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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learnded』

第1号(2006年6月)
 
 

2.栗原後悔日誌@Harvard

 2003年の5月以来、私はハーバード大学のケネディ行政大学院シニア・フェローとして、日本のグローバル化や日本企業のグローバル展開に関する研究活動を実施してきました。過去3年間、周囲の人々のご好意によって、私は楽しい研究生活を過ごすことができました。とはいえ、どの世界でも同じでしょうが、決して完全に満足できる3年間であった訳ではありません。私の場合、大小様々な障害に突き当たり、同時に、自分自身の能力の限界を思い知らされた毎日でもありました。

 ご存知の方も多いと思いますが、ハーバード大学は、イェール、プリンストン、シカゴ、スタンフォード等と並んで米国が誇る高等教育・研究機関の一つです。ここでは、一流の研究者が学内で研究すると同時に、政治家、企業家、ジャーナリスト、そしてNPO等の社会活動家、すなわち、一流のプラクティショナーが実践的知識を求めてハーバード大学を訪れ、本学の研究者と活発な意見交換を毎日のように行っています。また、ハーバード大学に集まる研究者は学内だけにとどまりません。マサチューセッツ工科大学(MIT)、ボストン大学、タフツ大学等、近傍に存在する大学の研究者、更には世界中の一流の研究者が知的刺激を求めてハーバード大学を訪れています。勿論、日本からも優れた研究者が数多く訪れています。私も本校に来て初めて親しく意見交換をさせて頂いた方々、例えば、東京大学の林良造教授や高原明生教授、三井物産戦略研究所の鈴木通彦研究主幹、そして慶應義塾大学の野村浩二助教授等から多くを学び、以来、引き続いてご指導を頂いております。

 このように一流の研究者と一流のプラクティショナーが集まるハーバード大学ではありますが、そうした「ヒト」の集積自体、また優れた「ヒト」が携えてきた「情報」の集積自体は私達にほとんど意味を持たない現象です。何故なら質の高い情報交換と知的創造の場であるハーバード大学では、私達が積極的に働きかけない限り、ほとんど得るものが無いからです。すなわち、信頼関係を構築するに十分可能な長い期間にわたり、継続的にしかも直接的に実施される双方向の知的対話がなされない限り、私達にとってハーバード大学は美しいキャンパスを持つ一つの大学で しかありません。実際、創立以来370年という米国最古の歴史を誇るハーバード大学には、多くの観光客が訪れます。彼等は、18世紀にまで遡ることができる建造物をはじめ、モネやピカソの作品を収蔵する美術館、精巧な動植物の標本や天然鉱石が展示されている博物館等の写真を撮っています。そして、前述した知的対話を垣常的に行わない限り、私達もカメラを片手にした観光客とほとんど変らない人間だと、ハーバード大学の人々に思われても仕方ありません。

 ハーバード大学に限らず世界中のどこにおいても、才能有る「ヒト」との親密な対話を楽しむ際には、或る一定の「約束事」ないし「ルール」が存在します。そうした「約束事」を厳密な形で学んだ訳ではありませんが、質が高く、直接的・双方向・継続的な情報交換の機会に溢れているここハーバード大学で、私は実感したような気が致します。すなわち高い「志」と優れた才能を秘めた「ヒト」と質の高い情報交換をするには、次の5つの要件が満たされなくてはりません。その5つとは、(1)一流の専門知識、(2)幅広い一般教養、(3)語学力、(4)マナーと交際術、(5)多角的・重層的な協力・相互補助の精神です。

 一般論として、継続性を前提とする知的対話は、旅先で知り合った感じの良い人々との 他愛の無い短い会話ではありません。ですから、(1)一流の専門知識、(2)個人的な親密度を 増すのに不可欠な幅広い一般教養が当然不可欠であることはすぐに納得して頂けると思い ます。加えて、杜会科学の場合、情報交換の媒体である(3)語学力(言語表現力、傾聴能力) は重要です。よほど飛びぬけて独創的な内容でない限り、言葉を抜きにして多くの人々の前で自らの意見を披露することは現実的に不可能です。また、「鋭いヒトだ」と相手に認識されない限り、相手も私達に情報を (言葉で) 伝達する気にはならないでしょう。しかも、ハーバード大学は米国の大学ですので、現地語であり、同時に事実上の国際的共通語(the lingua franca)でもある米語を巧みに操らなければ、私達の専門知識や一般教養が「ホンモ ノ」かどうかについて確認の方法がありません。更には、(4)互いにリラックスしながら意見交換するための知的マナーと国際的交際術、そして誰もがすべてのことを完壁にできる訳がないので、(5)多角的・重層的な協力・相互 補助の精神、以上の要件を私はハーバード大学で毎日のように感じております。

 理想を言えば、これらに関して、私の「手柄話」を語りたい気持ちですが、悲しいかな、 運命はそれに相応しい能力を私に授けては下さりませんでした。従って、私自身、上記の要件を満たした形で知的会話を行ったことは一度も無いどころか、顔から火が出るほどの恥ずかしい思いをしたことは無数にあります。 こうした苦い経験をご紹介することによって、有能な若い方々に将来役立つ何かを少しでも見出してもらえるかも知れないとの期待を懐きつつ、私の「後悔日誌@Harvard」を読者の方々にお届けしたいと思っています。私の「後悔日誌@Harvard」に参考になる部分がもし有るとしたなら、それはハーバード大学のシニア・フェローとして4年目を迎え、匍匐(ほふく)前進・七転八倒の努力をしている一日本人の苦い経験と、日本に居ては気付かない覇権国米国で展開される議論だと考えております。 こうした理由から有能な若人に「他山の石」としての「教訓」を伝えることは、私の使命であり、それが天命ではないかとさえ感じております。実践的知識を重視する若き後輩諸氏が私の失敗談に基づく「教訓」を知り、「へえ、そんな失敗をしてもハーバード大学で生き残っている日本人もいるんだ。ワタシ或いはボクならもっと上手に生き抜ける」と明るく自信と希望を持って頂きたいと思います。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政学大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
 

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