Web Only
ウェブでしか読めない
目次一覧
 
第1回 連載の視座/発会式
 
自発的結社の原点―その(1)
 
自発的結社の原点―その(2)
 
同窓会から交詢社構想へ
 
「知識交換世務諮詢」(ちしきこうかんせいむしじゅん)の登場
 
交詢社「緒言」−専門分化への危機意識
 
社則「緒言」から「交詢社設立之大意」へ
 
「社会結合」と結社像の転換
 
「社会結合」と結社像の転換
 
交詢社設立の中心人物たち―小幡篤次郎2
 
交詢社設立の中心人物たち―馬場辰猪
 
交詢社設立の中心人物たち―馬場辰猪(2)
 
交詢社設立の中心人物たち―馬場辰猪(3)
 
交詢社の初年―『交詢雑誌』
 
『会議弁』と交詢社―演説の時代―
 
第16回 交詢社の2つの意図―国会開設運動と交詢社(その1)
 
著者について
    近代日本の中の交詢社  
 
       
     
   

第7回 社則「緒言」から「交詢社設立之大意」へ

 

交詢社の設立意図が最初に記されたのは社則「緒言」であった。前回はその前半でのべられた「知識交換」という問題意識についてとりあげた。分業化により職種の幅が広がって社会全体の利益は増すものの、人々は専門外のことにうとくなる。さらに人々の利害は年齢や財産の多寡、住む地方によって異なるので、ますます広く世間と交際しながら生活をしていくのが難しくなる。それを防ごうというのが「知識交換」の趣旨であった。同様の問題意識は交詢社構想以前、小幡篤次郎の「専門学校の切要を論ず」という論説において間接的ながら示されていた。今回はひきつづき交詢社の設立意図を「緒言」にみると共に、「交詢社設立之大意」(以下、「設立之大意」)をとりあげてみたい。

★政府と親戚朋友のあいだ―交詢社「緒言」後半

「緒言」後半は社是の「世務諮詢」の説明にあてられている。「知識交換」によって処世の知識を得たとしても、実際の困難に対処するには相談しあう他はない。その相談の大きなものとしては政府による保護、小には親朋(親戚や友人)による情けがある。だが実際には政府の保護は形に制せられて情を察するに十分ではなく、逆に親戚友人の情けは情にほだされて形をならない。両者の遺漏を補おうとするならば、「互に世務を諮詢し、互に公利を保捗(ほちょく)するの公社」すなわち交詢社を結成するしかないという。こうしてみると交詢社は、個人(に基づく人間関係)と政府・国家の間に位置する結社をめざしたようにもみえる。はたしてそうなのかどうかおいおい検討してゆくことにして、「設立之大意」をみよう。

★「交詢社設立之大意」

第5回と第6回でもふれたが、社則の立案過程で「緒言」に代わり「設立之大意」が社則冒頭を飾ることになった。「緒言」は社則という規則の文体で書かれており、必ずしも平易とはいえなかったので改めて大意を記したのだという。

第5回でものべたとおり、設立意図を読みとく重要な史料であり、福沢諭吉の執筆と推定される文章である。まずはその内容をやや詳しく紹介したい。全体で約2800字、この文章の書かれた理由を記した最初の2行を別にすれば、大きく分けて5つの段落で構成され、各段落は500字前後ずつとほぼ均等の分量。第4段落までを交詢社の「目的」である「知識交換世務諮詢」の説明に当て、最終段落では交詢社設立の「理由」を説く。

★知識交換―第1段落

最初の段落は「知識交換」をのべる。そもそも学問の道は学校のみにあらず、また読書のみにあらず。また世事に当るに、1人の力では限りがあるし、読書や学問の余暇のない人もいる。交詢社で雅俗の別なしに自分が1つ知ることを10人に告げ、こちらが10人の相手の知ることを聞けば、1つの知識を提供して10を知ることができる塩梅(あんばい)になる。これを「活世界の活学問」といっている。

「知識交換」については「緒言」と大きく変るところはない。「設立之大意」の方が具体的で分かりやすいものの、分量はほぼ同じである。また、洋学者が国学者に質問したり、商人が農業の有様を農民に聞いたりと、各人のうとい事柄を尋ねあう例も挙げられており、専門化への危機意識も背景に存在している。

★世務諮詢―第2、3段落

ここでは「世務諮詢」の内容をかみくだいて説く。人間には必ず夫婦親子以外の関係がある。近隣のつきあい、友人の往来、一村一町より一郡一県に至るまで、多少の関係のないものはない。商売・金の賃借、雇用関係をはじめ、共同事業の合併・分離など繁多な交際がある。これを人間社会の交際という。

いかなる英雄豪傑であっても社会の中で生きてゆくのに独断をもってして過ちなき者はいない。必ず他人に相談を要する。「諮詢」とはすなわち相談の意である。繁多な交際では様々な民事上のトラブル、すなわち「人事の間違い」が起きるが、裁判に訴えることなく相談でもって平穏に解決のいとぐちをみつけたい。さらには、茫々たる宇宙にあって無数の人が互いに知らず、互いに他人視して独歩孤立するのは最も淋しきことであり、「世務諮詢」とは旅行の際に1泊の宿の貸し借りをするといったことにまで及ぶことを説く。

この部分におよそ1000字以上、全体の4割を割いたところに「世務」すなわち人間社会の交際への強い意志をみてとれる。「緒言」の5倍の長さである。その背景にはやはり第5回でのべたように、社是が当初の「時事諮詢」から「世務諮詢」へと変更されたことがあっただろう。つまり「当世の国家社会のためになすべき仕事」という「時事」と同様の意味に「日常世俗の事、世事の繁雑」の意味を加えたことを「設立大意」は分かりやすく伝えようとしたといえる。

★情報手段の駆使―第4段落

第4段落では、電信・郵便といった新しいコミュニケーション手段を通じた社員同士の交際を説く。蒸気船、さらには全国規模の鉄道網まで予想にいれ、意思疎通の高速化への期待を示す。すなわち今日は筆に羽翼を生ずる時代、遠方同士でも数日内に数回の文通ができるし、電信を使用すれば瞬時に連絡がとれる。その便利はあたかも全日本国を翻して一小都邑に変じ、長崎と函館とを合して合壁の隣家となしたるものに異ならない。最新の情報手段を利用して交詢社本局と各地方社員同士意見を結びあうことを伝える。こうした情報手段の進歩にもとづく交際のあり方は「緒言」には存在しない。

ここまで「設立之大意」を「緒言」と照らしあわせてみてきた。両者の相違は主に第2段落以降に存在するが、最大の相違点は最終段落で交詢社の結社の性格がこれまでの結社と異なることを示した点にある。そうさせた問題意識は前回に出てきた「社会の結合」であった。

★「社会の結合」―最終段落

この段落はそれまでの部分と異なり、交詢社の「目的」ではなく、設立に至った「理由」が記されているのが特徴である。冒頭において、維新後の社会構造の一変により、人々の独立精神に少しの成長がみられるという。こうのべた福沢は身分社会から変化しつつある現状に次のような感を抱いていたかもしれない。1つには、やむを得ずとはいえ士農工商の治者として俸禄で生活していた士族層が独立活計への道を模索し始めていた点であり、もう一つは被治者に徹し、政治の当事者意識に欠けていた農工商層における政治的関心の萌芽の存在である。こうした独立精神の成長は歓迎すべきであるが、人々がばらばらに独立しているだけでは孤立に過ぎず、それこそ社会自体が成り立たない。

福沢はこのように考えたからこそ、交詢社に上記のような目的をこめたように思われるのである。すなわち、「知識交換」によって「世界を活かし、学問を活か」し、人々同士の結びつきと知識の広がりをつくり出す。また「世務」という日常的な繁多な人間関係に臨むに「互にこれを他人視して独歩孤立」しないよう、人々の結びつきをつくり出す。そして最終段落冒頭で福沢は次のようにいう。

「人々独立の精神はやや成長したる如くなれども、人間最第一の緊要たる社会結合の一事に至ては、未だその体を成さず」

藩を基にした結社によって結合をつくろうとしても藩が既にない。県を基にしようとしても新しすぎてまだ慣れてない。かといって、同郷の友では人間関係が狭すぎる。

「この勢に任して捨置きたらば結合の縁はますます消滅して独立は性を変じて孤立たるに至るべし」

これが最終段落に記された福沢の危機感であった。廃藩置県によって消滅した藩という伝統的な結びつきに代わる結合のあり方の提出が設立者たちの大きな課題であった。だが、こうした問題意識自体は必ずしも交詢社設立者たちだけのものではなかった。この点に注目しつつ、ひきつづき次回以降も交詢社の設立の意図を探っていきたい。

【出典】

交詢社社則「緒言」および「交詢社設立之大意」『交詢社百年史』(交詢社、1983年)20−24頁

   
 
 
 
 
       
ブログパーツUL5          

他ジャンル

ジャンルごとに「ウェブでしか読めない」があります。他のジャンルへはこちらからどうぞ。
ページトップへ
Copyright © 2005-2007 Keio University Press Inc. All rights reserved.