『ドクトルたちの奮闘記』の執筆舞台裏
「芝居の前狂言」になぞらえた新刊ご案内
石原 あえか
東京大学大学院総合文化研究科准教授
前作『科学する詩人 ゲーテ』を上梓したのが2010年春、もう2年前のことになります。「詩人」ではなく、「自然研究者」のゲーテを紹介する試みは、おおむね好意的に受けとめていただけたようで、ゲーテを研究する者として大変嬉しく存じます。素直に続編を考えれば、前作で言及しなかった地質学や気象学、あるいは化学や動物学でのゲーテの関与、また彼の文学作品への影響などを論じることが可能でしたし、おそらく読者も期待されていたことでしょう(機会があれば、今後も本来の意味での『科学する詩人 ゲーテ』続編を書く用意はあります、念のため)。
もちろん続編ではなく、本書「ゲーテが導く」、『ドクトルたちの奮闘記』の出版に到るまでには、それなりの理由と経緯がありました。以下、ゲーテの学者悲劇『ファウスト』の第二プロローグ「芝居の前狂言 Vorspiel des Theaters」をお手本に(韻文ではなく、散文ですが)、執筆の「舞台裏」を少しだけ披露しながら、本書の魅力をご紹介致します。
2011年の春まで、私はゲーテの長編小説『親和力』を手がかりに、19世紀前半の気象学や測量学関係の資料を調査・分析し、ドイツ語でまとめる作業に追われていました。その間、思いがけない資料を見つけたり、貴重なオリジナルを見せてもらったり、研究者冥利に尽きる経験を得ました。ところがその幸せな瞬間の合間に、どういうわけか頻繁に、何やら不思議な宝探しのお誘いがかかってくるのです。別の表現を使うなら、「出題者はゲーテ?」と首を傾げたくなるようなジグソーパズル、「こっちの課題もやってごらん」と、声なき声がささやくのです。
2009年度にお世話になったイェーナ大学の独文学研究所は、江戸の蘭学医たちに影響を与えた名医フーフェラントの旧居でした。このフーフェラント、ゲーテが彼に自邸サロンでの講義を頼まなければ、無名の開業医として一生を終えたかもしれません(これはドイツの研究者間ではよく知られている話)。ところが帰国してみると、その貴重な重訳である緒方洪庵の『扶氏経験遺訓』も杉田成卿の『医戒』も、初版和綴本を母校・慶應義塾図書館が所蔵していました。これを使わないのは勿体ない! 俄然、研究心が湧きます。また本書で紹介するひとり、日本人女医として最初にドイツに留学した高橋瑞子の下宿探しは、こともあろうにデュッセルドルフ・ゲーテ博物館の展示図録によって、見事正解が得られました。その後、さらに不思議なご縁で彼女の遺骨とも対面し、また彼女の死後出版された私家版歌集も入手できました。いろいろエピソードはあるのですが、要するに日独医学交流史というテーマに向き合い始めたら、次々と課題が出て、勝手に発展していきました。こんな風に仕事が仕事を始めたら、研究者たるもの、絶対に逆らってはいけません。
ヒントを出しながら先を行くゲーテの背中を、いつも視界の片隅に捉えながら、楽しく追いかけて書いたので、内容はサブタイトルの「ゲーテが導く日独医学交流」そのものになりました。彼が見出したフーフェラントを起点に、緒方洪庵、佐藤進、長井長義、高橋瑞子、宇良田唯、田原淳、石原忍など、ドイツと縁の深い医師やドクトルが登場しますが、通常の偉人伝とはだいぶ違っています。彼らの生涯を個々の独立した話として読むのではなく、それぞれの運命の糸がどのように結びつき、どんな稀有な色柄の反物に仕上がっているかをご覧下さい。ドイツ語と日本語の両方の材料をふんだんに使い、よりをかけた丈夫な糸にして、丁寧に織り上げました。きらびやかな反物ではありませんが、しっかりした素材の味わいをお楽しみいただければ幸いです。
『ファウスト』の「芝居の前狂言」では、詩人が後世に残る台本を夢見る一方で、劇場支配人は観客の入りを気にします。「支配人」ならぬ編集部を納得させ、この持ち込み企画が通るまでは、執筆者もかなりの時間と根気を要しました。編集部でなくとも「ゲーテ研究者が、なぜ日独医学交流史を?」と不思議に思われるのは当然でしょう。また個人ではなく、群像を扱うのも珍しい試みかもしれません。学問への飽くことなき情熱と使命感を胸に海を渡った猛者ばかりですが(表紙に描いていただいた主役達、並べてみると壮観です)、どなたも人間味溢れる個性派、しかもユーモラスで愛嬌があるので、きっと退屈させないはず。
どうぞ、ぜひお手にとって、「注意深く、足早に mit bedaechtiger Schnelle」、ゲーテゆかりのイェーナからベルリンへ、また日本からマールブルク、さらに中国・天津へのルートも経めぐって、ふたたびイェーナに戻るまで、ゲーテを先頭に、頼もしいドクトルたちとご一緒に、楽しい歴史の旅にお出かけ下さい。
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