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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第6号(2006年11月)
 
 

グローバル時代の日中関係

 2 ヵ月程前の9月11日、ボストン大学に在る人間科学研究所(IHS)が主催する会合「新たなグローバル・コンテクストの中での米露関係(U.S.-Russian Relations in the New Global Context)」に参加しました。会合ではカーネギー平和財団(CEIP)のアンドリュー・カチンス氏とCEIP モスクワ事務所のリーア・シェヴツォヴァ女史が米露関係を話されました。カチンス氏はプーチン大統領に招かれた時の思い出話を語りました―30人程の外国人招待者は2人のアジア人(日中それぞれ一人)を除きすべてが欧米諸国出身であったが、同大統領が最も大切に扱った客が中国からの方だったそうです。私は現在、中国の欧州及びロシア経由での経済・技術交流が如何なる形で発展するかに興味を持っています。カチンス氏が現在露中関係に関する本を書いていると聞き、会合の翌日、同氏から電話で様々なことを教えて頂きました。このように世界政治経済を鳥瞰する際、米国だけでなく、朝鮮半島を含む東南アジア、更には欧州、ロシア、そして中東、アフリカ、ラテン・アメリカといずれの国・地域との関係をとってみても中国の行動をはずして考えることができなくなりました。経済活動だけでなく研究でも同様で、私の周囲の研究者もセイチ教授や本学に集まる中国の高級官僚や研究者の意見を聞かずして自らの分野の研究ができなくなりつつあります。また欧州の研究者は私に日本ではなく、今年日本を抜いて世界第2 の自動車販売台数と予想される中国の話ばかり聞いてきます。

 脱線で恐縮ですが、私の周囲にアジア地域研究の専門家で鳥インフルエンザの緊急医療体制に関心を持っている人がいます。その方から2 ヵ月前に大変面白いジョークを教えて頂きました。もうご存知の方には申し訳ありませんが暫くご辛抱して頂きお付き合い願います。国際連合(UN)が世界各地でヒアリング調査をしました。質問は極めて簡単でただ一問、すなわち「あなたの国以外の世界における食糧不足のための解決方法に関して正直なご意見をお聞かせ願います(Would you please give your honest opinion on a solution for the food shortage in the rest of the world?)」でした。 しかしこの調査は失敗に終ったそうです。その理由は次の通りです。すなわちアフリカでは(深刻な食糧不足の故に)「食糧(food)」が何を意味するかが分かる人が少なかった。東欧諸国では(不正だらけであるが故に)「正直な(honest)」の意味が分かってもらえなかった。 西欧諸国では(豊かであるが故に)「不足(shortage)」の意味が理解されなかった。中国では「意見(opinion)」という意味が理解されなかった。中東では「解決方法(solution)」という意味が分からなかった。南米諸国では「お願いします(please)」が認識されなかった。そして米国では「あなたの国以外の世界(the rest of the world)」を誰も理解できなかった、というものです。このジョークを聞いた時、思わず吹き出しましたが、隣の知人が「ジュン、日本が抜けているけど、どんなのが適当かな?」と聞きました。私は「ああ、また『ジャパン・パッシング(“Japan passing”)』がここにも現れているなぁ」とチョッと悲しくなっていましたところ(以前は必ず「日本人は…」というフレーズがありました)、もう一人の友人が意地悪そうに「日本では英語で回答を求められたので誰も答えなかった」と言いました。私は「くやしい」と思いましたが、痛いところだが或る意味で厳しい現実を表していると思いました。この意味でも有能で若い皆様のグローバルなご活躍を願ってやみません。

 10月19日、一時帰国の際、関西経済同友会の創立60 周年記念のレセプションにお招き頂き、ボストン、上海、そして大阪でお目にかかる素晴らしい財界の方と再会する機会に恵まれました。関西経済同友会の方々は年に一度ボストンで国際政治経済をテーマに、また2 年前からは上海の復旦大学の研究者を交えて東アジアをテーマに活発な討論会を主催されております。同日、長らく中国に滞在してケ小平副首相を巡る歴史を書かれているエズラ・ヴォーゲル教授が、講師として大阪にお越しになり、私も久しぶりにお目にかかることができました。同教授は日中で歴史を冷静に、しかも過去の事実を現在の価値判断を出来るだけ排除した形で記述することの重要性を力説されておられます。これは非常に大切なことです。私自身、歴史の正確性に関しては様々な困難に遭っております。すなわち、@限界がある認識力・記憶力を持つ体験者の実録を単純に信じる訳にもゆきません。またA公式・非公式の記録に関しても単純に鵜呑みにするのは危険です。B事後的記録に関しては同時性を失っているが故に都合の良い記述になっている危険性があります。加えてC読者側にも歴史小説や映画等の影響を受けた結果として先入観を持っているという危険や、知識が浅いと理解できる範囲内でしか歴史を判断しないという問題があります。この意味でヴォーゲル教授のご努力に期待すると共に、私自身も努力を続けたいと思い、今は「天羽声明」で有名な外交官、天羽英二事務次官の日記を本学図書館で読んでおります。

 私自身、本を少し読んだだけで或る国・地域、そして歴史を理解した「つもり」になる危険性と醜悪さを痛感しております。私も子を持つ親として、グローバル時代において直接的な形で世界の国・地域を観察・体験することの重要性を教えようと、様々な所に家族を連れて行きました。現在は自分自身で旅行できる年齢に達したので、これからは単独旅行か友人と行きなさいと勧めています。私は1990 年代後半から2002 年まで、専修大学の大橋英夫教授と香港理工大学のトーマス・チャン(陳文鴻)教授に連れられて、CASS や人民大学等を頻繁に訪れましたが、その経験を基に、1999 年夏、家族を連れて北京を訪れました。私を除く家族3 人が北京空港に着いた時の「固まった」表情を思い浮かべると、私は今でも吹き出してしまいます。当時、新空港ビルの完成前で窓のサッシは木製でした。ロサンジェルスやソウルの空港と比べてあまりにも違うためか、彼等は声も出ません。しかもホテルまで軽自動車で移動したため3 人は完全に「固まって」しまいました。しかし北京ではCASS の王洛林副理事長ご夫妻が私用の家族旅行であるにもかかわらずお食事に招いて下さり、また日本大使館で当時一等書記官をされていた安井章氏に万里の長城までのドライブに連れて頂き思い出深い旅行となりました。ご存知の通り、長城からの眺めは本当に素晴らしいものがあります。トロイの遺跡発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマンも、長城を眺めた時の感動を、「私は… 素晴らしい眺望をたくさん見てきた。眼前に展開された光景の壮麗さに匹敵するものは何もなかった。私は呆然自失し、言葉もなくただ感嘆と熱狂に身をゆだねた。かくも多くの驚異を見ることに慣れることはできなかった(J’ai vu des panoramas magnifiques . . . mais jamais je n’ai rien vu qu’on puisse comparer au splendide tableau qui se déroule ici devant mes yeux. Stupéfait et ébahi, plein d’admiration etd’enthousiasme, je ne pouvais m’accouturmer a voir tant de merveilles.)」と語っています。

 宿泊先であるヒルトンの周囲は当時未だ農家が在って、窓から子連れのアヒルが見え、子供達が喜んでいました。そして夜寝ようとした時、家内が周囲が真っ暗であることに驚き、「昼間、あの辺りは農家だったところでしょ?」と不安そうに私に聞きました(今は変わっていますが)。また観光名所を案内して下さったのは当時人民大学の優秀な大学院生で、現在中国商務部の高級官僚である王雪佳女史でした。頤和園(イワエン)を訪れた時、彼女は歩き疲れた当時中学生と小学生の私の子供達を眺め、「クリさんのお子さんは鍛え方が足らない」と私を厳しく批判しました。そして人民広場に在るマクドナルドで家族3人が無邪気に楽しんでいるのを見て、王女史は私に向かい、「クリさん、クリさんのご家族をこうして実際に見るまでは日本人は恐ろしい人間だと思っていました。今クリさんの家族を見て、素晴らしい方々がいることを知りました」と言いました。私は家族を連れて来て良かったと改めて思った次第です。ただ傑作だったのは、ホテルに戻って来た時の息子の言葉でした―「ヒルトンに戻ってくるとホッとするね、パパ」と。しかし、かくいう私も大橋教授と一緒に最初の北京出張をした時は息子同様、いやそれ以上に「パニック状態」に陥り、スピルバーグ監督の映画『太陽の帝国(Empire of the Sun)』の冒頭部分を思い出していました。大橋先生は「クリちゃんは中国ではベンツに乗せてサファリ・パークを巡るような形で移動させないと駄目だなぁ」と仰ったのを今でも覚えております。また私にとって初の中国単独出張となった2005 年2 月の長春出張直前、それ以前の訪中時に多くの方々のご厚意で過保護に育てられたひ弱な私は不安と恐怖に襲われていました。そしてケンブリッジ出発前夜、万が一を考えて友人と「別れの杯」を交わしておりました。長春から北京に戻った夜、日本大使館の専門調査員であった荒井崇ご夫妻と食事をしましたが、その時のお二人の好奇心に満ちたお顔も忘れられません。笑いを押し殺しながら、「栗原さん、どうでした?」と。しかし長春では荒井氏からの連絡で市政府の尹冬※女史が案内役をして下さり、有意義な出張になりました。ただシャングリラ・ホテルで見かけたフォルクス・ヴァーゲン社関連のドイツ人の言動を様々な意味でまた複雑な心境で私は観察しておりました。皆様、広大な中国はこうして様々な姿を私達に見せ、またそれ故に様々な国々の「ヒト」、「モノ」、「カネ」、そして「情報」が中国を巡って動いております。皆様が間接的情報だけに頼らず、直接的に体験・対話して、正確な中国情報を得られることを願っています。

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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