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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第6号(2006年11月)
 
 

米中関係@Harvard

 小誌前号でも紹介しましたが、8月から9月にかけてThe Cambridge Gazette で何度もご紹介している中国高級官僚研修プログラム(中国公共管理高※培※班)が実施されました。私は唯一の日本人としてそれに参加しましたが、レセプションの際、ディヴィッド・エルウッド校長から、「今何をしているの?」との問いに、「日米中三国間関係の本を書いております」と申し上げました。「ほぅ、それは凄い」との校長の発言に、当時原稿を未だ完成していなかった私は「しまった!! 校長先生に申し上げた以上はもう引き返せない」と後悔した次第です。同プログラムのリーダー格であるセイチ教授は、歓迎晩餐会のスピーチの中でリチャード・クーパー経済学部教授や燕京研究所長で東洋思想の泰斗、杜維明教授等の本学を代表する教授をご紹介された後、私の名前に触れて日本からも一人その場に参加していることを紹介して下さいました。私は再び「しまった!! 校長先生やクーパー先生に私が中国と親密な日本人だとの印象を与えてしまった。非力で怠慢な私自身の実力が露見してしまうが、こうなったら日中友好のためには全力を尽くすしかない」と複雑な心境に陥りました。晩餐会では隣の方の息子さんが日本に留学中ということで話が盛り上がり、乾杯の時に「イッキ!」と仰ったのには思わず恥かしくなってしまいました。こうしたなか日本留学の経験をお持ちで日本語が流暢な共産党幹部の方々が近寄って来て下さり、素晴らしい機会を得た幸運に喜んでおりました。

 さて皆様、憎しみが憎しみを生んでいる中東情勢をみてお分かりの通り、戦争とは本当に悲惨なものです。太平洋戦争での敗戦直後、生き残った帝国海軍の将官達が集まり太平洋戦争突入時を議論した記録『海軍戦争検討会議事録』という本があります。その中に開戦2ヵ月前、山本五十六連合艦隊司令長官が語った言葉を記憶した方の発言が出てきます―「一大将としていわせるなら、日本は戦ってはならぬ。結局は国力戦になってまける。(日中戦争で)日本は…疲れてる。また戦争すれば、朝鮮・満州の民族も離反する」、と。山本長官の予想通り、日本は米国との国力差から当然の如く敗れ、そして周囲の国々からの恨みを招き入れました。敵味方関係無く、一般市民を巻き込む近代戦は正しく悲惨です。昨年夏にエルウッド校長、同僚のジュリアン・チャン氏と共に3人で東京を訪れて、日本銀行の堀井昭成理事及び塩崎恭久官房長官と会食をした際にもサイパン島玉砕時のバンザイ・クリフから飛び降りる御婦人の姿をとらえた記録映画等の話が出て、5 人とも思わず一瞬沈黙した次第です。私には完全な形で把握する能力はありませんが、沖縄戦の記録映像の中にあって、震えながら茫然とする子供の姿を観るだけで悲しみと苦しみが存在したことだけは理解できます。この意味で本土決戦を前に終戦を迎えさせた昭和天皇のご決断と、冷静な判断ができなくなった中堅将校の軽挙妄動を阻止した阿南惟幾陸軍大臣のご努力を思い浮かべる時、身が引き締まる気がします。

 小誌で何度も触れたアジアのリーダーが集い中長期の展望に関してオフレコで自由闊達に議論する会合(Asia Vision 21 (AV21))でも素晴らしい中国の方々とお目にかかる機会を持ちました。ただ、皆様容易にご想像して頂けるでしょうが、日中関係は当然ながら良好な部分だけではありません。難しい歴史の問題、特に靖国神社については、シンガポールやオーストラリア、そしてハーバード大学の研究者までもが私に対して、すべてが正確ではないにしろ厳しい発言をなさいました。その時、中国の年配の方が次のように仰いました。「私は日本の方々が日本の過去をどうお感じになろうと構いません。またどう行動されるのかは日本の方々の意思と責任ですから私が意見を述べる資格はないでしょう。ただ一つだけ申し上げたいことがあります。戦後、私の母はいつも私を含む子供達に言い聞かせていました。お前達は運が良かった。成長して聞き分けが良い子供達だったから。一番下の子は赤ちゃんだったので日本兵が私達が隠れていた場所に近づいて来た時、私は泣き止まぬその子の口を塞ぎ、この手で我が子の命を絶ったんだよと泣きながら話していたのです。私はその時の母の辛そうな顔が忘れられないのです」と静かに仰いました。

 このように米国東海岸で日米関係を考えれば考える程、中国を考えざるを得なくなってきたと私は感じております。また中国も同様に中米関係を考えれば考える程、日米同盟を考えざるを得なくなっています。そして、ここにおいても日中間の知的対話は大変難しいものがあります。その主な原因を挙げますれば、@双方が歴史を含めて、不完全な情報に基づき先入観を抱いていること、A公の場で冷静に議論するという歴史が浅い日中両国の人々は、公の場では感情的な議論が支配的になるか、或いは互いに強硬派による意地の張り合いに陥り、互いの立場を理解して、その違いを埋める建設的な努力をする領域にまで達しないこと、B国際関係の知識が浅ければどうしても日中という二国間関係で議論するという姿勢になり、グローバルな文脈や環境の中での日中関係という捉え方ができないこと、以上3 点を私は痛切に感じております。こう考えますと、私達は、@歴史も含め、母国語だけの情報だけでなく、英語文献、可能ならば中国文献も含めた形で、情報を冷徹に整理・選別し理解する必要があること、A感情的な対決姿勢の議論は避け、話し合いの目的を限定化し、また明確化すること、B米国を含む第三国の人々から観ても納得してもらえるような世界的に通用する価値観で理論武装し、また第三国の人々にもグローバル化した国際社会の中での日中関係の意義を正確に認識してもらうこと、以上3 点が今後の我々の努力の方向性だと思っています。

 中国にご関心のある方なら、中国改革フォーラムの鄭必堅理事長の言葉「中国の平和的台頭(中国和平崛起/China’s Peaceful Rise)」をご存知と思います。2003年11月3日、博鰲(ボアオ)アジア・フォーラムで同理事長の「中国の平和的台頭の新しい道とアジアの未来(中国和平崛起新道路和※洲的未来)」と題した講演がこの言葉が世界に広まる最初の機会とされています。その直後、12月7〜10日の訪米の際、温家宝首相もこの言葉「中国の平和的台頭」を本学で触れられています。10日、本学を訪れた温首相は、「中国に目を向けて/≪把目光投向中国≫/Turning Your Eyes to China)」と題して本学に集まった知識人及び将来のリーダー達の前で語りかけました。セイチ教授からこの講演の予定を伺った時、生憎私は一時帰国の予定を既に入れてしまった後でしたので、その講演会の様子は資料と友人の話で知りました。それによれば、本学ビジネス・スクール(HBS)のバーデン・ホールで、所持品の制限、時間厳守等の厳重な警戒の中、本学のローレンス・サマーズ総長、キム・クラークHBS 校長をはじめ、ドワイト・パーキンス教授等多数の研究者が参加し、中国側からも李肇星外交部長、馬凱国家発展・改革委員会委員長、魏礼群国務院研究室室長、楊潔※駐米中国大使等、またクラーク・グラント駐中米国大使に加えて多くの報道陣等、総勢約800 人程の会合だったそうです。同首相は、@老子、荘子、孔子、孟子、孫文という中国の発展に貢献した人物に言及しつつ、Aハーバード大学に縁の深いエマーソン及びフェアバンクが抱いた中国に対する関心に触れ、更にはB作家のディケンズやドライサーが描く英米初期資本主義時代における労働者の苦境に触れつつ、現代中国の抱える難題と将来の方向性を説明されました。そして、将来の指導層を形成するであろう中国人エリートと米欧の知識人の前で、同首相は日中戦争時の思い出―同首相の家と祖父が築き上げた学校が日本軍によって焼かれたという辛い事実―を語られました。その場にいた日本の友人はその時の複雑な心境を隠せなかったと語ってくれました。こうしてハーバード大学で、中国の今の指導者が将来の中国指導層の一角を成す研究者・留学生、そして世界の知識人の前で、彼等の歴史認識を伝えたという事実とその日本の「国際イメージ」への影響について考えさせられた次第です。

 冒頭で申し上げましたように、私達フェローはいずれの専門分野であるにしろ、様々な経験を積んだ人々の集まりなので、日中間での知的会話も相対的には冷静にできるような気がします。しかも会食や研究会を重ねて時間をかけてゆっくりと築き上げている、直接的・継続的で双方向の知的対話ですから彼等の「本音」をうかがい知ることができます。或る中国人フェローに向って私が鄭理事長の「中国和平崛起」を最初に聞いた時、私が第一に思い浮かべたことは幕末の志士、吉田松陰が残した言葉「草莽崛起(ソウモウクッキ)」であったことを伝えました。皆様ご存知のことと思いますが「草莽崛起」は、日本が近代化に向けて旧来の身分制度を破壊し、新しい形の人材活用制度を作り出そうという時代を象徴するような言葉です。随分昔に学んだ「崛起」という言葉が中国語で再び巡り会えたことは感慨深いと中国出身のフェローの方に申し上げました。これに応えて、その方は日本の明治維新を称賛し、「ジュン、中国は政府に対して建設的に批判するという『ヒト』を必要としています。日本の福澤諭吉のような『ヒト』が必要なのです。でも…」とそこで言葉を濁されました。私は近代日本を築いた福澤諭吉や西周等、先人達の努力に感謝する一方で、近代化に苦悶する現代中国のエリートの心境を垣間見たような気になりました。

 米中対話の際、米国の方々は、「民主主義」や「市場原理」を人類共通の普遍的原理として中国の方々に対して厳しい姿勢で臨まれることがあります。しかし西洋史や米国民主主義の歴史を顧みましても、諭吉が翻訳したとされるトクヴィルの『アメリカの民主主義(De la démocratie en Amérique)』、それにジョン・スチュワート・ミルの『自由論(On Liberty)』が指摘した「多数者の専制(le despostisme de lamajorité/the tyranny of the majority)」という危険性を民主主義は内包しております。従って、小誌前号で触れましたように市民が自らを政治教育して「良識」を持たない限り、理想を追い求めたヴァイマール・ドイツや革命直後のフランスに代表されるように、「大衆(the masses)」は「愚衆(ochlocrats)」となり、ヒットラーやロベスピェールのような煽動家に簡単に操作されてしまいます。また1978 年の「改革・開放」前まで中国経済を疲弊させたのも彼の「文化大革命」ですが、これも紅衛兵等による一種の「多数者の専制」であり、良心的な中国知識人が弾圧されたことは皆様ご承知の通りです。ミルは『自由論』の中で、西洋から観れば羨むばかりの才能溢れる人々を擁する中国が何故発展できないのかを説明します。そしてその理由をミルは「習慣の専制(the despotism of custom)」としています。現代中国が「習慣の専制」から脱却し、13 億の人民を政治教育させて彼等に「良識」を持たせ、「多数者の専制」の危険を回避して、自由主義に基づく中国を築き上げることが可能かどうか。私には長い歳月を要する課題に見えてなりません。因みに我等が諭吉は『文明論之概略』の中で、「西洋諸国に行わるる衆論は、その国人各個の才智よりも更に高尚にして、その人は人物に不似合いなる説を唱え不似合いなる事を行う者と言うべし。右の如く西洋の人は、智恵に不似合なる銘説を唱(となえ)て、不似合なる巧を行う者なり。東洋の人は、智恵に不似合なる愚説を吐(はき)て、不似合なる拙を尽くす者なり」、すなわち「西洋人は各自の才能以上の高尚なる話をし、東洋人は各自が持つ智恵以下の話をする」と言ってます。続けて諭吉は東西の差を「衆議の習慣」、すなわち同じ習慣であっても、「『良い』習慣」である質の高い知的対話を「第二の天性」にしているかどうか、と明解に論じています。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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