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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第1号(2006年6月)
 
 

知的戦いの矛:ジョーク(1/3)

 知的戦いにおける防御(盾)の外面が微笑み であるとすれば、攻撃(矛)の尖端はジョークです。これに関しては、ユーモアのセンスの重要性として、日本を代表するジャーナリストの一人である松山幸雄氏が、『日本診断』や『国際対話の時代』で既に指摘されております。10年以上も前ですが、私自身、ハーバード大学における松山氏の講演を聴いた記憶が あります。その時、冒頭、日本の年功序列制度を揶揄したジョークで聴衆を魅了された松山氏に感心したのを今でも覚えております。 この「矛先にジョークを」という欧米の習慣は、アジア諸国にも浸透し始めております。 これは、アジア諸国のエリートが欧米での留学経験のなかから得た知恵かも知れません。

 一方、一般論として日本人のスピーチは評 判が芳しくありません(慶應義塾大学出版会 ウェブサイト掲載のThe Cambridge Gazetteの 2006年3月号にも書きました)。その理由の一つとして私はジョークの役割に対する認識の差を感じています。ジョークは真剣勝負で 情報交換する時の欧米流の「名乗りを上げる行為」のようなものと私は考えております。 戦国時代の武士は、「やーやー、我こそは…」 と名乗りを上げて戦を始めました。欧米では、 「さあ、真剣勝負だ」と互いが緊張した時、 過度の緊張をほぐすためにも、また相手に敬意を表しつつ警告を与えるためにも、知的に 鋭いジョークを飛ばして情報交換を行います。 すなわち、「ジョークの切れ味同様、私達は真剣ですが、どうぞお手柔らかに」という気持 ちを表す訳です。情報交換の際、このように考えている欧米人に対し、日本人同士では大切な「口上」である前置き、換言すれば伝統 と形式に基づく暖昧さを含んだ前置きの言葉 を日本人が述べると、外国人には「この日本人は問題をはぐらかすために故意に分かりきった抽象的な空文虚字を並べているのだろう か」と疑心暗鬼になりかねません。

 内外で情報交換の方法と場が異なるからと言って、私は日本人の分析能力が劣っているとは思いません。ただ、相手が真剣勝負で 臨んでくる質の高い情報交換の場で、欧米を中心とする海外と日本とでは、間合いの採り方と「真の情報交換の場」自体が異なっているが故に、海外の人々に不快感と不信感を抱かせる結果になっていると考えています (ジョークは日本では「悪ふざけ」と受取られ、そして正式な会議の外が「真の情報交換の場」というのが一般的だと思います)。冒頭で述べた通り、グローバリゼーションが進展するなか、日本の方式だけに固執している訳には行きません。正しく巧みに「両刀使い」が出来る若人の出現を心から望んでおります。

 とはいえ最近はジョークの上手な日本人が少しずつ増えていることを実感し、喜ぶと共に、生来楽観主義の私は益々楽観的になっております。昨年秋にボストンに着任された鈴木庸一日本国総領事は、聴き手の驚きと笑いを引き出す意外性に満ちたジョークをスピーチの中に巧みに入れるという素晴らしいセンスをお持ちの外交官です。5月中旬、関西電力から出向されている日本人フェローの垣口裕則氏と私との2人で、我が研究センター (Center for Business and Government(CBG))恒例の寿司パーティを開催しました。その時も同総領事はご多忙中にもかかわらず参加して下さいました。そして、米中韓の研究者と気 さくに意見交換をされていました。パーティ終了後、米中韓の友人からは喜びと驚き、そ して尊敬の念を同総領事に対して懐いたとの嬉しい電子メールを数多く頂いて、私自身鼻高々になったことを皆様にご報告します。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政学大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
 

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