知的戦いの矛:ジョーク(3/3)
その頃(1933年2月)、ジュネーヴの国際連盟で日本の首席全権たる松岡洋右が「連盟よ
さらば。わが代表堂々と退場す」という新聞
の見出しで有名な議場退場を行い、翌月、日本は連盟を脱退します。複数の資料を読み、
また松岡全権の有名な演説も聞いてみましたが、松岡氏の対米観も、英語が上手という松岡氏の評判も素人ながらどうしても首を傾げざるを得ません。そうしていたところ、尊敬
する岡崎久彦大使の著作『重光・東郷とその
時代』の中に的確に問題点を指摘する箇所を
発見しました。すなわち、「第二次近衛内閣の外交は、終始松岡洋右外相に引っかき回され、
引きずられたままだったといって過言ではな
い。それがもたらした結果は、大日本帝国の命運を左右するほど重大なものであった。しかし、この松岡外交の過程をくわしく記述する価値があるかどうかは疑わしい。なぜかといえば、松岡の行動には、歴史の必然性とは必ずしも関係のない、松岡の個人的な動機や
習癖からくるものがあまりにも多いからである。それも深い思想や哲学からくるものではなく、自分の沽券にこだわり、俺のいうこと
は間違ったことはないとか、万事俺に任せろ
とかという個人的習癖であり、理論があると
しても、長期的な戦略ではなく、強く押せば向こうは引っ込むというような低次元の戦術的計算であった。そしてその意見を押し通す手段は、相手に口を開く暇を与えず喋りまく
り、相手を辟易させるということであった」、
と。議場退場時の発言は松岡氏自身も失敗だと思ったそうですが、清沢洌等の優れた少数
のジャーナリストを除き、国際情勢を冷静かつ客観的に観ることが出来なかったマスコミ
と一般民衆が情緒的な判断に流されていったことは皆の知る所であります。折角9年間もの米国生活を持ちながら、松岡氏はどうして
ユーモアのセンスと知的なジョークを体得し
なかったのか。私自身不思議でなりません。
誤解を招かないために付言しますと、私は
日本人がジョークを理解しない民族であると
は思っていません。それどころか、日本民族は、落語をはじめ、健全なユーモアの精神を
もっている民族であると考えています。6月初旬に一時帰国した際、三菱金曜会事務局長
代理時代から長年可愛がって頂いている亜洲広告社の守恭助氏から『タイム』誌創刊号
(1923年3月3日号)のコピーを頂きました。
そこには米国に赴任する埴原正直大使の紹介があり、同大使のユーモアのセンスを称えています(余談ですが、同大使の米国での活動に関しては皆様で調べられると興味深いと思い
ます)。以前にも触れましたが、愛読書の一つ
『平家物語』の「巻十一:先帝身投」には、
壇ノ浦の戦いで平家の知将新中納言知盛の最
期の様子が描かれています。安徳天皇の御舟
で泣き叫ぶ女房達に向かって知盛が語る「たはぶれ(戯れ)」を何度読んでも私は心を動か
され、命を失う直前でも知盛のように悠然と
ジョークを言いたいと自らを励ましておりま
す(The Gazette の2004年2月号に記しました)。
以上、知的対話における盾の外面と矛の尖端が微笑みとジョークであることは理解して頂けたと思います。微笑みとジョーク、そして燃え上がる向上心さえあれば、相手も真剣
勝負の情報交換をして下さることでしょう。
しかし、盾と矛の中身は先に挙げた5つの要件であることを銘記して下さい。たとえ鋭い
ジョークで知的対話を始めても、知的水準が高くなければ、瞬く間に知的バックグラウンドは金メッキ製だと見抜かれてしまいます。
従って矛先だけが鋭利であっても、矛全体が
鋼鉄で出来ていなければ知的武器としては役立ちません。私が師と仰ぐMITのスザンヌ・
バーガー教授は、卓越した知性と共に誰をも魅了する微笑みで多くの人々から尊敬と好感
をもって迎えられている大学者です。この意味で私はバーガー教授と二人で議論する機会に数多く恵まれた幸せ者であります。しかし、
私がいい加減な返答をすると、同教授の顔から魅力的な微笑みが消えて横を向かれ、いつ
も窓の外を眺めながら「ジュン、私は何か誤解したのかしら?」と仰います。私は「いえ、
先生。私の理解とご説明が矛盾だらけで不十分だったと思います。私の理解していること
をもう一度整理して申し上げますと…」と話
しつつ、同教授の顔に微笑みが戻り、こちら
に顔を向けて下さることをまだかまだかと待つ時の辛さは言葉では表現できません。しかし、こうした厳しさがあるからこそ、バーガー教授との間で知的緊張感のある関係を持続
していけるのだと喜んでおります。
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