■第5回、「最終回:レオン・ポリアコフの〈間接的〉な思い出に捧げる」を公開しました。ぜひご覧ください。
上・下二冊もの大部な本を書いておいて、まだ「書き足りない」などといったら、出版会営業部の方々に呆れ顔をされてしまいそうであるが、今、『フランス・ユダヤの歴史』の全体を少し醒めた目で振り返ってみて、やはり「書き足りなかった」と感じるのは「経済」と「文学」の領域である。
「経済」については、第1章の末部でも述べたとおり、中世ヨーロッパ、貨幣経済の確立によってユダヤ教徒とキリスト教徒のあいだの社会関係に生じた断層(煎じ詰めれば、「お金」とは、「財」とは何か、をめぐる見解の決定的なずれ)が、その後の世界史にきわめて重要な意味をもったのではないかとの感触を得たが、これを通史のなかで余談的に扱うことはあまりに危なかしく、経済史に疎い私のような者の手には大きく余る仕事となった。そもそも、金銭を運用しながら利鞘を生み出す人間のことを指して「usurier(使う人)」という言葉が古くからあったにもかかわらず、それを「卑劣な高利貸し」という意味にずらす一方、「banquier(銀行家)」という言葉を新たに産み出していく過程など(第6章)には、まさに反ユダヤ(教)主義の「ツボ」を見る思いがした。時を下って、19世紀前半、サン=シモン主義に傾倒したユダヤ出自の青年たちのもとに観察される「産業・経済・金銭」と「祝福・交感・祈り」の止揚の試み(第12章)も含めて、他日、有資格者による奥深い『フランス・ユダヤ経済史』が企画されることを切に願う。
もうひとつの「文学」についていえば、これはもう、この本を文学史、文学論に偏向させてはならないという筆者の側からの遠慮、自制、自粛の連続であった。なぜといって、私も仏文学の末席を汚す一人である以上、いったんフランスのユダヤ(教)出自の文学者たちに紙幅を割き始めると、もはや抑えがきかなくなることはわかりすぎるほどわかっていたからである。ユダヤ教世界から出て、最初にフランス語で本格的な文学表現活動に乗り出したのは、第11章で言及したエリヤフ・ハルフォン・レヴィ(エリー・アレヴィー)であるが、1830年代には、ボルドー出身の初のユダヤ系女性作家ウジェニー・フォア(Eugénie Foa, 1799-1853)が、ユダヤ教を題材にした青少年向けの読み物をいくつか残している。ほかにも、バルザックの秘書をつとめながら20点あまりの凡庸な(しかし、だからこそ興味深い)劇作品を残したレオン・ゴズラン(Léon Gozlan, 1803-66)。あるいは、ユゴーやネルヴァルの親友で、アルザス・ユダヤ世界に関する興趣豊かな数々の作品を残したアレクサンドル・ヴェイユ(Alexandre Weill, 1811-99)。はたまた、「ベン=レヴィ」なる筆名のもとユダヤ教徒の子供向けの読み物を数多くものした、のちのマルセル・プルースト(右写真)の大伯父ゴドショー・バリュク・ヴェイユ(第13章)。そして、作品を書く側ではなく舞台で演じる側であるが、のちにサラ・ベルナールのあこがれの的となる女優ラシェル・フェリクス(Rachel Félix, 1821-58)。19世紀の半ばまでで、すでにこれだけの人物がいる。
「遠慮、自制、自粛」などといいながら、それは実のところ、また別の通史の主題として温存しておきたいという、筆者の密かなたくらみでもあった。『フランス文学のなかのユダヤ』――もしも私にこれを書く筆力、体力、そして何よりも紙幅が許されるようであれば、それがジョルジュ・ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』のような、章と章、節と節のあいだをジグザグに繋いでいく二層構造になることだけはわかっている。第一の層には、なんらかの仕方でユダヤ(教)世界を内側から描き出そうとしたユダヤ出自のフランス語表現作家(一部、上に名前を掲げた人々)が含まれ、第二の層には、中世から現代まで、ユダヤ教、ユダヤ人について実に豊かな「あることないこと」を語ってきた非ユダヤ出自のフランス語表現作家たちが名を連ねることであろう。
その場合、母方のヴェイユ家をつうじて、19世紀フランス・ユダヤ世界を代表するアドルフ・クレミュー(第12章)の古参イスラエリートの系譜にも連なりながら、『失われた時』を探求する語り手としては完全に非ユダヤの視点に立ったマルセル・プルーストには、やはり16世紀のミシェル・ド・モンテーニュ(第7章)同様、あくまでも「第二の層」から、いろいろなことを証言してもらおうと考えている。
(菅野 賢治)
▼追放、居住許可、移民、難民・・・絶えざる人の流れに彩られた「フランス・ユダヤ」の道程を語り下ろす、2000年の歴史絵巻、全2巻!
▼上巻では、中世のラシによる聖典注解、旧体制下のボルドー、アヴィニョン、アルザス・ロレーヌに花開いたユダヤ教文化、市民としての〈解放〉を見た「革命期」をへて、19世紀末のドレフュス事件まで、異文化の相克とアイデンティティー構築の過程をたどる。
■2016年8月22日書店にて発売! 本書の書籍詳細・オンラインご購入はこちら
▼追放、居住許可、移民、難民・・・絶えざる人の流れに彩られた「フランス・ユダヤ」の道程を語り下ろす、2000年の歴史絵巻、全2巻!
▼アメリカに次ぐ〈ディアスポラ(離散地)〉のユダヤ人口を擁する、現代フランス。 下巻では、両大戦間期のアシュケナジ移民、ヴィシー政権下の迫害から、戦後アルジェリア等からのセファラディ移民の流入をへて、シオニズム賛否に揺れる現代まで、「フランス人」と「ジュイフ」の二重性を生きる人々の感性を探る。
上・下巻 | 上巻 | 下巻 |
---|---|---|
分野 | 人文書 | |
初版年月日 | 2016/08/22 | 2016/08/22 |
本体価格 | 5,000円(+税) | 4,500円(+税) |
判型等 | A5判/上製/448頁 | A5判/上製/376頁 |
ISBN | 978-4-7664-2360-0 | 978-4-7664-2361-7 |
書籍詳細 | 目次や詳細はこちら | 目次や詳細はこちら |
1962年、岩手県生まれ。パリ第10(ナンテール)大学博士課程修了。東京理科大学理工学部教授。 専門はフランス語フランス語圏文学、ユダヤ研究。
著書に『ドレフュス事件のなかの科学』(青土社、2002年)ほか。訳書にレオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史』(全五巻、筑摩書房、2005-2007年)、ヤコヴ・M・ラブキン『トーラーの名において ―― シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』(平凡社、2010年)、同『イスラエルとは何か』(平凡社、2012年)ほか。