三田キャンパス図書館旧館は、耐震補強と内外装の老朽化に対応するための改修工事の準備に入り、この一月正面入口脇にある福澤諭吉胸像も撤去された。工事期間中は三田演説館前に移設される。
この「福澤像」が三田キャンパスに姿を現したのは、昭和二十九年一月十日、福澤先生の一二〇回目の誕生日のこと。場所は図書館前ではなく、現在の研究室棟のところに建っていた三田第一研究室前庭で、建築家・谷口吉郎の選定で設置されている。
胸像(ブロンズ像)の制作者は普通部出身の柴田佳石(本名福四郎)。「長崎平和祈念像」の作者として知られる北村西望に彫塑を学び、昭和二十六年、日本陶彫会の発足時の会員となった。福澤桃介などの義塾関係者の胸像や、岐阜公園内にある「板垣退助像」も制作している。
福澤先生歿後五十年を経て、先生の面影を知る者が少なくなったことで、三田山上に像を据えようという運動がおこり、資金を募集したところ、たちまち寄付が集まったという。除幕式の挨拶で銅像建設委員の一人だった高橋誠一郎は、「三田の大講堂の壇上正面に掲げられて聴衆を見おろしておられた和田英作氏画く先生の画像も戦争の劫火に焼け失せてしまった今日、(中略)これ〔銅像〕を塾内の好適な場所に建設して、日々学生諸君の仰ぐにまかせることもまた有意義ではあるまいかと考えた」と述べている。
胸像背面銘文には「独立自尊 一九五三佳石謹作」とある。この胸像は昭和四十二年、研究室棟建て替えのため撤去され、その後、学生運動の混乱等もあり、長らく義塾の倉庫に収められていたが、昭和五十八年九月、福澤研究センター設立を機に、図書館旧館正面玄関左側に移設されることとなった。
実はこの胸像、三田にお目見えする一年前に交詢社内に設置された福澤像と同じ塑像から成っている。柴田は福澤先生四女の志立タキ、四男大四郎、『時事新報』の風刺漫画で知られる北澤楽天らの助言を受け、一年余りをかけて交詢社内の像を完成。出来栄えは見事で評判がよく、また是非屋外の光線のもとにこの像を、ということになり、原型からもう一基つくり、翌年の三田設置となった。
義塾には現在、ほかに志木高等学校正面玄関にある大熊氏広制作の福澤諭吉座像、信濃町キャンパス大学病院中央棟玄関ロビーにある胸像(紫原佳石作)、日吉キャンパス図書館前の胸像(山名常人作)、湘南藤沢キャンパスメディアセンター脇の胸像(山名常人作)があり、また幼稚舎自尊館ロビーには本郷新制作によるレリーフによる胸像がある。
三田の胸像はしばらく稲荷山から塾生を見守ることになる。 (編集部)
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