戦後、ヒロシマとナガサキは、一体何を象徴し、神話化してきたのか ▼敗戦/終戦、そして原爆投下から65年。戦争体験者や被爆当事者が失われつつある今、あらためて原爆の投下と被爆の人類史的意味を批判的に検証していくなかで、国境と世代を越えて、ヒロシマとナガサキを考える意義を明らかにしていく。 ▼日本の戦争被害者意識を正当化する根拠として、「唯一の被爆国/被爆国民」 という 「集合的記憶」 を構築し、自らの戦争責任、戦争犯罪に対する免罪符を与えようとしてきた日本政府と、そのようなナショナル・アイデンティティの構築へのマスメディアの介在を分析する。 ▼広島市、長崎市、原爆資料館等の協力を得て、写真や資料を多数掲載。
本書は、日本図書館協会選定図書です。
 特別寄稿 「なぜ、いま、原爆をあらためて考える必要があるのか?」 奥田博子 (南山大学外国語学部准教授)をご覧いただけます。


序 被爆から被曝、そしてヒバクへ ヒロシマ、ナガサキ、そしてヒバクシャ 「ヒロシマ」「ナガサキ」とは何か? 記憶とは何か? 現代社会史的な日本の「戦後」区分 「唯一の被爆国/被爆国民」という神話 本書の構成
第I部 軍都「廣島」「長崎」からヒロシマ/ナガサキへ 第1章 なぜ、広島と長崎が原子爆弾の投下目標となったのか? 広島のなりたち 長崎のなりたち 広島の近代都市化・軍事化 長崎の近代都市化・軍事化 ……
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奥田博子(OKUDA Hiroko) 南山大学外国語学部准教授。 米国ノースウエスタン大学大学院コミュニケーション学研究科博士後期課程修了。 主要論文に、“Japanese Prime Minister Koizumi's Call for International Cooperation,” Journal of International and Intercultural Communication 2, 2009, 「日本における『ヒロシマ』と『ナガサキ』――記憶の抗争」、日本記号学会編『写真、その語りにくさを超えて』(慶應義塾大学出版会、2008年)、“Murayama's Political Challenge to Japan's Public Apology,” International and Intercultural Communication Annual XXVIII, 2005などがある。
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