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The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第6号(2006年11月)
 
 

4. 編集後記

 「栗原後悔日誌@Harvard」第6号の本文は以上です。私にとっての初の訪中は1979 年夏です。学生代表団の一員として、感激しつつ敬愛する周恩来総理のお国の土を踏みました。外国人の訪中が極端に制限されていた当時は、宿泊先は北京の友誼賓館を除くとすべて共産党幹部の宿舎だった記憶があります。日本人を含む外国人が少数でしたからどこでも「熱烈歓迎」を受け、また珍しがられました。煙草を吸わない私ですが熱心に勧められたので友好のためと思い吸った記憶があります。また友人が「街なか探索」をしたためにスパイと勘違いされて公安局の監獄に入れられ、団長が大慌てで共産党幹部と交渉していた珍事も目撃しました。30年近く前のことなのでもう「時効」として許して頂けると思いますが、私も大失敗をしました。炎天下の中、或るトラクター製造工場を訪れたのですが、広い敷地にポツン、ポツンとトラクターが散在しておりました。通訳の方から「栗原さん、日本にもこんな工場が有りますか?」と聞かれた時、暑さと喉の渇きからか、考えと心配りが足りず「40年ぐらい前なら有ったかも知れません」とポロッと言ってしまいました。ご想像の通り、その通訳の方は二度と私とは口を利いて下さいませんでした。また街中を歩いていると一人のお婆さんが私達が如何なる集団なのかを周囲の人に聞いた途端、顔を引きつらせて猛然と私達に向ってこられました。案内役の共産党の方々が間に入ってお婆さんは取り押さえられましたが、この「戦争の傷跡」が噴出した光景―それは私達の訪中で唯一経験したものでしたが―は私の瞼に焼きついております。そして今、敗戦後、10ヵ月で無事完了した中国からの復員・帰国と、戦後も長く「傷跡」を更に深めたソ連からの復員を比較しつつ、日本の節度ある対中政策を求めた朝河貫一博士や石橋湛山首相等の主張を読み直しております。さて、本学には戦前のJP モルガン日本支店長で、米国財界の有力者だったトーマス・ラモント氏の名にちなんだ図書館があり、私も音楽や映画のCD やDVD を頻繁に借りています。彼は1920年に「極東では太平洋を挟む(日米)両大国が協調し理解している限り、平和が保障される…その第一の証拠が中国である(In the Far East, peace can be permanently secured only if the two great Power slying on either side of the Pacific work together in harmony and understanding. . . . The first evidence of this should be our common attitude towards the Chinese nation.)」と語っています。私も本学で米国、そして中国の友人と共に知的対話を通じて、東亜の平和と繁栄を今後とも考えてゆきたいと思います。 以上

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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