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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第10号(2007年3月)
 

 

■ 目次 ■

 

憧れと無関心を超えて

 中国の台頭や原油価格高騰によるロシアの復活を巡って、国際間の制度調整が重要な問題となっております。また環境問題に関して白熱する米欧間での主導権争いを考えますと、日本は欧州との協調・協力体制を見直し、再編・強化する時期が到来したと言えましょう。こうして私達は従来の憧れに加え、@現実主義に基づく正確で最新の欧州情勢判断、Aその判断に基づく日本及び欧州諸国の国益の認識、B適切な国益の認識に基づく戦略的行動が必要となってきたと思います。小誌前号でも申し上げましたが、世界の状況は刻々と変化しております。冒頭で触れたレストンラン「コム・シェ・ソワ」の味も例外ではありません。27年間にわたって、『ミシュラン』から三ツ星の栄冠を享受していたこのレストランも、昨年11月末、三ツ星から二ツ星に降格となり、その驚きは大西洋を越えてここケンブリッジにも到達しました。こう考えますと、長い歴史を持つ欧州も「古い顔」と「新しい顔」の2つを持っているが故に、私達は最新情報に注意する必要が有ります。

 知的対話とは言わば情報のキャッチボールです。従って私達同様、欧州も19世紀的視点から観れば至極もっともな「欧米至上主義」を捨て、誠意ある態度で臨んで頂かなくてはなりません。確かに近世以降、飛躍的に経済発展を遂げた欧米の社会システムから学ぶ余地は依然として大きいと私は思っています。しかし、大学者E・H・カーが『歴史とは何か(What is History?)』の中で、欧米を「世界史の中心として取扱い、他をすべてその周辺として取扱う」見方に対し警告している通り、互いに対等の立場で知的対話をする必要があります。従って、欧州の持つ情報の受発信能力について盲目的に信用することは厳禁です。むしろ彼等の意見を注意して聞きつつ、彼等に対して修正すべき点が有るならそれを堂々と主張すべきだと思います。こうして日本と欧州、双方が息を合わせ、「すれ違い」を無くす努力をしてゆくべきだと私は考えます。

 The Gazette一昨年5月号でも触れましたが、政治経済分野で米国に対してライバル意識を剥き出しにするフランスの方々は、ほとばしる愛国心からか、米国の情勢に関して、感情が邪魔をし過ぎて冷静な判断ができなくなっている場合も少なくありません。この意味でフランスは、関心の低い我が国に対してだけでなく、最も関心の高い相手国、米国に対しても「すれ違い」の危険を内包している国と言えましょう。先日、或る本校教授が、昨年亡くなられたフランスの高名なジャーナリストで政治家でもあったジャン=ジャック・セルヴァン=シュレベール氏と約25年前に議論した経験を語って下さいました。セルヴァン=シュレベール氏は、1967年に 『米国の挑戦(Le defi americain)』を、1980年に『世界の挑戦(Le defi mondial)』を著して世界的に注目された方ですが、米国に対しては余りにも先入観が強く、米国のエコノミストがどんなに冷静に語りかけても頑として意見を変えなかったそうです。こうした「無関心」と「すれ違い」という課題を抱えているものの、愛すべきフランスの人々に私が同情する点は、次第に弱まる彼等の発言力と注目度です。台頭する中国に関して、小誌昨年11月号で、中国改革フォーラムの鄭必堅理事長の言葉「中国の平和的台頭(中国和平※起/China’s Peaceful Rise)」に触れました。2003年11月にこの言葉に注目した一部の専門家を除き、多くの人々は、鄭理事長が米国『フォーリン・アフェアーズ』誌2005年9/10月号に発表した小論を巡って議論を始めました。しかし、2003年11月の博※(ボアオ)アジア・フォーラムでの鄭理事長の講演と翌12月のハーバード大学における温家宝首相の講演に関する報道を除けば、主要紙としてこの「平和的台頭」を簡単に紹介したのは、2004年2月の英国『ザ・タイムズ』紙、3月末の米『ニューヨーク・タイムズ』紙でありました。ところが、フランスの『ル・フィガロ』紙は、最も早い時期、すなわち、『フォーリン・アフェアーズ』誌よりずっと早い時期(2004年3月20日)に、鄭理事長ご自身の意見を翻訳し、同紙に掲載しています。こう考えますと、たとえ真っ先に発信された詳細情報であっても、政治経済分野で国際共通語(the lingua franca)の地位を失ったフランス語で表記された情報ならば人々は注目しないと私自身驚いております。約百年前の1905年、日露戦争終結を約したポーツマス条約では、英語よりも優先されたフランス語も21世紀を迎えてその美しい言葉がその魅力を十分発揮できる分野は、美味しいお料理とワイン、そしてフランスの哲学及び芸術だけかと、フランス寄りのコスモポリタンである私としては少し寂しく感じております。

 昨年末、イスラエルに向うフライトの中で隣合わせた同国のビジネスマンは、「欧米人は理解できるが、極東の人は理解し難い」と語りました。その一方で、私の講演会に参加した同国のビジネスマンのなかには、「結局は同じ人間だ」と仰って下さった方が多くいました。3時間にわたる細かい統計や日本の制度の解説を終え、講演の最後の時間に、私はユダヤ教・キリスト教で言及される『ベン・シラの知恵(The Wisdom of Ben Sira)』の英訳版から共感する箇所を示して語りました。そして聴衆の頷く顔を見つつ、私は人種・国籍・宗教にかかわらず、「志」を共有できる「ヒト」が必ずいることを確認できたような気がします。従って、互いに共通する価値観を確認すると同時に異なる価値観の存在を認め、互いに尊敬し合う精神を築きあげて知的対話の姿勢を堅持することこそが、将来の世代に対する私の責任であると感じた次第です。



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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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