南方熊楠生誕150周年(2017年) 『南方熊楠――複眼の学問構想』著者の松居竜五氏による連載です。

連載:『南方熊楠』(松居 竜五 著)

南方熊楠生誕150周年(2017年)!

南方熊楠(1867年5月18日(慶応3年4月15日)生誕)、2017年は生誕150周年です。

★南方熊楠生誕150年記念 松居竜五さん×志村真幸さんトークイベント
 「データベースとしての南方熊楠」を5月17日に紀伊國屋書店新宿本店で開催!
 
https://www.kinokuniya.co.jp/contents/pc/store/Shinjuku-Main-Store/20170428100003.html

★「あとがき」公開中!
  著者、松居 竜五氏による「あとがき」をご覧いただけます。本書の参考にぜひご覧ください。

★eo光チャンネル「歴史ろまん紀行」「南方熊楠~南方熊楠生誕150年~」では『南方熊楠――複眼の学問構想』の著者、松居竜五先生のインタビューが放送されます。ぜひご覧ください。

 

第5回 「マンダラと生態系」

 1900年にロンドンから帰国した南方熊楠は、和歌山の実家に滞在した後、1901年10月に紀伊半島南端にある勝浦に向かった。そこから那智の滝の側にある大阪屋という宿に移り、1904年10月までの期間のほとんどを、この山間の地で送ることになる。

 この時、熊楠を魅了したのは那智周辺の森林に展開する生物の世界だった。「小生昨年十一月一日より只今に、熊野にて山海の植物採集罷在(まかりあり)、実に無尽蔵にて発見頗(すこぶ)る多く、一と通りの調査に二三十年もかかるべくと被存(ぞんぜられ)候」と、熊楠は真言僧の土宜法龍(どぎほうりゅう)宛の手紙に書き記している。熊楠は、那智の滝の上流や、陰陽の滝周辺のクラガリ谷などの人があまり立ち入らない森の中のフィールドに毎日のように出かけ、キノコ・シダ・淡水藻・粘菌から、昆虫や小動物にいたるさまざまな生き物を採集した。

 「南方マンダラ」と呼ばれることになる独自の世界観を表した図が描かれたのは、熊楠がこうした生物採集に精力的に勤しんでいた時期のことである。この図とともに、熊楠は土宜宛の手紙の中で、すべての物事はつながっており、そのために世の中のことは「いかなることをも見出だし、いかなることをもなしうるようになっておる」と説明している。ただ、たくさんの現象が交錯する(イ)のような地点と、ほとんど交わりのない(ト)や(オ)や(ワ)のような地点では「その捗(はかど)りに難易ある」だけなのだと。


南方熊楠生誕150周年(2017年) 『南方熊楠――複眼の学問構想』著者の松居竜五氏による連載です。


 この「南方マンダラ」に、熊楠が那智の原生林の中で見た生物が織り成す複雑で精妙な世界が反映されていることは疑いがないだろう。熊楠自身、「曼陀羅のことは、曼陀羅が森羅万象のことゆえ、一々実例を引き、すなわち箇々のものについてその関係を述ぶるにあらざれば空談となる」として、マンダラを解釈するだけでは空理空論に陥ってしまうことを戒めてもいる。そして、粘菌や昆虫といった実際の生命の世界こそがマンダラなのだという観点を示す。

 こうしたことを考えると、「南方マンダラ」が一気呵成に筆で描ききった図として表されたことの意味もよくわかる。そこには、那智の森に入り、自分の目で一つ一つの生命を探っていく際に熊楠が感じていた躍動感が込められているのである。その意味で、「南方マンダラ」には、学問的なモデルだけでなく、この世界に生きる者としての熊楠自身の主体的なあり方自体が、表現されていると考えてもよいだろう。

 そうした「南方マンダラ」の世界を追体験するために、邸内調査の合間に、筆者は何人かのメンバーとともに、那智やその周辺に出かけた。そして時にはビデオカメラを手に、山間の滝から滝、古道から古道、また海辺の島から島をたどるようにして、熊楠が歩いた足跡や、その頃の植生が残されていると思われる場所をたずねて行った。その中には、百年前に熊楠が歩いた頃のままの、宝石のような原生林も、わずかではあるが見つけることができた。

 しかし、同時に「熊野」の森林のほとんどが、戦後の植林政策のためにズタズタに引き裂かれてしまっていることにも、気づかされずにはいられなかった。紀伊半島の植生に合わないスギやヒノキの無理な植林によって、このあたりの森林のほとんどが、キノコや昆虫などの生命を寄せ付けない死んだような人工林と化している。レイチェル・カーソンならば「沈黙の春」と呼んだようなスギとヒノキの植林地帯が、延々と山から山へと連なっているのである。

 すべての物事がつながっているという、南方マンダラにおける熊楠の世界観は、その8年後の神社合祀反対運動の際に書かれた次のような警句と合わせて理解されるべきものであろう。

 

 しかし素人(しろうと)の考えとちがい、植物の全滅ということは、ちょっとした範囲の変更よりして、たちまち一斉に起こり、そのときいかにあわてるも、容易に恢復(かいふく)し得ぬを小生まのあたりに見て証拠に申すなり。

 


南方熊楠生誕150周年(2017年) 『南方熊楠――複眼の学問構想』著者の松居竜五氏による連載です。



  

連載「南方熊楠」目次

第1回 南方熊楠の書庫(2016.12.1 掲載)
第2回 南方熊楠とコンピュータ(2016.12.8 掲載)
第3回 図鑑の中の宇宙(2016.12.15 掲載)
第4回 「ロンドン抜書」の世界(2016.12.22 掲載)
第5回 マンダラと生態系(2017.1.5 掲載)
第6回 「十二支考」という達成(2017.1.12 掲載)

  

 

『南方熊楠――複眼の学問構想』(松居 竜五 著)

南方熊楠生誕150周年(2017年) 『南方熊楠――複眼の学問構想』著者の松居竜五氏による連載です。 学者熊楠、誕生の軌跡

アメリカ、キューバ、ロンドン、那智――。
世界各地を自ら踏破し、古今東西の膨大な時空に拡がる文献を駆使して、NatureやNotes and Queries に400篇近い英文論考を発表。
西欧の知的潮流に正面から向き合い、独創的な知を紡いだ学者南方熊楠の多様性と集束力の織り成すダイナミズムを描く労作。

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書籍詳細

分野 社会、哲学、思想
初版年月日 2016/12/30
本体価格 4,500円(+税)
判型等 A5判/上製/628頁
ISBN 978-4-7664-2362-4
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著者 松居 竜五(まつい りゅうご)

1964年、京都府生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。論文博士(学術)。東京大学教養学部留学生担当講師、ケンブリッジ大学客員研究員等を経て、現在、龍谷大学国際学部教授。南方熊楠顕彰会理事、日本国際文化学会常任理事、熊楠関西研究会事務局。 著書に『南方熊楠  一切智の夢』(朝日新聞社)、『達人たちの大英博物館』(共著、講談社選書メチエ)、『南方熊楠大事典』(共編共著、勉誠出版)など、訳書に『南方熊楠英文論考[ネイチャー]誌篇』(共訳、集英社)、『南方熊楠英文論考[ノーツ アンド クエリーズ]誌篇』(共訳、集英社)がある。