手紙を送ったことをご存知の方も多いと思います。こうして栗林中将は職業軍人の常として家を長期間留守にしましたが、父親としての務めをできるだけまっとうしようと心がけた良き家族の一員でした。同時に栗林中将は帝国陸軍という「組織」のなかで超一流の経歴を持っていました。ご存知の方も多いと思いますので詳述は避けますが、栗林中将は在ワシントン日本大使館と在オタワ日本公使館の駐在武官として海外生活を体験し、米国から日本への帰路の際、英仏独を通ってシベリア鉄道で帰国しております。こう考えますと彼我の国力の違いを理解した上で、栗林中将が対米戦争回避の考えに傾いたことは想像に難くありません。しかし、一旦戦争が始まると、国のため責任あるリーダーとして活躍します。一部の人々は栗林中将が国際派であるが故に合理的で、このため敵を最も苦しめた冷静な作戦を指揮したと考えておられるかも知れません。が、私はそうは考えておりません。私は、栗林中将が国際派・知米派だから合理的になったのではなく、生来、合理的に考える「ヒト」だった上に、海外経験を通じて正確な情報を得て、国力に関する彼我の違いという過酷な現実も知っていたが故に徹底的に合理的な対米作戦を採ったと理解しております。

海外経験無しでも合理的であることは可能ですし、私は『孫子』を熟知していれば、対米戦回避の判断はできると思っています。例えば、「用兵の法、十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、… 少なければ則ちよくこれを逃れ、若(し)かざれば則ちよくこれを避く。故に小敵の堅(ケン)は大敵の禽(キン)なり(その意味は、戦争は原則として、軍隊規模の差が10対1で我々に有利なら敵を包囲し、5対1なら攻撃し、… もし敵より我が軍が少なければ退却し、かなう敵でなければ避けて隠れる。従って少数の軍隊はたとえ勇猛であっても結局は多数の軍隊の虜となってしまう)」を理解していれば、海外経験が無くても、栗林中将の対米戦に関する判断も納得できます。また『孫子』の「以(もっ)て戦うべきと以て戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識(し)る者は勝つ。上下の欲を同じくする者は勝つ。虞(グ)をもって不虞を待つ者は勝つ(勝利を得る者とは、戦うべき時と戦ってはならない時を知る者、大規模の軍隊と小規模の軍隊の扱い方を知る者、将兵間の意思疎通ができている者、計略を立てて、その計略に気付いていない敵を待つ者である)」を理解していれば、栗林中将が立案した硫黄島での合理的な作戦は頷けます。こう考えますと圧倒的な物量で勝る米軍に直面して、いくら絶望の淵に追い込まれたからとしても、「バンザイ突撃」に走ることは自軍の損失をいたずらに早めるという点で、軍人としてのプロフェッショナル精神を欠くものです。翻って栗林中将は、「一日でも長く硫黄島を持ちこたえさせる」という目的を、合理的かつ冷徹に追求した一流のプロフェッショナルでした。それが故に、敵である米国の軍人は、栗林中将のプロフェッショナリズムに戦慄すると同時に賞賛を惜しまなかったのでしょう。

しかし、栗林中将は守備隊である小笠原兵団長という一つの「組織」のリーダーでしかありませんでした。より大きな「組織」である帝国陸軍及び帝国海軍、すなわち、大本営は、硫黄島を守る栗林中将の小さな「組織」には、わずかの特攻隊を除いて、映画にも出てきますが、何の増援も、また何の援護も与えません。こう考えますと、硫黄島は、テニアン島やペリリュー島等と同様、「奮戦すれども援軍来ず」のなか、多くの勇敢な日本の将兵が飢えのなかで消えていった一つの小さな島でした。そしてその悲しい歴史は、文集『きけわだつみのこえ』の中にも、短歌「硫黄島雨にけぶりて静かなり、昨日の砲爆夢にあるらし」、「爆音を壕中にして歌つくる、あはれ吾が春今つきんとす」として、22歳で亡くなられた東京帝国大学の学徒によって刻まれています。このたび、ハリウッド制作の映画『硫黄島からの手紙』によって、ここケンブリッジで栗林中将の話をするとその名をすぐ認識してくれる人が随分増えたことに深い感慨を覚えます――私がケンブリッジで初めて硫黄島における栗林中将等の孤軍奮闘を語ったのは14年前でしたが、私の力不足から、当時はほとんどの人が関心を持って下さいませんでした。今はこのハリウッド映画のお蔭で多くの友人達と硫黄島を絡めて国際関係論等様々な議論が可能となりました。彼等との議論の中で特に興味深かったのは「硫黄島における日本の奮戦は注目に値する。島嶼防衛戦において米軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦闘であったことも見事である。しかし、翻ってみれば、硫黄島の戦闘が日本軍の損害が米軍の損失より少なかった『唯一』の戦いであり、しかも硫黄島ですら最終的には米国側の勝利に終った戦闘であったことを忘れてはならない」という見解でした。こうして、個々の「ヒト」や「組織」がいくら奮闘したとしても、また個々の「戦い」でいくら奮戦したとしても、総体としての「組織」や「社会」や総体としての「戦争」で勝たなければ、結局は敗戦国になる、という厳然たる事実を私達は認めなくてはなりません。従って私達は、太平洋戦争時、果たして日本は(1)栗林中将のような敵も認めるプロフェッショナリズムを秘めた「ヒト」が少なかったのか? それとも(2)優れた「ヒト」は多くいたが、帝国陸海軍全体としての「組織」が優れていなかったのか? 或いは(3)軍という「組織」は優れていたが、国全体を率いる日本の政治、或いはそれを包含する日本の「社会」に問題があったのか? 以上3つの点について考えてみる必要がありましょう。

(1)については小誌昨年10月号で触れたように、帝国海軍が誇る知将高木惣吉が、安達二十三帝国陸軍中将のような優れた将官が多くいたことを記しております。しかしながら、インパール作戦では、不十分な装備と物資で作戦を展開して優秀な将兵をいたずらに多く失いましたが、そうした事態に及んだ時ですら、「日本は神州だ」などと妄言を吐く愚かな司令官がいたことも事実です。対米戦争に突入する時の東條首相の側近で、2年の駐米経験を持つ佐藤賢了陸軍中将 は、戦後著した『東條英機と太平洋戦争』の中で次のように述べています―「米国の戦意喪失を待つ以外、戦争終末の見通しは頗る暗かったのに、なぜ戦争をしたか。無謀か、無知か、慢心か。経済封鎖を受けて海軍はやがて足腰立たなくなるとはいえ、国民生活が維持出来、俄に餓死するわけではなかった。海軍も陸軍も軍備は国家を守る番犬なのに、番犬のため国運を賭して戦争をしたのは全く話が逆ではないか。結果からいえばまさにその通りである」、と。従って(2)について考えますと、帝国陸海軍という「組織」は、戦況挽回のために「組織」内の無能な指揮官を速やかに更迭し、より効率的な人的・物的資源配分を行うというシステムを持たなかった上に、「組織」外の日本全体という「社会」を壊滅的危機に陥らせたと、私は素人的な判断をしております。

では(3)「社会」はどうでしょう。これに関して、戦中・戦後を通じて第一線で活躍された外交官、加瀬俊一氏が著した『日米交渉』の一節は意味深長です―「近衛首相も野村大使も善意の人だった。だが、善意だけでは外交は運用できぬのである。しかし、近衛・野村の責任を問うよりも、むしろ、日本の国情に禍根があった、というべきであろう」、と。また日米開戦時の東條首相に関しては、「実は、首相になるほどの器量人ではなかった。几帳面な努力家であって、… いわば主計将校型の真面目一方の人物だ。それに憲兵出身だったから、統制の手腕はあったが、どこか偏狭であって、世界の大勢に暗かった」、と。こう考えますと善意の「ヒト」である近衛秀麿首相や野村吉三郎駐米大使、そして努力家で真面目であるが、スイスやドイツでの駐在武官の経験が有ったにもかかわらず国際情勢に暗い東條首相に対して、「個人」としてすべての責任を問う訳にはいかないのであれば、私達は、日本が将来壊滅的な国際戦略上の過ちを二度と起こさないよう、前述の(2)の「組織」レベルの防止策、更には(3)「社会」レベルの防止策を真剣に考えなければなりません。

こうして、(1)「個人」、(2)特定の目的を達成するために「個人」が参加する会社・官庁・政党・学校等の「組織」、そして(3)様々な「組織」が多層的に絡み合った「社会」が総体として、如何なる形で政治経済社会的な環境に的確に対応すべきなのかを考えてみる必要があります。誤解の無いように申し上げますが、私はここで、「個人」、「組織」、そして「社会」の役割と責任を、戦争のような問題だけに限定して考えようとは思ってはいません。現在、日本は、国内においては少子高齢化のなか、教育問題、経済問題、更には外交問題と、課題は山積しています。こうしたなか、私達は、効率的な資源配分をしてグローバル時代を生き抜く「組織」設計と「社会」の制度設計を考えなくてはなりません。


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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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