グーテンベルク聖書は一四五五年頃にドイツ・マインツの金細工師ヨハネス・グーテンベルクが世界で初めて活版印刷技術を用いて刊行した聖書である。活版印刷の試行錯誤を繰り返していたグーテンベルクは、ヨハン・フストの経済的支援を受けて、聖ヒエロニムスがギリシャ語からラテン語に訳した『ウルガータ聖書』を本文として選び、ほとんどのページを四十二行で印刷した。このことから『四十二行聖書』とも呼ばれている。用紙には羊皮紙または紙が用いられ、一八〇部ほど制作されたと考えられているが、不完全なものも含め、現存が確認されているのは四十八部のみである。
慶應義塾図書館はアジアで唯一、紙に印刷された上巻一冊を所蔵している。グーテンベルク聖書は、本文の印刷後、未製本のままヨーロッパ各地に送られ、装飾師によって朱書きや彩飾が施された上で趣向を凝らした製本が行われた。そのため一つとして同じものがなく、義塾図書館所蔵本(以下、「慶應本」)にも個性豊かな特徴がある。主な点を紹介しよう。
まず冒頭を見ると、二色で印刷された四十行組みのページに気づく。これは四十二行とする前に、四十行で印刷を試みたページと言われている。表紙は空押し模様が施された革装丁で、表表紙、裏表紙とも五つの金具がついている。さらに小口にある丸い小さな革ボタンは、聖書の各書冒頭を示す見出しで、現存するグーテンベルク聖書の中で慶應本だけに見られる特徴である。なお、マインツで印刷、装飾、製本された三部の現存本の一つであることも特筆すべき点である。
慶應本は、十五世紀から十八世紀まではマインツの修道院に保存されていたと考えられているが、十九世紀中頃には、イギリスのゴスフォード伯爵(一八〇六―一八六四)の所蔵であったことが判明している。その後、幾人かの蔵書家や古書業者の手を経て、一九五〇年に初めて大西洋を渡り、アメリカ・カリフォルニアの石油王として知られるエドワード・ロレンス・ドヒニーの未亡人エステラ(一八七五―一九五八)の蔵書となった。
夫人は自ら設立した神学校の図書館に収蔵したが、一九八七年に夫人のコレクションが競売にかけられると、その一部であった慶應本は丸善株式会社(当時)により印刷本の価格としては当時の世界最高額で落札され、一九九六年に慶應義塾が購入した。
義塾ではこれを機にHUMIプロジェクト(一九九六〜二〇〇一)が開始され、慶應本をはじめ多くの貴重書がデジタル化された。慶應本は現在まで連綿と続く義塾の貴重書デジタル化の先駆けとなり、義塾のデジタル人文学研究を象徴する書物といえよう。(三田メディアセンター 倉持 隆)
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