連載:『フランス・ユダヤの歴史』(上・下)(菅野 賢治 著)

『フランス・ユダヤの歴史』

古代からドレフュス事件まで、20世紀から今日まで

 

第4回: ユダヤ、キリスト教、フランス共和国――シャルル・ペギーの夢

古きカトリック国にして、非宗教性(ライシテ)を原則とするフランスは、〈大革命〉以来、ユダヤとの関係を熟考し、試行錯誤するなかで、みずからの「共和主義」を鍛え上げてきたのだった。ならば今、同じアブラハム(イーブラヒーム)から下るイスラームをも包摂しながら、新時代の「共和主義」を夢見ることが、どうしてできないはずがあろう?

 

 

 「菅野さんは、シャルル・ペギーで学位論文を書いたはずですが、ペギー研究はもうやめちゃったんですか?」――同業の仏文畑の人に、時々、尋ねられる。
 その都度、説明が込み入ってしまうので曖昧な返事でやり過ごしているが、実のところ私のペギー研究は、終わったわけでも、ほっぽり出されてしまったわけでもなく、ただ、ペギーがある時、ある友人に書き送った以下の手紙の文面に、ずっと「引っかかった」ままになっているのである。


 

こんな夢を見た。僕たちは死んでいるのだった。(・・・)僕たち、つまりブランシユ、君、そして僕は、田舎のようなところを歩いていた。(・・・)あるところで、君たち二人が「ここでお別れだ」というような顔をした。僕は「どこに行くんだい」と言った。すると君たちは、わっと笑い、そして、こう言ったのだ。「だからね、僕たちはアブラハムの懐に帰るんだよ」と。僕は肩をすくめて、こう言った。「駄目だよ、天国においでと言っているじゃないか、その方がずっと面白いよ」と。そして、君たち二人は来たのだった(1911年12月18日、ピエール・マルセル宛書簡)。

 

連載:『フランス・ユダヤの歴史』(上・下)(菅野 賢治 著)

 シャルル・ペギー(1873-1914)は、ロワール河岸オルレアンの椅子の詰め藁職人であった母と祖母の手に育てられ、秀才ぶりを発揮して名門パリ高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)に入学。在学中、社会主義に傾倒し、夭逝した親友マルセル・ボードゥアンの妹シャルロットと結婚する。1898年以降は、ドレフュス主義者として学生街「カルティエ・ラタン」の司令塔的存在となった。1900年、雑誌『半月手帖』を創刊。その後、時期の特定は不可能ながら、自己の内なる伝統的カトリック性の認識にいたり、1914年、第一次世界大戦に際してはみずから「共和国の一兵卒」として志願し、ヴィルロワの野に斃れた。以来、彼の名の周囲には、清廉潔白の士、模範的キリスト者、理想的愛国主義者という、教科書どおりの気高いイメージばかりが定着してきた。
 その一方で、彼が、早くもドレフュス事件期に知り合っていたブランシュ・ラファエルという女性に家庭外の恋愛感情を抱き(いわゆる「不倫」)、その叶わぬ恋の懊悩のなかで、みずからキリスト者としての意識を深めていった過程は、周囲の友人たち全員の知るところとなっていながら、のちの活字文献のなかではそこだけが徹底的に沈黙に付されるという、一種、いびつな伝記形成の経緯がある。そして、そのブランシュという女性は、上の手紙の名宛人ピエール・マルセル(本名ピエール=マルセル・レヴィー)と同様、「ユダヤ人」であり(その信仰の度合いや、当時の「フランス・イスラエリート」社会との関係などは一切不明ながら)、ペギーが語る「夢」のなかでは、まさに、「ユダヤ人」である「君たち」と「キリスト者」たる「僕」が、永久に同じ道を、同じ目的地に向かって歩いていくことの可否が問われているのだ(詳しくは、拙稿「シャルル・ペギーの恋」(中央大学人文科学研究所『人文研紀要』第54号、2005年)を参照されたい)。
 このように、本人や周囲の人々が徹底的に伏せようとした恋愛譚が、100年後、極東の島国でインターネット上の「連載コラム」にぽろりと掲載されてしまうのだから、作家や著名人というのは大変である。だが、私は、ここで決して有名人の秘話の暴露を楽しんでいるわけではなく、今回、『フランス・ユダヤの歴史』を書きながら、頭の片隅でこのペギーの叶わぬ恋を考えているうちに、「ユダヤ」「キリスト教」「フランス共和国」からなる三角形の構図がますます重要なものに思えてきた、ということを報告したいのである。
 晩年のペギーは、間違いなく、妻方のボードゥアン家が与する非宗教・無神論の左派「共和主義」と、永遠の〈意中の人〉ブランシュが身を置く「ユダヤ」のあいだに中線を引き、その上にみずからの「キリスト教性」を位置づけようとしていた。そして、この同じ三角形を、ガタン、ガタンと左右に転がしてみると、「キリスト教」と「フランス共和国」のあいだの中線上で「ユダヤ」の意味をとらえようとするユダヤ教徒・ユダヤ人や、「ユダヤ」と「キリスト教」に立てたコンパスの弧の交点で「共和国」のあるべき姿を思い描こうとする共和主義者(ユダヤ教出自、キリスト教出自の別にかかわりなく)が、今、私が書き終えたばかりの『フランス・ユダヤの歴史』のなか、とくにドレフュス事件(第16章)以降の部分に頻出しているように思うのだ。
 そこから、ずいぶんな話の飛躍と受け止められることも覚悟の上で、現在のフランスに、そっと一つの問いを寄せておきたい。かつて、「ユダヤ」と「キリスト教」を繋ぐ線分を底辺として非宗教性(ライシテ)を原則とする「共和国」の〈三角形〉を思考するという、世界のどこにも例を見ない精神の一大実験を可能にしたフランスにあって、なぜ今、ユダヤ、キリスト教にイスラームを加えた正三角形を底面とし、新時代にふさわしい、知的にして、どっしりと懐の深い「共和主義」の〈三角錐〉を構想できないはずがあろう?
 私のこの問いは、イスラームを騙る殺人狂たちの残虐非道が依然やむ気配を見せない今日であればこそ(ふたたび、このコラムの原稿を書いている最中の2016年7月26日、ルーアンの教会襲撃事件が発生)、上のペギー書簡にあえて「引っかけた」まま、喪章とともに掲げ続けていきたいと思う。

 

(菅野 賢治)


  

連載:『フランス・ユダヤの歴史』(上・下)(菅野 賢治 著)記事一覧

第1回 「イントロダクション:地図を見る向き」(2016年7月25日 掲載)
第2回 「多言語主義のすすめ:いにしえのユダヤ教徒にならいて」(2016年8月1日 掲載)
第3回 「フランス文学とユダヤ(教)世界」(2016年8月8日 掲載)
第4回 「ユダヤ、キリスト教、フランス共和国――シャルル・ペギーの夢」(2016年8月15日 掲載)
第5回 「最終回:レオン・ポリアコフの〈間接的〉な思い出に捧げる」(2016年8月22日 掲載)

  

 

『フランス・ユダヤの歴史』(上、下)(菅野 賢治 著)

連載:『フランス・ユダヤの歴史』(上・下)(菅野 賢治 著)

『フランス・ユダヤの歴史(上)――古代からドレフュス事件まで』

 

▼追放、居住許可、移民、難民・・・絶えざる人の流れに彩られた「フランス・ユダヤ」の道程を語り下ろす、2000年の歴史絵巻、全2巻!

▼上巻では、中世のラシによる聖典注解、旧体制下のボルドー、アヴィニョン、アルザス・ロレーヌに花開いたユダヤ教文化、市民としての〈解放〉を見た「革命期」をへて、19世紀末のドレフュス事件まで、異文化の相克とアイデンティティー構築の過程をたどる。

 

■2016年8月22日書店にて発売!  本書の書籍詳細・オンラインご購入はこちら





連載:『フランス・ユダヤの歴史』(上・下)(菅野 賢治 著) 『フランス・ユダヤの歴史(下)――二〇世紀から今日まで』

 

▼追放、居住許可、移民、難民・・・絶えざる人の流れに彩られた「フランス・ユダヤ」の道程を語り下ろす、2000年の歴史絵巻、全2巻!

▼アメリカに次ぐ〈ディアスポラ(離散地)〉のユダヤ人口を擁する、現代フランス。 下巻では、両大戦間期のアシュケナジ移民、ヴィシー政権下の迫害から、戦後アルジェリア等からのセファラディ移民の流入をへて、シオニズム賛否に揺れる現代まで、「フランス人」と「ジュイフ」の二重性を生きる人々の感性を探る。

 

■2016年8月22日書店にて発売!  本書の書籍詳細・オンラインご購入はこちら

  

書籍詳細

上・下巻 上巻 下巻
分野 人文書
初版年月日 2016/08/22 2016/08/22
本体価格 5,000円(+税) 4,500円(+税)
判型等 A5判/上製/448頁 A5判/上製/376頁
ISBN 978-4-7664-2360-0 978-4-7664-2361-7
書籍詳細 目次や詳細はこちら 目次や詳細はこちら

  

 

著者 菅野 賢治(かんの けんじ)

1962年、岩手県生まれ。パリ第10(ナンテール)大学博士課程修了。東京理科大学理工学部教授。 専門はフランス語フランス語圏文学、ユダヤ研究。

著書に『ドレフュス事件のなかの科学』(青土社、2002年)ほか。訳書にレオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史』(全五巻、筑摩書房、2005-2007年)、ヤコヴ・M・ラブキン『トーラーの名において ―― シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』(平凡社、2010年)、同『イスラエルとは何か』(平凡社、2012年)ほか。

  

 

関連書籍