▼ユリアヌスはなぜ キリスト教に背いたのか?
やんごとなき生まれの文人が政治に出遭う時、 本人さえも予想もしなかったディストピアが開かれてゆく――。 「背教者」として知られる古代ローマの哲人皇帝ユリアヌスの信仰世界を、 精緻な史料分析によって明らかにする意欲作。
紀元後4世紀のローマ皇帝ユリアヌス(331/2-363年、在位361-363年)は、単独統治権を獲得するに至ってコンスタンティヌス以来の親キリスト教政策を放棄し、突然に「父祖たちの遺風」の復興を命じて同時代人を当惑と混乱に陥れた。ユリアヌスの没後、彼の出現は在位中の天変地異や365年7月21日に東地中海を襲った地震と津波に加えて、ユリアヌスの母方の縁戚である簒奪帝プロコピオスの蜂起と鎮圧・刑死と結びつけて語られるようになり、5世紀中葉には「背教者」像が確立される。彼の著作はビザンティン世界における政治と教会批判の具として用いられ、文藝復興期には「古典の擁護者」としての側面も注目されるようになるが、その著作と事績の本格的な再評価は20世紀を待たねばならなかった。
「背教者」として知られるローマ皇帝ユリアヌスの信仰世界の実像を、精緻な史料分析によって明らかにする意欲作。


読売新聞 2017年11月5日読書面の添谷育志著『背徳者の肖像』の書評(評者:納富信留ギリシャ哲学研究者、東京大教授)にて、関連書として紹介されました。

はじめに ―― 天変地異とユリアヌス
第1章 万華鏡のなかの哲人皇帝 1 ユリアヌスの生涯と著作 2 物語を生む物語 ―― 史料と解釈史 3 研究の視角と本書の問題意識 4 テクニカルタームの問題 ―― 「ヘレニズム」「異教」「非理性」の相のもとにユリアヌスを観察することは適切か
第2章 幻影の文人共同体を求めて ―― 単独統治期以前のユリアヌスの精神的形成 1 光と闇と「穢れた血」 ―― ユリ ……
著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
中西恭子(なかにし きょうこ) 東京大学大学院人文社会系研究科研究員。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て明治学院大学・津田塾大学ほか非常勤講師。東京大学文学部西洋史学科、東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻西洋史学専門分野修士課程を経て東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。古代末期地中海宗教史・宗教文化史、古代地中海世界の宗教像の受容史。主な論文に「ユリアヌスの「ギリシア人の宗教」とナジアンゾスのグレゴリオス『ユリアヌス駁論』における「ことば」と「真の愛智」、「幻影の人の叢林をゆく 西脇順三郎から見た折口信夫」。翻訳にキース・ホプキンズ『神々にあふれる世界』(共訳、岩波書店、2003年)、シナイのネイロス「修徳修行の書」(『フィロカリア』第2分冊(新世社、2013年)所収)など。
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