中等部で書道を担当された書の大家で漢学者でもあられた宮島貞亮先生は、「義塾」の意味についてわれわれ生徒に丁寧な説明をされたことがあった。義塾という二字はいまや慶應義塾だけのものではないが、といって広く行き渡った名称でもない。塾という語は、小学生にもわかるが、義塾となると理解はそう容易ではない。先生の講話の印象深いところは、「義」という語が元来は無償の奉仕を意味するということであった。言いかえれば、相手からの金銭的見返りを期待しない相手への貢献、ということになろう。このようなことが近代以降の社会のなかで容易に実現し難いことは、自明といっても過言ではない。それをあえて名称のなかに残す精神というか気風、そして勇気は、じつに尊いものと考えねばならない。いかに規模が大きくなり、多様性が増した現代の慶應義塾とは言え、「義塾」であることにいささかの変更もないと思量したい。