私は自由なのかもしれない
〈責任という自由〉の形而上学
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あなたの人生には、あなたに しかない固有の色が着いている のかもしれない。 だが、それがどんな色かを、 あなたを含めて誰も見ることが できない。 これが、「自由」ということなのだ
▼生命の自己保存を至上命令とする自然に生きる私たちに、「自由」はいかにして可能か。 ▼私たちの世界の存立構造の内に「責任」という仕方で兆した「自由」の可能性をめぐって、本書は、現代科学の議論を参照しつつヨナス、アレント、ハイデガー、レヴィナスらと共に、そして彼らに抗して、独自の思索を紡ぎ出す。 本書は、「自由」の起源を自然界における「自発性」に見出し、「心」から「意識」の成立を、一方を他方に還元できず、かつ両者の間には一方が他方を「支え」、他方が一方を「包む」という固有の関係性として捉え直すことで、形而上と形而下の論理を繋ごうとする。 このようにして生命の論理の支配下にいることに常に意識的でありながらも、それにも拘わらず、私は自ら欲したところのもので「ありうる」(「私は自由なのかもしれない」)。この純粋な可能性の次元に生きようとすること、これは誰に命じられたのでもない「自由」である。

朝日新聞 2018年12月29日(14面)『書評委員が選ぶ「今年の3点」』で書評が掲載されました。評者は野矢茂樹氏(立正大学教授)です。
週刊読書人 2018年11月16日(4面)で書評が掲載されました。評者は松葉祥一氏(神戸市看護大学教授)です。 本文はこちら

はじめに
序章 「ある」に訪れた危機 1 存在=現象 2 現象以前 3 現象以後 a 「ない」 b 固有性
第T部 自由
第一章 「私」という単独者 1 自然的世界の存在構制 2 生命の基本形式 3 自由の萌芽 4 「私たち」の/という共同体――中心化の相克と共存 5 「私」という単独者――中心化の転倒
第二章 私は自由なのかもしれない 1 想像力 2 純粋な可能性 3 因果必然性と自由 4 現代 ……
著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
斎藤慶典(Yoshimichi Saito) 1957年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。哲学博士。現在、慶應義塾大学文学部哲学科教授。専攻は現象学、西洋近・現代哲学。 著書に『フッサール 起源への哲学』『レヴィナス 無起源からの思考』『知ること、黙すること、遣り過ごすこと』『「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦』(以上講談社)、『「実在」の形而上学』(岩波書店)、『デカルト――「われ思う」のは誰か』『デリダ――なぜ「脱−構築」は正義なのか』(以上NHK出版)、『生命と自由――現象学、生命科学、そして形而上学』(東京大学出版会)、『死の話をしよう――とりわけ、ジュニアとシニアのための哲学入門』(PHP研究所) など。
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