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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第4号(2006年9月)
 
 

我々の責任

 ご賛同頂けると思いますが、『交隣須知』をはじめとする先人が遺された努力を私達は決して無にしてはなりません。私も限られた力ながら努力を惜しまないつもりです。そして皆様のような高い「志」を懐き才能溢れる若い方々の活躍こそが、何よりも不可欠です。こうした認識に基づき、将来の日韓に関して私達が担う責任を考えてみたいと思います。現在、慶應義塾大学の福田和也教授が、『文藝春秋』誌に連載「昭和天皇」を発表されています。8月号では、「皇太子のマナー教育」と題し、1921年に欧州に外遊された皇太子時代の昭和天皇と側近の話が書かれています。その中で福田教授は日韓関係にも触れられています―大韓帝国初代皇帝で退位を強要された李太王が1919年に急逝しましたが、朝鮮では毒殺説が流布し、また葬儀に際して「(日本側の)朝鮮総督府の対応は、信じ難いほど愚劣なものであった」そうです。そして、同教授は、「このような処置が、どれだけ朝鮮の人々を傷つけたかは、容易に想像できるものだろう」と書き、日本側の対応が「サミルンドン(三・一運動)」等の各地における反日独立運動を誘発した歴史を我々に教えて下さいました。私がここで注目するのは、「サミルンドン」によって著しく傷ついた日本の「国際的イメージ」です。また福田先生の記述の中でもう一つ私が感じたのは、帝国日本に対する朝鮮の人々の憤りの日本への影響です。すなわち、朝鮮の人々の日本に対する反発は、@我が国自身の対外的評価を損なうと同時に、A皇太子であられた昭和天皇の外遊時、襲撃の恐れから厳重な警備体制を強いられ、警備が手薄とされた寄港地の香港では、囮の役割を果たす陽動隊まで編成されることになりました。

 日韓の軋轢はこのように@日本の「国際的イメージ」、A「最近隣国」韓国との確執による全世界的に被る日本自身の負担という視点から再評価する必要があると考えます。そして、この2点を考えた上で私達の責任を考えてみたいと思います。まず、@の日本の「国際的イメージ」ですが、これは日本の「国際的イメージ」を懐くのは「誰」かという問いに従い考える必要があります。すなわち、日本自身が懐く「国際的イメージ」のほか、韓国、中国、北朝鮮等のアジア諸国、更には小誌第2号で示したように我が国にとって最も重要な国際的パートナーである米国、そして欧州諸国、これらの国々が懐く日本の「国際的イメージ」です。ここでは私の限られた経験である上に、また紙面の制約から単純化し過ぎて誤解を招く危険も覚悟の上で、韓国と欧州諸国に関して私が留意している点について触れてみたいと思います。尚、自己イメージは皆様ご自身でご判断されるのが適当でしょうし、中国やその他のアジア諸国、そして米国については改めて次号以降にご説明します。また北朝鮮は私が持つ判断材料が余りにも限られたものですので、控えさせて頂きます。

 韓国が持つ日本の「国際的イメージ」について興味深い一つの点をご紹介します。本学の韓国出身の友人達は、中国出身の方々同様、一つの決まった意見を私に語ります―「ジュン、もしボクが韓国国内に居て、韓国国内の情報だけで判断するとしたら、恐らく『反日』の意見を持っていたでしょう」、と。これに関連して次のようなことも言ってくれます―「政治家や企業人のなかには、韓国にとって良好な日韓関係こそが重要であると理解している人は多くいます。しかし、『反日』というナショナリズムの方向に大きく傾く世論に抵抗することは難しいのです」、と。私はそうした意見に対して、いつも微笑みながら次のように答えます―「大丈夫ですよ。何故なら、そうした状況を分かっておられるあなた達がいらっしゃるから。また日本も過去において世界情勢に暗い人々が大勢を占めてしまったために先の世界大戦に突入しました。我々も昔の教訓を生かしますから大丈夫ですよ」、と。

 次に欧州諸国が抱く日本の「国際的イメージ」に触れます。私は彼等の視点を重視しています。その理由は、欧州の人々は、東アジアの状況を或る意味で「対岸の火事」の如く、平静にかつ冷淡に観ることが出来る地政学的距離を保てるからです。従って、ケンブリッジで私は欧州の無責任な対中武器輸出に関して仏独両国出身の友人と冷静ながら厳しい調子の討論をする一方、ナショナリズムが絡んだ日中韓3ヵ国間の熱い関係に関して彼等が下す極めて冷淡な見解を、「公平」かどうかは別として尊重しております。そして彼等の「対日イメージ」を一言で要約すると、「日韓の差はよく分からない」ということです。
 脱線で恐縮ですが、興味深い私の経験をご披露します。本学周辺には韓国料理店が幾つか在り、そこでは必ずと言って良い程、寿司や刺身も食べられます。欧米の友人と共にそうした韓国料理店に行きますと、彼等は時折寿司を、私は「必ず」韓国料理を注文します。彼等が不思議そうに「ジュン、ここではどうして寿司を頼まないの?」と尋ねるので、私は「この店は韓国系の人が経営する韓国料理店だから」と答えます。その時彼等は驚いた顔で「何処が違うの?」と質問します。こうした問答を数回経験すると、「ははん、欧米人(そして豪州人等)は日韓の差は判らないのだ」と実感します。確かに欧州から観れば、日韓摩擦は「コップの中の嵐(A [storm/tempest] in a teapot/Une tempête dans un verre d'eau/Ein Sturm in der Teekanne)」としか映らないのでしょう。しかもこの場合、相対的に大国である日本側が不利に映るのも容易に理解出来ることでしょう。逆に、ドイツとポーランドとの確執、或いはベルギーにおけるフラマン語圏とワロン語圏との確執に関して、私達は同様に「コップの中の嵐」と感じます。こうして、欧州だけでなく、ラテン・アメリカや中近東諸国、更には米国でも、(a)欧州・中東・ラ米等世界全体を俯瞰しつつ米国の戦略を練るグローバル・ストラテジストや、(b)伝統的で今尚主流派である欧州との関係を第一義に考えるアトランティシスト(Atlanticists)から観れば、日韓の軋轢は、「蝸牛角上の争い」としか映りません。しかも、日本側の主張・態度が世界的な価値観で正当化されない限り、強国である日本側に不利な「国際的イメージ」が形成されてゆくことは明白であります。

 次に、A「最近隣国」韓国との確執から、日本が全世界的に被る負担について考えてみましょう。日韓摩擦等により日本が被るマイナスの「国際的イメージ」を払拭するため、日本は様々な形の「余計・不必要」なコストを負担するする状況に陥る危険性があります。例えば、国連での地位・評価を考えてみましょう。日本による多額の国連分担金や積極的な国際平和維持活動(PKO)等は誰もが認めるところですが、こうした努力に見合う国連内での地位・評価に関してはもう少し検討の余地がありましょう。これについては地道な努力を要しますが、明らかに中韓両国との関係改善は最重要課題の一つです。また、中韓両国の対日非難が、思わぬ形で、しかもグローバルに伝わる危険性があります。IT時代に入って、真偽にかかわらず、情報が瞬時に世界中を駆け回る事態が出現してきました。根拠の無い悪意ある情報が、国籍を問わず日本の行動に不満を持つ人々によって世界中に流布された時に我が国が被る損失を事前に予測することは不可能です。この意味でも、「備え有れば憂い無し」の精神で、日韓関係の改善に皆様と共に努力したいと思っています。

 私はこれまで、それぞれ多寡はありますが、@日本人の韓国に対する知識の欠如、A日韓友好に向けた我が国先人の努力、B植民地時代に行った帝国日本の過ちとそれに対する韓国の人々の屈辱感と反発、C日韓の軋轢による日本の「国際的イメージ」の悪化の危険性及び日本が被る全世界的な負担、以上4つについて論じてきました。良かれ悪しかれ、韓国は日本にとっての「最近隣国」故に、地理的にも歴史的にも難しい問題を抱えることは地政学上必然でもあります。そして物理的に離れられない以上、日韓両国は、(a)将来、創造的な形で関係を維持・改善するか、それとも(b)相当の覚悟と戦略的計算の上で対立的な関係にするのか、二者択一を迫られています。この選択に関して、私は日本の戦略的課題に照らし合わせて次のように考えます。小誌前号で述べた通り、私は今世紀初頭における東アジア最大の課題は「中国の発展過程で噴出する問題に対し、日米両国が協力して如何に中国に助言と苦言を案出するか」と考えております。その上で、中国と上手に付き合いつつ、朝鮮半島と台湾海峡の問題を平和裏に処理する必要があります。こう考えれば、日本の戦略的課題の順位から勘案して、韓国との良好な関係は必要不可欠になります。

 では翻って、韓国の戦略的課題から照らし合わせた場合の日韓関係はどうでしょうか。残念ながら、韓国現政権の外交戦略は韓国の友人ですら「分からない」と答えています。また私自身韓国政治の専門家でもありません。そうは言っても皆様に申し訳ないので、誤解を恐れず、日米中を中心に観察している一研究者の視点として、我流ながら大胆に韓国の政治課題をまとめてみます。すなわち、韓国の政治課題は、@自由主義世界のなかでの長期的・安定的な経済発展、A悲願の南北統一に向けて長期的な視野に立った努力、B常に強硬な姿勢を示す北朝鮮に対する忍耐ある対応、C韓国国内における「親北朝鮮派」を睨みながらの国内政治の安定、D韓国併合以後の反逆者(対日協力者/チニルパ/※※※)に対する糾弾と歴史の清算、以上5つであると私は考えます。同時に、上記5つの政治課題は、一方を重視すると他方が軽視されるという形で、「整合性」を欠くものと私には映っています。こうした政策課題の「不整合性」の結果、韓国を傍らで眺める私達や米国人(時には韓国人自身)が、韓国の行方に対して不安と疑念を抱くことになると考えております。

 これを対日関係改善に絡めて考えますと、@の経済発展に関連して、韓国の主要産業における国際競争力は日本の精密部品産業によって支えられている現状を勘案しますと、日韓の友好関係は不可欠です(ここでは省略しますが、韓国産業界の内部でも様々な理由から意見は完全には一致しておりません)。しかし、その一方で、Aの南北統一とDの歴史の清算に関して、北朝鮮と韓国は協力して日本と対峙する形になっております。特にAでは、日本の反発を招くとしても、日本の植民地時代の辛い記憶を強調することは、南北朝鮮民族に統一への意識を強める効果があります。また、Dの歴史の清算について私自身は部外者なので善悪の価値判断は出来ませんが、韓国国内での対日協力者に対する今尚続く厳しい批判は傍らで見聞きする私でさえ驚かされ、「歴史の重み」を感じさせられます。  北朝鮮との関係でも、韓国の政治課題に「不整合性」が見られます。Aの南北統一では北朝鮮と同意見でも、B「火の海(※※※a sea of flame)」という表現を平気で使う北朝鮮の傲慢な態度は、安全保障上また経済的にも韓国に対して脅威を呈しています。またCの北朝鮮寄りの国内左派が韓国政治を不安定にする危険性もあります。換言すればAの統一を推進すればするほど、現状ではBとCにおいて韓国は苦境に陥る訳です。加えて@の経済発展に関し、韓国は自由主義社会の一員であり、更には大戦後、Bの点でも覇権国米国の「力」を必要としております。しかし、近年、Aの統一を強調するあまり、韓国はテロリストと連携して国際秩序を乱す北朝鮮に苛立つ米国から厳しい目で睨まれつつあります。

 韓国に対する米国の不満と疑念を強めさせるもう一つの要因は、北朝鮮寄りの中国の台頭です。現在、韓国の主要企業は中国市場を狙って様々な努力を行っています。その結果、韓国の対中輸出は対米輸出や対日輸出を上回るようになりました。こうして韓国国内で対米依存の意識が希薄化し、逆に若年層を中心に南北統一が膠着状態にある元凶は米国だと考える人々が多くなりました。こうした韓国の動きは、米国の太平洋政策を考案するパシフィシスト(Pacificists)やグローバル・ストラテジストのなかに韓国に対する不満と疑念を招いております。小誌前号でも触れた韓国の著名なジャーナリスト、カン・ヒョサン(姜孝祥/※※※)氏は、『文明の衝突(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order)』で有名なサミュエル・ハンチントン本学教授と面談した際、同教授から「朝鮮は歴史的に中国の庇護の下にあったのだから、韓国が米国と袂を分かつのも驚くことではない」と言われたと私に語ってくれました。この話を聞きつつ、韓国現政権が唱える(私には理解不可能な)「北東アジアのバランサー(※※※※※※/Balancer in Northeast Asia)」論を思い出し、更には、日清及び日露戦争時の世界情勢や桂=タフト秘密協定等を思い浮かべておりました。中露両大国に隣接し、海峡を挟んで強国である日本、更には太平洋を挟んで極超大国米国と接する南北に分断された朝鮮半島を包む国際環境はまことに厳しいものです。

 このように、歴史、ナショナリズム、そして複雑な国際関係が絡んで、日韓関係改善は容易ではありません。つい最近、アジアで開催された会合に出席した米国の同僚が、私の顔を見るなり、こう言いました。「ジュン、大変な会合だったよ。韓国人が日本を感情的に非難して会合は台無しだったよ。だからアジアは嫌いなんだ」、と。それを聞いて、日韓関係の難しさを改めて感じた次第です。前述した通り、日韓に横たわる軋轢の起因は確かに日本です。従って日本側は弛まぬ努力をする責務があります。しかし同僚が私に洩らした言葉でお分かりの通り、韓国自身の将来を考える上でも、良好な日韓関係を形づくる努力を韓国の方々にもお願いしたいと考えます。20世紀以降の日韓関係は、不幸にも@戦前の流血を伴う交戦(belligerent)状態から始まりました。しかし様々な人々の努力で、A戦後から現在に至る過程で、一部に感情的な「非難」が飛び交う敵対的な(antagonistic)関係が残存するものの、平和的な(amicable)関係にまで到達しました。が、これまで述べてきましたように、残念ながら未だB友好的な(friendly)関係を結ぶ分野は極めて限定的です。とはいえ、日韓両国の国益を考える時、@からBへの方向性を逆回転させるのは愚かなことであると誰もが認めて下さると思います。私達の責任は、(a)難しい過去と複雑な国際関係を認識し、(b)寛容と忍耐を忘れず、感情的で「非生産的」な「非難」の応酬を避け、(c)日韓双方向の建設的な批判が自由闊達に許される機会を作る必要があります。こうして友好的関係に一気に到達するのは無理であるとしても、平和的関係を強固なものにしてゆくことが肝要です。

 ボストン大学に、ウィーンに在る人間科学研究所(Institut für die Wissenschaften vom Menschen (IWM))の姉妹機関である人間科学研究所(Institute for Human Sciences (IHS))があります。私はこの研究所主催の会合に頻繁に参加しておりますが、ここでの会合は米欧関係と欧州内問題(西欧や旧共産諸国)を扱うもので、黒い髪をした東洋人の参加は大抵2、3人で、私一人だけという時すらあります。美しい赤い髪やブロンドの毛をした東欧の人々と、ヴォルガ系ドイツ人(Wolgadeutsche/Volga Germans)の悲劇や、大哲学者イマヌエル・カントや日本にも縁の深いブルーノ・タウトを生んだ街ケーニヒスブルクの悲惨な状況等について話していますと、「やっぱり彼等からすれば、日中韓はひとくくりにした『東洋人の国』なんだな」と感じ、同時に日本人と朝鮮人との異同を軽快に論じた海音寺潮五郎・司馬遼太郎対談録『日本歴史を点検する』の中の数々の興味深い言葉を思い出しつつ思わず微笑んでいます。繰り返しになりますが、東アジアで展開する熱い争いも、憎しみが今尚蓄積する中東や、経済的困難に直面する東欧を含む世界全体からすれば、「コップの中の嵐」にしか過ぎないのかも知れません。

 こう考えますと、私達は創造的精神で、平和的な日韓関係を形づくってゆく必要があります。嘗て石橋湛山首相は、アジア外交に関し、「軽薄弱小」ではなく「深刻強大」なる打算主義を抱くことの重要性を、また、「大欲を満たすがために小欲を棄てる」ことの重要性を説きました。「我が国の総ての禍根は小欲に囚われていることだ、志の小さいことだ」と語る石橋首相の教えに従い、私達は一層の高い「志」と「大欲」を持たねばなりません。その意味で、冷静な頭脳と熱き心を以って、私達は日韓の知的対話を推進する必要があります。しかし、その道程は決して楽ではありません。先日、日本サムスン株式会社の顧問をされている石田賢氏から興味深いお話を伺いました。歴史的価値判断は別として、以前は日本語を解する韓国の方々が大勢いらした御蔭で、日韓で質の高い知的対話を日本語で行えたそうです。しかし、そうした韓国の方々がご高齢になり、また数の上でも少なくなるにつれて、会話の内容がキムチ等、日常的な次元の低いものとなり、将来の日韓対話の質的劣化が心配されるとのことでした。私は石田氏のお話を聞いて、政治経済的に重要な日韓関係における知的な「ヒトの和と輪」を強化する必要性を改めて感じた次第です。

※はこのサイトでは表示されない文字です。PDFファイルには表示されています。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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