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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第1号(2006年6月)
 
 

3.微笑みとジョークを忘れずに

 小誌では、毎回一つのテーマに基づいて書いていこうと思います。創刊号のテーマは「微笑みとジョークを忘れずに」です。まず結論を簡単に述べると以下の通りです。グローバルに情報交換を行うと往々にして想像を絶するような天才的な人々に出会う機会に恵まれ、そうした人々と知的な対話を行うことにより、知的、経済的、社会的に私達が豊かになれる可能性が発生する。ただそうした才能ある人々が私達と情報交換をしてくれるかどうかは、私達の実力と態度次第である。そしてその実力はそう簡単に身につくものではない。では素晴らしい才能を持った人々とは、私達の実力が向上するまで知的対話を行う機会は全く出来ないのかというと、実はそうではない。私達が実力を向上させ、知的対話を行いたいという熱意ある態度を、才能ある人々に伝えることさえ出来れば情報交換が可能となる。その際、知的対話を行うことで、相手側にも素晴らしい結果が生じるであろうという期待を抱かせることさえ出来れば良い。そして実は、その時の最大の武器が微笑みとジョークである。従って、如何なる時にも微笑みとジョークを忘れてはならない。これが今月の話題です。

 繰り返しますが、グローバル時代における知的武者修行で鍛えるのは、前述した5つの要件です。そして、その要件は短期間で満たされるものではありません。それどころか、毎日の努力の積み重ねが無くては決して満たされないものばかりです。この努力の必要性は強調し過ぎることはありません。これらは私のような年齢に達した人にとっても等しく重要な要件です。今年4月、塚本弘ジェトロ(日本貿易振興機構)副理事長がボストンを訪れ、ハーバード大学とMITで、ケンブリッジ在住の専門家達と親密な知的対話の機会を作って下さいました。本学の中国専門家のアン ソニー・セイチ教授や国際貿易の専門家であるロバート・ローレンス教授から、また、MITインダストリアル・パフォーマンス・センター所長のリチャード・レスター教授からも鋭く厳しい質問が塚本副理事長に向けられましたが、それらを軽妙に処される同副理事長のお姿を拝見し、尊敬の念を強めた次第です。6月初旬、東京で再会した折、同副理事長は私に向って「栗原さん、(海外で)講演した後、いつも反省しているのですよ。ここはこう説明しておけば良かった。あそこはこう表現した方が良かった、とね」と仰いました。優れた人は常に向上心を懐き、陰に日向に努力をされていると感心した次第です。

 知的対話は、質の高い「情報」というボールを交換するキャッチボールのようなもので す。投げ手は受け手の実力を観察しながらボールという情報を投げてきます。投げるボー ルが早すぎても、また受け手の守備範囲に投げるのでなければ、キャッチボールは成立し ません。つまり、情報交換の質は投げ手と受け手の実力次第で大きく違ってくる訳です。

 一流の研究者や一流のプラクティショナーは自らの分野で、また自身に適したスタイ ルで、前述した5つの要件を満たす努力に余念がありません。自己の能力の限界に毎日挑 んでいる人々は、崇高な学問や深遠な真実の前で、自らの能力と業績が学問・真理全体に 比すればほんの僅かの部分であることを自覚しています。それ故に彼等は常に謙虚な気持 ちで研究を行っています。この意味で日本の諺「実る程に頭を垂れる稲穂かな」にある如 く、ハーバード大学の研究者は例外なく謙虚で丁寧な対応をして下さる人々です。その一 方で、彼等は寸暇を惜しんで努力をするが故に、よほど内容が高くない限り、気難しい面持ちでたどたどしく話す相手と悠長に情報交換しようとする意欲はさらさら持っていないことも銘記すべきです。

 このように当たり前の話ではありますが、 情報交換に極めて高い質を求める際、キャッチボールと同じで、相手が私達に真剣勝負の 素晴らしいボールを投げてもらうよう、その気にさせる必要があります。私達の能力が低 ければ、相手は私達の知らない間に即座にそれを察知して、受取り易い簡単なボールを返 して来るか、或いはボールを投げ返して来ないことになります。我々にとっては受け取り 易いボールが返って来たと喜ぶ一方、投げ返してこないと、「ナンと無礼な態度なんだ!」とムッとしてしまいがちです。しかし、このこと自体、国際的な知識杜会における落し穴(「井の中の蛙」的な誤った認識) が潜んでい るのです。

 孔子の『論語』「雍也第六」に、「子曰わく、中人(ちゅうじん)以上には、以て上(かみ)を語 (つ)ぐべきなり。中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり」という有名な言葉があり ます。また、フランスのモラリストであるラ・ロシュフコーの『箴言(Les Maximes/Réflexions ou sentences et maxims morales)』に、「ちゃんと分かる人にとっては、訳の分からない人達 に分からせようと努力するよりも彼等との議論に負けておくほうが骨が折れない(Un esprit droit a moins de peine de se soumettre aux esprits de travers que de les conduire.)」というこれまた 有名な言葉があります。すなわち、東西の優れた先人達は、「相手の能力に従って語りか けよ。相手の能力が低ければ、あまり無理はするな」と教えています。従って、私自身は、 ハーバード大学の研究者が私達にとって理解可能だが予想以上に簡単な説明をしたり、返 事をしなかったならば、それは、「失礼ながら、真剣勝負での知的対話は当分の間無理のよう な気がします」という相手側からのシグナルとして理解しています。尚、ここで「平易な 議論」と「簡単(単純)な議論」との微妙な違いが、実は大きな差を生みますが、これにつ いてはまた別の機会に論じたいと思います。

 さて、私の場合、ハーバード大学の研究者との知的対話は、1980年代後半にまで遡ることが出来ます。1980年代から1990年代前半までは、日本が世界の中で輝いていた時代でした。従って、本学やMITの研究者は、知的好奇心から心優しい態度で、また内容を噛み砕いて私のような人間にも理解できる平易な形で情報交換をして下さいました。しかし、1990年代後半からは、日本のバブル崩壊と中国の台頭により状況は一変します。バブル崩壊前の日本のように止まる様相を見せない中国。今の中国の方々を見ておりますと、思わず20年前の日本を思い出してしまいます。一方、日本の方はというと、言葉足らずな説明をしたり、一部の日本人に至っては、開き直った態度もしくは説明責任から逃げ回る態度に終始しました。その是非と善悪は別として、そうした印象を、米国だけでなく欧州や東南アジアの人々に植え付けてしまった感が致します。かくして日本は海外からの厳しい目に曝されるようになったのです。こうしたなか、気が合う海外の友人から日本経済に関して集中砲火の如き質問攻めに間断なく遭遇したが故に、私の悲惨なレベルであった実力は少しずつ向上し、未だ完全ではありませんが、心優しい海外の友人と自然な形で情報交換をすることが出来るようになった次第です。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政学大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
 

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