慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

慶應義塾の風景
三田評論表紙
2018年6月号表紙


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2018年5月号のご案内

◆特集

慶應4年──義塾命名150年

本年は明治150年ということで、大河ドラマを始め注目を集めていますが、慶應義塾にとって重要なのは、「慶應4年」という年号です。明治改元前の4月、慶應義塾は芝新銭座に移転、それまで福澤塾などと呼ばれていた塾を「慶應義塾」と命名します。そして5月、有名なウェーランド経済書講述が上野での戦闘の最中行われるのです。慶應義塾にとってもまた福澤諭吉にとっても大変重要な「慶應4年」という年に焦点を当てた特集です。

 
〈座談会〉
慶應4年の福澤諭吉
 
芳賀 徹(東京大学名誉教授)
先崎彰容(日本大学危機管理学部教授)
西澤直子(慶應義塾福澤研究センター教授)
小室正紀(慶應義塾大学名誉教授)
 
〈関連記事〉

塾歌に歌われた慶應4年
山内慶太(慶應義塾大学看護医療学部教授)

 

昭和20年の「ウェーランド」
都倉武之(慶應義塾福澤研究センター准教授)

 

『蘭学事始』と福澤諭吉
──その出会いがもたらしたもの
大久保忠宗(慶應義塾普通部教諭)

 
 
◆その他の企画
<話題の人
スポーツ医学への貢献で国際陸連功労章を受章
   
山澤文裕さん 山澤文裕さん
(日本陸上競技連盟理事、医事委員長・塾員)
 
インタビュアー
石田浩之(慶應義塾大学スポーツ医学研究センター准教授)
   
スポーツの国際大会の現場では数多くのスタッフが大会運営に尽力しています。その中でも病気やケガなどに対応する医事、そして選手のアンチ・ドーピングに長年関わってこられた山澤さんは、まさにこの分野のスペシャリストです。東京2020を控え、慶應義塾も様々な分野で関わりを持つ中、スポーツ医学の重要性に気付かされるインタビューです。
   
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<三人閑談>
折り紙の愉しみ

橋本大二郎(テレビ朝日キャスター・塾員)
山口榮一(玉川大学名誉教授・塾員)
バンマンサム、ルーベン(慶應義塾大学国際連携推進室専門員)


日本独自の文化と言われる折り紙。単に作品を作る楽しみだけでなく、世代をつなぐコミュニケーションツールとして、また算数に親しむ教材としても活用されています。正方形が生み出すさまざまなかたちの魅力について、実際に折り紙を手にしながらのおしゃべりが大いに弾みました。
 
<平成29年度大学卒業式>
 塾長式辞
長谷山 彰
   

<連載>
 福澤諭吉をめぐる人々 その24 荘田平五郎
白井敦子
 写真に見る戦後の義塾27
第1校舎での卒業51年以上塾員招待会
富山優一
 義塾を訪れた外国人第25回 ボノ(U2)

国分良成


 
<その他>
 丘の上 

厚川隆雄、近森 正、壬生基博

 塾員クロスロード

甘竹秀企、加藤史子

 Researcher's Eye

酒井規史、琴坂将広、山尾佐智子

 執筆ノート

『いのちへのまなざし──熊谷守一評伝』
福井淳子

『西洋都市社会史──ドイツ・ヨーロッパ温故知新の旅』
斯波照雄

『「東洋」哲学の根本問題──あるいは井筒俊彦』
斎藤慶典



 社中交歓(国語辞典)

金 文京、廣瀬則仁、永井紗耶子、木村義之

<演説館>
 ジョージアとはどんな国か
ダヴィド・ゴギナシュヴィリ
   

<平成30年度収支予算と義塾財政>
橋郁夫
   

<慶應義塾第35期卒業生評議員選挙公告>
   
<KEIO Report>
2つの国際学生寮の開設
──元住吉国際学生寮・綱島SST国際学生寮
尾崎友博
   
<追想>
 学問を通じた人間教育──平野絢子先生を偲ぶ 駒形哲哉
 大谷愛人先生を偲ぶ 谷 寿美
    

前号紹介

三田評論2018年5月号表紙

 

寸描 2018年5月号について

中等部で書道を担当された書の大家で漢学者でもあられた宮島貞亮先生は、「義塾」の意味についてわれわれ生徒に丁寧な説明をされたことがあった。義塾という二字はいまや慶應義塾だけのものではないが、といって広く行き渡った名称でもない。塾という語は、小学生にもわかるが、義塾となると理解はそう容易ではない。先生の講話の印象深いところは、「義」という語が元来は無償の奉仕を意味するということであった。言いかえれば、相手からの金銭的見返りを期待しない相手への貢献、ということになろう。このようなことが近代以降の社会のなかで容易に実現し難いことは、自明といっても過言ではない。それをあえて名称のなかに残す精神というか気風、そして勇気は、じつに尊いものと考えねばならない。いかに規模が大きくなり、多様性が増した現代の慶應義塾とは言え、「義塾」であることにいささかの変更もないと思量したい。

飯田裕康

 

 

 
 
 

 

 
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