一九八〇年代とはなんだったのか? マスメディアに媒介されたオピニオンも、ファッションに媒介されたアイデンティティも、 他者の意識に媒介された自己意識も、等しくメディア時代の産物である。―― 気鋭の著者が描く、八〇年代の生の感覚。
「一九八〇年代」を語る際に、いわゆるニューアカなどの「知のモード」の影響が過度に重視される傾向があるが、八〇年代の特異性は、むしろ、<戦後>を真に脱却しつつあったこの時代の混沌のエネルギーが抑圧から解放され花開いた《バブル文化》(ストリート文化、大衆文化)にこそ見出される。本書では、一九八四年〜八六年の間に、日本社会が《バブル文化》に移行するとのテーゼのもと、その前/後の政治・経済状況にも目を配り、いまだ語られずにいる「八〇年代」の特殊性を浮き彫りにする。
朝日新聞 2017年5月14日「文化の扉 今ウケるバブル文化」(28面)にて紹介されました。
日本経済新聞 2006年11月13日夕刊 「夕刊文化」で紹介されました。 朝日新聞 2006年11月9日夕刊 「テークオフ」で紹介されました。 産経新聞 2006年10月21日朝刊「読書」欄で紹介されました。論座 2006年11月号 「Book Review」(314頁)で紹介されました。 朝日新聞 2006年8月20日朝刊「読書」欄(11面)で紹介されました。出版ニュース 2006年8/中号 「ブックガイド」(24頁)で紹介されました。 繊研新聞 2006年8月5日 「新刊」欄(6面)で紹介されました。 図書新聞 2006年8月5日発行 第2785号で紹介されました。 北海道新聞・デーリー東北 2006年7月23日朝刊「読書」欄で紹介されました。 京都新聞・山形新聞 2006年7月9日朝刊「読書」欄で紹介されました。 十勝毎日新聞・茨城新聞 2006年7月9日朝刊「読書」欄で紹介されました。 陸奥新報 2006年7月3日朝刊「読書」欄で紹介されました。 日本経済新聞・中國新聞・大分合同新聞・宮崎日日新聞・熊本日日新聞・福井新聞 2006年7月2日朝刊「読書」欄で紹介されました。 東京新聞・中日新聞・福島民友・北國新聞 2006年6月25日朝刊「読書」欄で紹介されました。 岩手日報・沖縄タイムス 2006年6月24日朝刊「読書」欄で紹介されました。 STUDIO VOICE 2006年8月号(86頁)で紹介されました。 週刊文春 2006年6月15日号「文春図書館」(135頁)で紹介されました。
はじめに 序章 超越の消失――一九八〇年代の歴史的位相 第1章 原宿――「八〇年代」若者の祝祭空間 第2章 《バブル文化》の予兆――「八〇年代」若者の編成 第3章 「いまは、ココ!」の闘い――八〇年代の《中心と周縁》 第4章 《バブル文化》のしあわせ探し――「おたく」と「渋カジ」の分水嶺 第5章 ドラマの変貌――都市のBGM、街の語り 第6章 「楽しくなければ、テレビじゃない!」――とんねるずとフジテレビの時代 終章 抑圧からの解放――<戦後の終わり>としての八〇年代 注釈 ……
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原 宏之(はら ひろゆき) 明治学院大学教養教育センター助教授 1969年生まれ。パリ第10大学人文学科群博士課程中退。学術修士。 日本学術振興会特別研究員(東京大学)・東洋大学等非常勤講師(2001-2002)を経て、明治学院大学専任講師(2002年)。2005年より現職。 専攻は、教養(表象メディア論・言語態分析)および比較思想史。 著書に『<新生>の風景』(冬弓舎)、訳書にジャック・デリダ/ベルナール・スティグレール『テレビのエコーグラフィー』(NTT出版)、『ミシェル・フーコー思考集成』(分担訳−筑摩書房)など。
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