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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第10号(2007年3月)
 

 

■ 目次 ■

 

「不思議な片思い」の関係

 「知」と「血」が交錯した歴史を持つ欧州ですが、日本は欧州から多くを学び、時として欧州は日本の憧れの対象となりました。そして現在もその憧れは続いていると考えます。明治日本の近代化は欧州の「知」無しでは実現不可能でしたでしょうし、また日英同盟抜きではロシア帝国の南下政策は阻止できず、我が国は一層の「大量出血」を余儀無くされたかも知れません。そして平和と繁栄を享受する現在、私達の日常生活は欧州ブランド製品に溢れてかえっています。とは言え、私自身はブランド品を身に付ける資格も容姿も持ち合わせておりませんので、裕福で容姿端麗な皆様に欧州ブランドの評価はお任せしたいと思っています。ただ「食いしん坊」の私は友人と共に、「『フォートナム・アンド・メイソン』の紅茶と食材はやはりロンドンの本店で買わないとだめだ!」と訳の分からないことを語り合っています。さて私が初めて欧州に憧れを感じたのは小学生低学年の頃でした。1966年、サッカーのワールドカップ・ロンドン大会でイングランドが優勝した時に、丁度ロンドンに出張していた父親が街中で騒ぐ人々と一緒に楽しいひと時を過ごしたことを後年語ってくれた時からです。また、1971年来日の英国サッカー・チームのトッテナム・ホットスパーの強さに愕然とし、部屋の壁にはドイツ・サッカーの「皇帝」ベッケンバウアーとビートルズの写真を貼っておりました。そして今では想像もできない位に純真な少年時代、上田敏の『海潮音』を読み、強烈な知的衝撃を受けて欧州文学を読み始めました。

 日本の知識人が抱いた憧れを表すものの一つに、民間外交を推進した昭和の政治家、鶴見祐輔が翻訳した『プルターク英雄伝』があります。昭和日本が戦争という暗いトンネルに入りつつある1934(昭和9)年、この訳者は「序」の中で次のように語ります?「このプルターク英雄伝を読む人が、一様に感ずるであろうことは、古代ギリシアと、古代ローマの英雄や哲人たちが、日本の過去の偉人や天才たちと、多くの点において似通っているということである。それは西洋文明の淵源とせられるこれら二大国の国民性と徳操とが、日本のそれと似ているからである」、と。またこの訳者は、ボストン郊外のコンコードに住み、「コンコードの哲人(the Sage of Concord)」と呼ばれた本学出身のエマーソンにも言及しています。そして、訳出4年後の昭和13年には長男の俊輔をコンコードの高校に入学させ、翌14年にはハーバード大学で哲学を学ばせております。が、昭和日本はその2年後の昭和16年、欧米の連合国に対して、「鬼畜米英」との敵視政策を採る国に変ります。その時、訳者はどんな気持ちで自らの訳本を眺めていたのか、私には想像することもできません。さて、私達の欧州に対する憧れと比べますと、欧州の人々の私達日本に対する関心はそう高くありません。勿論、浮世絵、アニメ、ハイテク製品、陶磁器、そして寿司を代表とする食文化等、確かに興味を抱いている人々が次第に多くいらっしゃるようになりました。ただ私が欧州出身の研究者と話しているとき、政治経済社会の分野で、「日本の○○は、…」と言及される人々は極めて少ないと申せましょう。換言すれば、日本国内では「欧州では…」と語る人は多くいますが、欧州において「日本では…」という人は極めて少ないと思っております。こうして、日欧関係は或る意味で「不思議な片思い」の関係と言えます。

 その理由は、@欧州の人々にとって、日本は魅力が無い、A魅力が有るが、日本の魅力をアピールする人々や媒体が無い、B魅力が有るが、欧州の人々は日本の魅力が何なのか、先入観故に理解できない、或いは何等かの理由で誤解している、以上3つの何れかだと私は考えております。@は確かに存在すると思います。西洋哲学やキリスト教に関する議論の中に我々が参加する意義と余地は極めて限られています。Aはかなり多くの場合で認められると思います。私自身反省していますが、日本人は英語に比べると、仏独西伊に代表される欧州言語に関しては極端に知識が少なくなります。勿論、これ自体は悪いことではないと思っています。極東に在る日本が欧州言語を必要としてこなかったことは地政学上至極当然のことと申せましょう。ただ、ここで問題にしたいのは、欧州について日本国内で語る方々?時には、「僕は米国より欧州の方が好みに合っている」という方々?のなかに欧州の言葉を話せる方々が非常に少ないことです。この問題は今後、直接的・継続的で双方向の知的対話を行う際、私達は真剣に考える必要があると思います。The Gazette昨年4月号で、本学に短期留学された中曽根元首相が、「昔は一ヵ国語でオーソリティーだったけれども、今や二ヵ国語を使わないと国際派とは言えない」と述べ、ご自身は「心臓英語や心臓フランス語を使っている」ことをご紹介しました。若く有能な皆様も中曽根元首相の「志」とご努力を学んでみてはいかがでしょうか。そして、欧州における学会や商談を通じ、私達日本の魅力をアピールしてゆこうではありませんか。もっとも、昨年12月16日付『エコノミスト』誌の記事「彼等は皆英語は話す(They all speak English)」によれば、或るフランス人が英語をグローバル言語として極端に単純化したもの(“Globish”)を創り上げたそうですから、私達は、最低“Globish”、或いはそれ以上の英語で交信能力を高めることこそが先決問題かも知れません。

 最後のBは、Aの「日本情報が得られない」事態と関連していますが、「日本情報が分りにくい、或いは誤解されている」事態ですから私達の一層の努力が必要です。すなわち、私達は欧州の歴史・文化を学び、欧州の視点から観て日本の主張が分かり易いように主張しなければ、私達の意図と裏腹に一層誤解を招くだけか、それとも理解不能の状態が続くだけです。しかも前述しましたように、欧州は様々な形で「血」を流した経験が多いだけに、話題の選択も、目的・場所・タイミングを注意しなくては、思わぬ形でまったくの「よそ者」になってしまいます。20年程前、ドイツのライン川沿いを鉄道で移動している時、居眠りしている私を隣に座っていたドイツの紳士が、「さぁ、有名なローレライですよ」と親切に起こして下さいました。この方によると、多くの日本人の方々がハイネの「ローレライの歌(„Das Loreley-Lied“)」をドイツ語で歌うとのことでした。ご存知の通り、ユダヤ人のハイネはドイツを去り、フランスに亡命します。そしてハイネは、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦(Indiana Jones and the Last Crusade)』の中にも出てくる1933年5月10日にベルリンで行われた焚書で対象となった作家の一人となります。この意味で様々な形で評価されるハイネを如何に称えるべきか、親切な紳士や周囲の方々の反応を見て戸惑った記憶があります。また同様の失敗談としてハイデルベルグ大学の研究者との対話の経験をご紹介します。数年前、ドイツの方とハイデルベルグ大学に近い「哲学者の散歩道(der Philosophenweg)」と京都大学に近い「哲学の道」の話をしていた時、私は軽率にも配慮を欠いて、嘗てはハイデルベルグ大学を代表した大哲学者カール・ヤスパースの話をしてしまい、微妙な形で気まずい思いをした失敗をしました。ご存知の方も多いと思いますが、ヤスパースは夫人がユダヤ人であったため、「ユダヤに汚された(„jüdischen Versippung“)」と見做され、1937年、同大学の哲学教授の地位を剥奪されます。迫害の末、強制収容所に送られる予定日が迫って、準備した青酸カリを手にして自殺を覚悟していたその時、1945年3月30日に米軍がハイデルベルグを占領したために間一髪で命拾いをします。戦後、『責罪論(Die Schuldfrage)』や『歴史の起源と目標(Vom Ursprung und Ziel der Geschichte)』等を著しますが、それらを読みますと愚かな大衆心理に振り回された祖国ドイツの運命に対して批判的になり、それが故に晩年、スイスのバーゼル大学に移った大哲学者の心情が悲しく思えてなりません。こう考えますと、私達は欧州の歴史を十分知った上で考えを主張しない限り、時折思わぬ「落し穴」に陥り、意図せざる形で対話が途切れ、最悪の場合は誤解を招く危険に包まれていることを銘記すべきだと思います。尚、余談ですが、The Gazetteの2004年5月号で触れた通り、作曲家フランツ・レハールは、ヤスパース同様、夫人がユダヤ人でしたが、作品『メリー・ウィドウ(Die lustige Witwe)』が、ヒットラー総統お気に入りのオペレッタであったため、夫婦共々1930年代及び世界大戦中、ウィーン及びザルツブルグ近郊の街バート・イシュルで身の安全を保障されました。こうして、この時代に生まれた人々の大切な人生は独裁者の気まぐれによって、いとも簡単に振り回されてしまったと思わず溜息が出ます。

 私達の不十分な理解に加えて、小誌昨年12月号で触れたように、翻訳に関して厳密には「誤訳」とは言えないものの、価値観の違いから微妙なニュアンスの差が伝わりにくい場合があります。3年前にパリを訪れた際、私は仏訳版の『草枕』を購入しましたが、山本七平氏も『人望の研究』で言及した通り、「智に働けば角が立つ… (À user de son intelligence, on ne risque guere d’arrondir les angles. . . . )」を、フランス流の論理的思考(Cartesian thinking)を身に付けたフランスの人に理解して頂くには難しいかも知れません。

※はこのサイトでは表示されない文字です。PDFファイルには表示されています。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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