▼歿後50年。 「勇気ある自由人」小泉信三の言葉を再び。
今上天皇の御教育係、戦時の慶應義塾長であった小泉の、日本のモラル・バックボーンとなる数多のエッセイを厳選。「当代の文章家」による、21世紀の今もなお心に響く六十余編。
▼戦後を代表する言論人 小泉信三のエッセイを精選し2巻に編集し刊行。
戦後を代表する言論人であり、今上陛下の御教育掛であった小泉信三は、長谷川如是間や柳田國男から「当代の名文家」と称賛されたエッセイの書き手であった。現在では入手が困難となっている小泉の随筆を、没後50年を機に2巻に集約して刊行する。 「1 善を行うに勇なれ」は、戦前・戦中の苦難の時代の慶應義塾長として、また戦後、日本を代表する言論人として執筆した、数多のモラル・バックボーンとなる文章に加え、東京オリンピック、皇太子殿下(今上天皇)に関わる現代史の証言として価値の高いエッセイ六十余編を収録。 今こそ読まれるべき「勇気ある自由人」小泉信三の言葉の数々。
文藝春秋 2019年5月号「小泉信三が願ったお二人のやすらぎ」編者山内慶太氏(慶應義塾大学教授)執筆の記事で紹介されました。
読売新聞 2016年12月25日文化面「本よみうり堂」(13面)の「読書委員が選ぶ「2016年の3冊」」にて、橋本五郎氏(読売新聞特別編集委員)の3冊に選ばれました。
T 我が身辺 小恍惚 人間愛 鳥獣愛 ホビイ 戦時の花 音楽の記憶 年少の友たち 三十分だけ自分の時間を 孤独の時間 読書と文章 ―― 年少学生のために ―― 再読の興味 少年文学 燈台守り スタンドプレイ フェアプレーのこと 練習 熟練 好きなもの嫌いなもの
U 日々の心得 野暮 ……
著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
【著者】 小泉 信三(こいずみ しんぞう) 経済学者、教育家。明治21(1888)年、東京三田に生まれる。普通部より慶應義塾に学び、体育会庭球部の選手として活躍。明治43年、慶應義塾大学部政治科を卒業し、慶應義塾の教員となる。大正元(1912)年9月より大正5年3月まで、イギリス・ドイツへ留学。帰国後、大学部教授として経済学、社会思想を講ずる。大正11年より昭和7(1932)年まで庭球部長。昭和8年より昭和22年まで慶應義塾長を務める。昭和24年より東宮御教育参与として皇太子殿下(今上天皇)の御教育にあたる。昭和34年、文化勲章受章。昭和41(1966)年、逝去。著書に『共産主義批判の常識』、『読書論』、『福沢諭吉』など多数あり、歿後には戦死した長男を追悼した『海軍主計大尉小泉信吉』が刊行された。また、『小泉信三全集』(全26巻・別巻1)、『小泉信三伝』等が編纂されている。平成20(2008)年には「生誕120年記念小泉信三展」が慶應義塾大学三田キャンパスで開かれ、多くの来場者を集めた。平成28年に歿後50年を迎えた。
【編者】 山内 慶太(やまうち けいた) 慶應義塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科教授、慶應義塾福澤研究センター所員。博士(医学)。昭和41年生まれ。平成3年、慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾横浜初等部の開設準備室長、部長を歴任。『福澤諭吉著作集』第5巻、『練習は不可能を可能にす』、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』を編集。主な共著書に『福澤諭吉歴史散歩』(以上慶應義塾大学出版会)など。
神吉 創二(かんき そうじ) 慶應義塾幼稚舎教諭。庭球三田会常任幹事。昭和45年生まれ。平成4年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。在学時は慶應義塾体育会庭球部主務。著書に『伝記 小泉信三』(慶應義塾大学出版会)。『慶應庭球100年』(慶應庭球100年編集委員会)、『練習は不可能を可能にす』、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』(以上慶應義塾大学出版会)を編集。
都倉 武之(とくら たけゆき) 慶應義塾福澤研究センター准教授。昭和54年生まれ。平成19年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程満期単位取得退学。武蔵野学院大学専任講師を経て現職。専門は近代日本政治史。『1943年晩秋 最後の早慶戦』(教育評論社)、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』(以上慶應義塾大学出版会)を編集。
松永 浩気(まつなが こうき) 慶應義塾幼稚舎教諭。慶應義塾高等学校庭球部監督。庭球三田会常任幹事。昭和59年生まれ。平成19年、慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科卒業。在学時は慶應義塾体育会庭球部主将。大学卒業後は三菱電機ファルコンズと選手契約を結び、プロテニス選手として海外ツアーを転戦。2012年より幼稚舎教諭。
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