第6回 「「十二支考」という達成」
1904年10月、三十七歳の時に那智山での生活を切り上げた熊楠は、熊野古道を通って海辺の田辺にたどりつき、そこで暮らし始めた。信頼できる友人を得て、地元の神社の娘と結婚し、一男一女をもうけ、広い庭と倉のある自宅を構えて、七十四歳で亡くなるまで、この小都市での生活を続けることになる。
田辺での生活が落ち着いた頃から、熊楠は「ロンドン抜書」を整理し、英米での学問研鑽に基づいて邦文での著作活動を開始している。しかし、十九歳から三十三歳までの青年期の十数年間を外国で過ごした熊楠は、最初は日本語での論文の書き方にとまどったようである。漢文を主体とした近世的な素養を土台として、西洋諸語を駆使する熊楠の博覧強記は、日本語で表現しようとした際にはどうしても難解になってしまう傾向があった。『東京人類学雑誌』などに掲載された熊楠の論文は、英語・仏語・イタリア語・スペイン語・ドイツ語などを参考文献として原語で挙げており、あまりの情報量に目が眩むようなたぐいのものである。
柳田国男との交流が始まったのはそんな時期のことである。『遠野物語』を著して日本における民俗学研究の旗手となった柳田は、熊楠の英国での研鑽に関心を抱き、さまざまなかたちで教えを乞うた。その一方で、熊楠の書く日本語の文章の難解さに対する直言を辞さなかった。たとえば、英文での代表的論文である「神跡考」を熊楠が邦訳した際には、「あまり材料多くかえりて向う人にはわかりにくくなり、おしきものに候。小生のものならこうも書いて見たいと思う所多く候」という率直な感想を述べている。
こうした柳田の直言に応えて、熊楠の方も日本語の書き方を工夫するようになる。『アラビアン・ナイト』を翻訳する際に「最古の英語から今日のベランメー言葉、下等人の相言葉まで渉猟し、また英人に分かるべき語は仏、西、独、インド、アラビアの雑語、雅語までも用い」たリチャード・バートンの例に倣って、さまざまなレベルの日本語を駆使した著述を企図していると宣言した。
その熊楠の意図がもっとも十分に結実したのが、『太陽』に掲載された「十二支考」である。毎年の干支について、博物学・民俗学的な知識を総動員したこの連作は、1914年の寅年に始まり、1924年の子年まで書き継がれた熊楠四十七歳から五十七歳までの円熟期の代表作である(ただし子年は『太陽』には未掲載)。この「十二支考」の執筆過程で、熊楠は「腹稿」と呼ばれる縦横無尽な思考の展開を示す下書きを作成している。
「十二支考」にはまた、それまでの熊楠の学問的試行錯誤がさまざまなかたちで取り入れられてもいる。とりわけ、幼少期から始まった東アジアの本草学・博物学と、「ロンドン抜書」に蓄積された西洋の人類学・民俗学の情報が満載されていることは大きな特徴だと言えるだろう。時には、俗信には科学的な根拠があることを論じ、言語と現実認識の問題を文化相対主義的な観点から分析する。また時には卑俗と思われる話題を繰り広げるが、その根底には人間社会の規範とタブーの根源としての「性」の問題が土台とされているなど、読めば読むほど奥深い著作である。
そうした「十二支考」を読み解くためには、熊楠の生涯にわたる学問形成の軌跡を、たんねんにたどっておく必要がある。さいわい、田辺に残された熊楠の書庫には、おびただしい草稿類や蔵書への書き込みとして、その知的格闘の跡が明確に残されている。南方熊楠という人物のあり方を理解するためには、そうした一次資料に基づきながら、実証的な研究を積み重ねていく他はない。
十九世紀後半から二十世紀前半にかけて南方熊楠がなした学者としての道のりは、現在の眼から見ても驚くべき巨大な時空間を股にかけたものであった。その過程に丹念に目を凝らし、「十二支考」に代表されるさまざまな成果を読み解いていくという作業は、まだまだ始まったばかりなのである。
↑
『南方熊楠――複眼の学問構想』(松居 竜五 著)
学者熊楠、誕生の軌跡
アメリカ、キューバ、ロンドン、那智――。
世界各地を自ら踏破し、古今東西の膨大な時空に拡がる文献を駆使して、NatureやNotes and Queries に400篇近い英文論考を発表。
西欧の知的潮流に正面から向き合い、独創的な知を紡いだ学者南方熊楠の多様性と集束力の織り成すダイナミズムを描く労作。
■本書の書籍詳細・オンラインご購入はこちら
↑
著者 松居 竜五(まつい りゅうご)
1964年、京都府生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。論文博士(学術)。東京大学教養学部留学生担当講師、ケンブリッジ大学客員研究員等を経て、現在、龍谷大学国際学部教授。南方熊楠顕彰会理事、日本国際文化学会常任理事、熊楠関西研究会事務局。
著書に『南方熊楠 一切智の夢』(朝日新聞社)、『達人たちの大英博物館』(共著、講談社選書メチエ)、『南方熊楠大事典』(共編共著、勉誠出版)など、訳書に『南方熊楠英文論考[ネイチャー]誌篇』(共訳、集英社)、『南方熊楠英文論考[ノーツ アンド クエリーズ]誌篇』(共訳、集英社)がある。
↑