『時代の「見えない危機」を読む――迷走する市場の着地点はどこか』

『時代の「見えない危機」を読む――迷走する市場の着地点はどこか』

(黒瀬 浩一 著)

本書、第3章第2節「2000年代の乱世は2回」(6月30日まで公開)、終わりに(一部)を公開中です。
7月1日~7月31日まで第3章第5節「グローバル化と反グローバル化」を公開予定

 

目次 

※各章をクリックいただくと詳細をご覧いただけます。

  1. 見えているようでよくわからない「金融」の姿
  2. 日本人を呪縛する「定価」「元本」という概念
  3. 死語となった「恐慌」という言葉
  4. 金融市場は総合的な経済のシグナル
  5. 市場の暴走
  6. 市場の暴走を防止する「よい市場」
  7. 「よい市場」をつくろう
  8. 金融の基礎はごくシンプル
  1. 「歴史的帰納法」で米国経済を概観する
  2. 戦前と戦中の米国
  3. 戦後復興―資本主義の戦後第一黄金期前期
  4. 黄金の60年代―資本主義の戦後第一黄金期後期
  5. 70年代米国の危機とゆらぎ
  6. 80年代―レーガンの登場と資本主義の戦後第二黄金期前期
  7. 90年代クリントン政権―資本主義の戦後第二黄金期後期
  1. 景気見極めのための三つの波
  2. 2000年代の乱世は二回
  3. トランプ暴政でも株価は上がる
  4. バブルリレー
  5. グローバル化と反グローバル化
  6. 株主資本主義の秘薬
  7. 米国衰退論に与してはならない
  1. 平成時代の日本経済を総括する
  2. 誇大妄想から始まった日本のバブル景気
  3. バブル崩壊の敗戦処理
  4. バブル崩壊と重なった日本叩き―米国によるバッシングのタガが外れた
  5. 先端産業を日本に渡すな
  6. 人口動態に取り返しのつかない穴をあけた
  7. 民主党政権とは何だったのか
  8. 安倍政権への移行
  9. そして令和時代へ
  1. 新たな時代に向けた日本の課題
  2. 米中対立の狭間で―対等に渡り合うには相当なしたたかさが必要
  3. 日本に吹き始めた国際社会からのフォローの風
  4. 敗戦処理は終わっていない―財政再建と人口問題
  5. 日本経済の制度疲労
  6. 和魂洋才の限界
  7. 令和20年の日本の明るい未来のために
  8. 後手後手に回る性格を改善せよ
  1. 資本主義の燗熟のあとに
  2. 大きなパラダイム転換に備える
  3. 株主パワーの失速と反グローバル化が同時進行
  4. 資本主義の多様なモデル
  5. 10年以内なら米国が買い
  6. 中国が輸出する独裁制と格差
  7. 米中の覇権争い
  8. 世界は敵と味方に分かれて自国の利益を追求する
  9. 仮想通貨あるいは暗号資産
  10. 次のバブル崩壊の発火点
  11. なぜ日本では投資家のすそ野が広がらないのか
  12. 実践投資のための取引ガイド

  

 

立ち読み:第3章第2節「2000年代の乱世は2回」
(6月30日まで公開)

(本文中の図表は省略)

トランプを生んだ源流

海に注ぐ大河は源流の異なる多くの支流が集まることで形成される。2000年の大統領選挙は、同じ原理でトランプが制したと考えられる。所得格差、地域格差、反グローバル化、中国などの不公正貿易、不法移民、反愛国心など多くの問題提起をし、それらを解決することを公約として政権が誕生した。2000年以降の米国について、911テロや二度のバブル崩壊に引き続く危機対応の観点を中心に、トランプ政権を生んだ現在、そして将来につながる歴史の連続性の観点で見ていこう。

 

2000年以降の危機対応の連続

1990年代のクリントン大統領の時代に世界の一強として輝かしい実績を残した米国だが、2000年代に入って悪影響が目立ち始めた。根本的な原因は、縮小しないどころか拡大し続けた所得格差、ワシントン・コンセンサスとして推し進めたグローバル化の反動、金融の技術革新に対する過信などだ。そして悪影響は、2001年の911テロ、同年のITバブル崩壊、同年の会計疑惑、08年のリーマン・ショック、11-12年のギリシャ・ショック、年間約5万人がショック死するにもかかわらずマスコミがほとんど報道しなかったオピオイド(鎮痛剤)を原因とする絶望死、銃乱射など社会に対する憎悪に起因する社会事件、などに表象されている。

2000年以降の米国は、これらの大きな危機に対し緊急措置として危機対応を繰り返している間に、あれよあれよという間に時間が経過して、2016年の大統領選挙でトランプ大統領誕生に相成った、といったところだろう。

 

VUCAの世界

VUCAとは「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字を取って作られた造語だ。もともとは戦場では何が起こるかわからないことを指したが、転じて今の世の中は変化が格段に激しく変化するようになったことを意味するようになった。ビジネスにとっては予測困難な難しい状況が現出したことを示している。

ネットの出現で、それまでは世論は政府やマスコミが作るものだったが、そうとも限らなくなった。たとえば、ネットの出現と普及により、世の中の変化が格段に激しくなったと見られている。ネットの呼びかけで簡単に大規模なデモが発生し、場合によっては長年の独裁政権が崩壊すらした「アラブの春」のような事態が起こるようになったこと、企業の不祥事対応などがネット上で炎上して批判の集中砲火を浴びることで、ちょっとした騒ぎが企業の命取りにすらなり得る事態となったこと、アルバイト代稼ぎの若者がSNSを通じて大統領選挙や英国のEU離脱の国民投票に介入して選挙結果を大きく攪乱するようになったこと、ネットで明らかなデマがまことしやかに拡散されるようになったことなどが原因だ。

中でも第1章で取り上げたフィルターバブルの影響は大きい。歴史的に新しいメディアの出現はいつも新しい社会を形成してきた。21世紀の新しいメディアがどう世の中の常識を形成するか、当面は試行錯誤が続き、その間はVUCAが高い状態が続くとみてよいだろう。

 

長波には変化なし

金融市場の観点では、2000年以降は、長波として米国の覇権の優位性と資本の対労働の優位性に変化はなかった。また、覇権国としての米国に対する信任は、金価格の上昇に見られるように揺らいだとはいえ、ほかに取って代わる国はなく、変化はなかった。

911テロなど米国の地位を揺るがす事態が発生すると、逆に皮肉なことに世界の覇権国としての米国の優位性は高まる。不安定な時代に基軸通貨ドルの信認が揺らいだり、米国の軍事的プレゼンスが後退すると、世界の不安は逆にもっと高まるのだ。ここに本当の米国の覇権国としての強みがある。たとえば、米国が自国第一で朝鮮半島への関与を弱めたらどうなるか。困るのは日本を含む近隣諸国で、それはドル高要因であると同時に金高要因になる。

 

景気の10年1サイクル

結論を先に言うと、長波に変化がない中、株価は中波の景気循環と短波の在庫循環で形成されたといえる。企業へ雇用と資本の二つの生産要素を組み合わせて経営を行う。図3-1の細線の失業率は景気の大きな方向性を示す。景気がよいと雇用は増えて失業率は低下する。悪い時にはリストラで失業率は上昇する。一方、太線は株価だ。タイミング的には雇用よりやや早く動くが、方向性は真逆だ。要するに、景気がよいと雇用が増加して失業率(細線)は下がる一方、株価(太線)は上昇する。逆に景気が悪い時は、雇用が減少して失業率(細線)が上がる一方、株価(太線)は下落する。

なお、この雇用に代表される経済と株価の関係は普遍的なもので、社会人なら経済の常識として知っておきたい。自分の将来の年金運用の資産選択においても、極めて重要な原理原則だ。一言でいえば株価と景気は同じ方向に動く。

そして、雇用や金融の自由化がほぼ完成した1990年以降は、ざっと10年で1サイクル、前述した7-8年の景気拡大と2-3年の景気悪化の組み合わせで景気循環が形成された。その時どきの状況によって、少しは長くなったり短くなったりはあるが、そこには特には意味はない。経済は生き物なのだ。

 

中波の景気循環とVUCA

中期の景気循環の中には、もう少し短期の循環がある。図3-2をご覧いただきたい。この図ではこれまで短波と呼んでいる部分を、米国の代表的な景気指標であるISM景況感指数で代用した。この指数は、ISMという名称の米国の業界団体が、景況感を製造業と非製造業に分けてアンケート調査したものである。50を中立として、景況感の方向性と量感を示す。上方向なら景況感は好転、下方向なら悪化ということになる。

失業率(白抜きマーカー[◇]線)の中波は、すでに見たように、約7-8年の低下と2-3年の上昇、合わせて10年で1サイクルの大きな波を描く。一方、短波のISM景況感指数は、2-3年で一つの山を作る。これは製造業の在庫循環が原因だと見られている。雇用は景気見通しが少し悪化したからといっても、簡単にはリストラには踏み切れない。しかし、在庫はちがう。景気が悪化すると往々にして物の売れ行きが悪くなり価格が下がる。価格の下落が見込まれるのなら、それを在庫として持つ量を減らしておこうとするのは当然の企業努力だ。こうした理由から、2-3年で一つの山を作る循環が生じると考えられている。

このように中期と短期の循環は安定してはいるが、政治的にはそれなりのVUCAがあったので、以下、順次見ていく。

 

ブッシュ(子)政権

2000年11月の大統領選挙でブッシュ(子)大統領が誕生した。民主党のクリントン時代の輝かしい実績があったため、副大統領だったゴアは大統領候補として優勢が見込まれていた。しかし、得票率では上回っても選挙人の数でブッシュに負ける結果となった。得票率ではブッシュ47. 87%に対してゴア48. 38%、消費者運動家のラルフ・ネーダーが2. 74%で第三位だった。やはり第三党に票を奪われ、選挙人数の多い州で勝ちきれなかったのがゴアには致命傷となった。

政権のスローガンは「思いやりのある保守主義」で、弱者に対しても優しい共和党のイメージを前面に出し、民主党支持層の切り崩し、無党派層や台頭しつつあった若者に多いリバタリアン(自由至上主義者)を取り込もうとした。

この時代にはまだ、民主党支持者と共和党支持者の間に政策的な支持の最大公約数があり、歩み寄る余地はあった。ブッシュ大統領は、それをオーナーシップ社会として住宅保有を促進する政策を振興することで、弱者に配慮しつつ、保守主義的な政策を進めようとした。しかし、結果的にはそれが住宅バブルとリーマン・ショックの遠因になっていった。

 

テロ戦争と疑似戦争経済

政権運営の方向を決定づけたのは2001年9月に発生した911テロだ。9月11日の同時多発テロは、米国主導のグローバリズムに対する劇的な報復措置であった。翌月の10月26日には愛国者法を成立させて、疑似的な戦時体制に入った。この法案を起点として、ブッシュは翌02年の年頭教書で悪の枢軸として名指ししたイラク、イラン、シリア、北朝鮮などの「ならずもの国家(rogue countries)」の体制転換、そのための先制攻撃、それを正当化する米国の善意による覇権と米国例外主義などから成る「ブッシュ・ドクトリン」を実現することになる。同年には対タリバンのアフガン戦争、さらに03年にはイラク戦争に突入した。

イラク戦争を主導したのは、ネオコン(1)と呼ばれる、武力をもってしてでも世界に自由と民主主義を広めるという理想的な思想を持つ人たちだった。その流れにチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官など国防族も乗り、結果としては戦争とその後の復興過程は泥沼化した。戦争開始前には、イラクのフセイン政権を打倒して民主化すれば、戦前にファシズム陣営だった日本が戦後の占領期を経て民主主義と市場経済の理想的な親米国家として経済発展したのと同様の展開になると想定された。

しかし、これは希望的観測にすぎなかった。ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツの『世界を不幸にするアメリカの経済戦争(2)』によれば戦費は3兆ドルにも達し、いまだに戦闘行為は続き米軍が駐留している。この現実を直視してフランシス・フクヤマは『歴史の終わり』で示した見解を撤回し、『アメリカの終わり』を書いた(3)。

国家の非常事態に対し、金融政策は低金利政策、政府も立て続けに減税を成立させて経済を支えた。

米国の対中や対ロの強硬姿勢は、対テロ戦争で協力を取り付けるため大きく修正された。米国による日本叩きはやっとこの時代に収束した。03年の減税は、配当税率を39. 6%から15%へ引き下げ、キャピタルゲイン課税を20%から15%へ、個人所得税の最高税率を引き下げ39. 6%から35%へ、ほかにも設備投資減税が実施された。右派や規制緩和論者は、この減税は「減税すれば経済は活性化して逆に税収は増加する」という説が正しいことを示すものと見る。

 

ITバブル崩壊と会計疑惑

景気後退の期間は911テロの起きた2001年9月を挟んで2001年4月から11月までの8カ月間と短期間だったが、株価は2000年の夏頃から02年の夏まで約2年間に約40%も下落する大きな調整となった(前出図3-1)。

2001年秋にはエンロンやワールドコムなどIT分野で成長企業の代表格とされた企業で大規模な粉飾が発覚した。エンロンは90年代に革新的企業として多くの賞賛と表彰を受けた米国の経済復活を象徴する企業の一つだった。エンロンは、負債の一部を帳簿に計上せず、問題のある資産を隠蔽し、簿外取引、収益を水増しした。当時のエンロンは売上が1080億ドル(約12兆円)と全米7位の規模の企業だった。ワールドコムも通信分野の自由化で業界が活性化したことを象徴する新興企業だった。しかも、粉飾を米国の経営コンサルとグルになって行い、その会計監査を同じ会計監査部門を持つ経営コンサルが行うという癒着ぶりだった。

エンロンの会計監査を担当したアーサー・アンダーセンは、2001年12月に裁判で粉飾を組織ぐるみの行為と認定され有罪判決を受け廃業に追い込まれた。

2002年には上場企業会計改革および投資家保護法、通称サーベンス・オクスリー法(SOX法)が成立し、1930年代以来の包括的な企業ガバナンス改革が実現した。公開会社の監査を監督する機関として公開会社会計監視委員会(PCAOB)も設立された。さらに、監査人の独立性を保持するためコンサル業務などとの兼業を禁止して定期的な人事異動を義務化する、決算書の内容の正確性に関する経営者の責任を明確にする、証券アナリストの利益相反を防止する等が実現された。

しかし、2007-8年にサブプライム問題やリーマン・ショックが起きたことを鑑みれば、内部統制に本当に実効性はあるのかなど、疑問点は多い。こうした規制は、中小企業の多大な犠牲のもとに単に会計事務所やコンサルを儲けさせているだけで、実効性は乏しく効果は小さいとの見方は多い。こうした感情が反ワシントン、反エリート感情を掻き立てトランプを支持する一因になっている。

さらに、エンロン事件など会計疑惑は、経営者が株主を欺いた側面がある。行き過ぎた株主権の強化が従業員との格差の一因として批判されてきたものの、こうした事件は逆に株主権強化を正当化することとなった。これも格差是正が遅れたという意味で、トランプ大統領の出現につながった。

 

住宅バブルの芽

ブッシュ大統領は、富裕層優遇だけではなく、優しい保守主義の一環で「オーナーシップ社会」も推進した。これは、低所得者が医療費、住宅、年金などを自助努力で工面することを支援する制度で、クリントン時代の社会福祉削減に続く意味合いもあった。ただブッシュは、「市場は政府が介入せず自由放任にすればうまく機能する」そして「米国人は家を保有してアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを享受することで最大限の努力をする」と、古き良き時代のままの信念を持っていた。そのため、サブプライム住宅ローンの推進を産業界に要請した。業界大手のアメリクエスト(リーマン・ショック後に破綻)などの業者は大口の献金者にもなった。

しかし、ここに罠があった。結果的には緩い貸出基準が蔓延した。というのも、貸出をした金融機関はその貸出債権を証券化して売却するため、審査を誤魔化すインセンティブが働いたのだ。結果的には、本来なら借入できない人でも借りられるサブプライム住宅ローンが広く普及した。当時の住宅保有比率は、白人と比べ黒人やヒスパニックは20%も低かった。その層に向けたサブプライム住宅ローンが増加したことで、サブプライム比率は2001年の9%から06年には約20%へと上昇した。この増加には多分に無理があり、IOローン(元本を返済せず金利だけ支払い、住宅価格が上昇したら転売して返済する仕組み)やニンジャローン[NINJA、三つのno、頭文字から所得(income)なし、仕事(job)なし、資産(asset)なし]、頭金なしの住宅ローンなどだ。中には初回の返済から滞るものもあった。そして、結局は住宅バブルの生成と崩壊に行き着いた。日本の不動産バブル崩壊と同じで、実力以上に上がりすぎたことと価格下落で、負債デフレが働いた。図3-3は、住宅価格の高騰と下落の推移だ。

当時はバブルは事後的にしかわからない(その最中にいる者にはバブルかどうかはわからない)、どのように住宅価格が形成されているかは情報開示が行き届いており市場メカニズムは正しい、という考え方が半ばドグマ化していた。後に判明したのは、2007年7月にバーナンキ議長が示したサブプライム関連の損失は500-1000億ドル程度との見通しが、桁違いに少なかったということだ。原因は、住宅ローン貸付の現場での無責任な慣行の横行だった。米国の金融監督の体制不備もリーマン・ショック後に明らかになり、後に大きく修正された。FRBは利上げをしたが、利上げしても長期金利の上昇は限定的だった。この現象をグリーンスパン議長は「謎」と呼んだが、結果的にはバブルは放置され膨張していった。

さらに悪いことに、金融の技術革新も行き過ぎだったことが判明した。金融の技術革新があまりに多くの利益をもたらしたため、次から次へと高等数学を駆使する手法が開発された(図3-4)。

こうして生み出された金融工学の中には、現実に付加価値と利益をもたらしたものもある。しかし、行き過ぎた高等数学を使った理論化には、現実にそぐわない虚構が入り込む余地もあったことが、結果としてリーマン・ショックにまで行き着いた原因だろう。

そしてその結果、バブルが一気に崩壊して規制が強化されることとなった。この時代の理論が先走った一つの例として債券の空売りが挙げられる。理論価格よりも高くなった債券を空売りする行為そのものは理論的には正しい。しかし、単純に債券の発行額以上に空売りする事例さえ散見されたと見られている。現実を無視する理論がいかに恐ろしいか、このような簡単な事例だけでもわかるだろう。

2009年4月にIMFが公表したサブプライム関連の推計では、米国の損失は2. 7兆ドル、それが波及してさらに世界で1. 4兆ドルの損失が出ると発表した。

 

2008年9月リーマン・ショック

住宅バブル崩壊と金融バブル崩壊とあいまって、結果的には2008年のリーマン・ショックにまで行き着いた。

サブプライムが問題として最初に発覚したのは、BNPパリバ証券がフランスで売り出した証券を売却して現金化しようとしても、買い手がつかない流動性の枯渇だった(4)。流動性の枯渇と言えばもっともな理由に聞こえるかもしれないが、要するに理論価格の暴走だ。単純化して言えば、たとえば理論的には100円の証券が、50円でしか売れなくなったということだ。閉店間際のスーパーでは、売れ残った生鮮食品や加工食品は値を下げてでも売ろうとする。それと同じで、実際に売れない値段を理論価格と称してつけること自体が、価格設定の暴走といえる。

こうした暴走が、ABCP(資産担保コマーシャルペーパー)、CLO(債務担保証券)、CDO(金融債権担保債務証書)、CDOキューブド(三乗、証券化を三回くり返せばリスクがどんどん低下するという考え方)、と広がった。カタカナの専門用語で新しく開発された金融商品の名前を挙げたが、ここで言いたいのは、価格設定の暴走が次から次へと広がり、奇異な新商品が開発されていったということだ。米国の金融業界にいる専門家でさえこれらはなじみのないものだった。しかも、格付機関も理論価格を前提に格付することで、価格設定の暴挙にお墨付きを与えることとなった。

中でも重要だったのはCDS(5)だ。これは、世に存在する企業や国家が破綻する場合に備え、保険金をかける市場だ。破綻しないと想定して保険を引き受け、本当に破綻しなければ、保険料が利益になる仕組みだ。米国の一部の金融機関は、2004-6年頃にCDSを大量に売って巨額の利益を出した。しかしその後の景気悪化で破綻が続出して保険金が払えなくなり、破綻しそうになって公的資金の注入を受けた。無が有を生むとは、まさにこのことだ。

そして結局は、公的資金を注入してまず手始めに大手金融機関が救済された。2008年10月に政府は7000億ドル規模の不良資産救済措置(TARP)を創設した。

 

オバマ大統領誕生

2008年9月のリーマン・ショックの直後に行われた大統領選挙でオバマ政権が誕生した。得票率はオバマ53%。共和党のマケインは46%でオバマの圧勝だった。オバマは、「チェンジ」と「イエス・ウイ・キャン」をスローガンとして、分断を乗り越え「一つのアメリカ」になるための変革と格差是正を訴えた。当時は米国史上初の黒人大統領のリーダーシップで新しい時代が来るという期待感は高く、オバマの登場は「オバマ現象」と呼ばれた。選挙の手法も斬新で、インターネットを駆使した選挙活動で小口の献金を多く集め、著書の『合衆国再生』『マイ・ドリーム』はベストセラーとなった(6)。しかし、結果的に言えば、議会多数派を占めた共和党に阻まれて、格差是正は進まず、分断はさらに進んだ。

原因はいくつもある。オバマが最も優先する課題としたのは格差是正だったが、議会の抵抗で実現しなかった。むしろ、リーマン・ショック後の恐慌阻止の危機対応が優先課題だった中、破綻した金融機関や大手保険会社や大手自動車会社の破綻処理に巨額の公的資金を注入したため、庶民の反発を買うこととなった。

健康保険改革には優先的に取り組んだが、これも草の根の反発を巻き起こした。2010年3月に成立した民主党悲願の医療保険制度改革法(以下、オバマケアと表記)が、財政赤字を問題視する共和党を反オバマで結束させた。同年の中間選挙で民主党は大敗し、強硬に財政赤字に反対する財政タカ派である「茶会(7)」が強い影響力を持つこととなった。

2013年1月にはバフェット・ルールを法制化しようとしたが失敗した。これは、投資家としてまた大富豪として有名なバフェットが、自分より低賃金の秘書のほうが所得税の実効税率が高いことに気づいて驚き、高額所得者の増税を社会に働きかけ、それをオバマが12年の一般教書で取り上げたことで世間に広く知られるようになった。しかし、法制化しようとしたものの、議会で多数派を占める共和党の反対で断念せざるを得なくなった。

もっと大きな構図で、大統領の方針と同等に影響力が大きいのが最高裁判決だということが確認されたのがオバマ時代だったともいえる。特に2010年に最高裁が法人も政治参加が可能とした判決は、法人が無制限の政治献金をする道を開き、巨額の献金を集める共和党系の団体が続出した。しかもその使途として、ライバルを中傷するCMが急増したことで、中道政治がすたれて対立が激化し、分断がさらに深まることとなった。これも2016年のトランプ誕生につながった要因だ。

ただ、リーマン・ショック後の景気について、2009年7月には景気回復期に入っている。株価はその少し前の2009年3月に底を打った。「100年に一度」のイメージが強いために大変長くて深い景気の落ち込みだというイメージがあるが、リーマン・ショックからわずか6カ月で株価は底を打ち、10カ月後に景気は回復基調に入った(前出図3-1)。

 

金融市場

2000年以降で大事なのは、いかにして金融市場の危機が発生したか、危機はどう沈静化したのか、である。というのも、やはり帰納的に考えれば、危機はある同じ条件が揃った時に発生し、同じように鎮静化されているからだ。

危機の鎮静化について、90年代に財務長官だったルービンが回顧録でまとめた危機対応の四箇条はすでに書いた。また、危機が発生する根っこはいつも同じだ。本書第1章の「よい市場」で見た通り、市場は、絶えず作り変えられなければならない。その意味で、情報流通や通信技術の発展に伴い、今後もこれまでとまったく同じように、人間の本性が変わらない限り、危機が繰り返される可能性が高いと考えられるからだ。そして、「よい市場」の条件は情報の非対称性を排除することだが、著しい情報の非対称性がある時に、著しい金融の不均衡であるバブルが生じている。それは時として、インセンティブ制度の不備でモラルハザードが生じて巨大化するリスクがある。

以下、個別の事情を見ていこう。

 

ITバブル崩壊

1990年代から蓄積したITバブルは、2000年頃にピークをつけて下落基調に入っていた。IT分野はまだ黎明期で、事業の不確実性が大きく、後から振り返れば荒唐無稽な儲け話があふれていた。売上や利益など数字で見通しを示すべきアナリストは、将来の収益の見通しを立てるのが難しく、収益の代わりに顧客の増加など様々な指標を使って高株価を正当化しようとした。この当時の特徴は、集合知とはまったく逆に、皆が皆、同じことを主張した。曰く、IT革命、100年に一度の革命、などだ。

しかし、決定打は景気だった。景気がよいうちの株価は、一株利益(EPS)と株価収益率(PER)の両方が上がる傾向にある。しかし、景気がピークアウトしてEPSが下がり始めると、PERも下がる。相場が大きく崩れる典型的なパターンだった。

そして、著しい情報の非対称性が生じていた。この時代の情報の非対称性の中心は株のアナリストだ。2002年4月SECと司法省がウォール街を調査したところ、多くの不適切な事例が見つかった。これらは、SECの元委員長であるレビットが『ウォール街の大罪』で詳細に報告している(8)。一例を挙げると、株式アナリストがある企業の株式を買い推奨しておきながら自分では売っていた、根拠がないのに買い推奨していた、などだ。投資銀行部門で引き受けた新規発行の株式について、アナリストが買い推奨しつつ、私的なメールではその会社をこき下ろすほどに批判していた例も見つかっている。要するに、本当は酷い企業だと知りつつ、株式売買手数料を稼ぐために、よい会社だとウソの意見を出したことになる。こうした引受部門と販売部門間の情報の隔離(チャイニーズ・ウォール)が、あるように見せかけて実際はなかったのだ。後になってSECはチャイニーズ・ウォールを厳格にするよう規制を強めた。

また、企業の株価を買い推奨などする場合には「画期的な新商品を出した」など何を言っているのかよくわからない表現を止めさせ、定量分析してはっきり数字で示すよう指導された。こうしたアナリストの行動の背景にあったのが巨額の報酬だ。アナリストの一人あたりの報酬は1980年頃には10万ドル程度だったのが、90年代後半には1000万から1500万ドルへと大幅に伸びた。伸びた主因はIPO(新規株式公開)など証券引受部門の報酬だ。あまりに巨額な報酬が歪んだインセンティブになって、証券アナリストの倫理観が歪んだと見られている。

 

911テロ(「事件は売り、事故は買い」)

911テロの後の株式相場は、語り草になっている。911テロの首謀者とされたウサーマ・ビン・ラディンは、米国株式でショートポジションを大量に持っているという噂が流れていた。大手証券会社では、朝礼で社長が発破をかけて、自己ポジションで最大限まで買い上げる指令が出ていたと見られている。短期間の市場閉鎖を経て再開された市場で、米系証券会社の株式トレーディングルームでは、売り物はすべて買い入れる猛烈な買い上げが起きた。

米国は、明確な敵が存在して臨戦体制に入ると強い。相場に絶対はないが、敵がいる時の米株は、安易にショートはしてはならない。第2章で、勝てる戦争では株は買い、の事例を示してきたが、911テロも例外ではなかった。

有名な相場格言に「事件は売り、事故は買い」というのがある。事件は奥深い腐敗の構造があり、類似の事例が後から続出するのが通例だ。しかし事故は、一気に危機感が高まり、むしろ旧弊を正すチャンスにもなる。危機には危険と機会の両方の意味があるが、事故で株価が下がった局面は、株式市場では機会となる事例が多い。

 

リーマン・ショックへの対応策

危機の最中には目の前に迫った危機への対応で手一杯となる。すべての関係者(市場参加者、政策当局者、学者、マスコミ、経営者など)も、目の前の問題に集中するため、本質的には何を目的に何をしたのかは、後から整理しないとわからなくなる。日本の失われた20年については、この総括はされていないと筆者は考えるため、第4章で取り上げる。逆に、米国は、過去のバブル崩壊でこの総括ができているために、対応が早かったとみてよい。しかも、総括することで導き出される原理原則は、バブル崩壊で経済が危機に陥った場合にはほとんど同じパターンをたどる。したがって、ここで整理しておこう。

バブル崩壊で資産価格が下落すると、景気の下押し圧力となる。主な経路は第1章で取り上げたミンスキーの「金融不安定仮説」だ。簡単に整理すると、景気が悪化すると雇用削減が増えて住宅ローンを払えなくなる人が増加する。こうして住宅ローンで破綻が相次ぐと、担保処分で売却が増える。売却が増えればさらに住宅価格が下落する。担保処分で回収できる金額が減少すれば、住宅ローンを貸し出した金融機関の貸倒れ損失が増加する。そうすると金融機関は貸し渋りを起こし、景気は一段と悪くなる。景気が一段と悪化すると企業倒産が発生し、雇用削減は一段と加速する。この悪循環が続くことになる。

そこでどう対応するか。非常時対応で結局は四種類に分類できる。

第一は景気対策だ。失業対策と言い換えてもよい。これは失業保険給付や公共投資などだ。あまりに大規模な企業の倒産ともなれば甚大な影響が出る可能性があるので、その企業の倒産を防止する措置に出る。オバマ政権は2009年2月に7870億ドルの景気対策を実施した。当時のクリスティーナ・ローマー大統領経済諮問委員会委員長の推計では、実際の効果は乗数効果により、その1. 6倍だった。

第二はバブルの崩壊対策だ。政府や中央銀行が不動産や株式を直接買い支えることは、市場を重視する米国では禁じ手だが、税制優遇などインセンティブを付けて国民に不動産や株式を買いやすいように仕向けることは可能だ。あくまで需給対策ではあるが、資産価格の下落を緩和することはできる。オバマ政権は、住宅ローンの低利への借り換えなど住宅分野に注力した。住宅ローン借り換え促進プログラムや住宅ローン条件緩和プログラムなどだ。

第三は金融システム対策だ。金融は、ある取引で受け取る資金をほかに回す連鎖が続く。こうして資金が金融機関の間をぐるぐる何度も回る。したがって、どこかでその流れがぷっつり途切れると、その先がすべて滞る。その意味で金融取引の遮断は、将棋の駒を並べて倒すドミノ倒しにたとえられる。したがってドミノ倒しにならないように、中央銀行が民間の金融機関の資金繰りを支援する。FRBは次々とスキームを作り、どこへでもいくらでも注入した。

FRBは法律で「異常かつ緊急な」状況では何でもできることになっている。この権限は三権分立に次ぐ第四の権力とも言われる。それを駆使して、銀行、生命保険会社、証券会社、自動車会社など広い業態に巨額の資金を貸し出すことで、金融システム危機を乗り切った。この貸出機能は「最後の貸し手」と呼ばれる。最後の貸し手が登場すると、経済が崩壊しない限り、経済は正常化に向かう。

多くの場合、ここが最終的には危機のクライマックスになる。それは危機が機会(チャンス)に転換する瞬間でもある。しばしば中央銀行の持つ最後の貸し手の機能は「ヘリコプター・マネー」とも揶揄される。これは、天からヘリコプターで紙幣をばら撒くのと同じ機能を持ち得ることに起因する。ただ、本当にお金をばら撒くわけではない。財務長官だったガイトナーは回顧録で「金融危機はすべて信頼の危機である」という言葉を残している(9)。貨幣、国家、銀行、信用秩序など経済のすべてに関わる信頼を取り戻し、異常時から平常時に戻るきっかけになるという意味だ。

第四は、金融市場対策である。金融市場は、将来の予測で動く値付けの場だ。政府が景気対策をせず悪化を放置すると見做せば、その前提で値付けする。しかし、それが政府の意図と異なる場合は、市場に介入して断固たる措置を取るべきだ。口先介入の場合も、正常な取引がなされるように市場参加者に働きかける場合もある。

断固たる措置は、バズーカと言い換えることも可能だ。当時のポールソン財務長官は、金融市場を安定させる措置として、鉄砲で済む場合でもバズーカを見せることで相手の行動を変えさせると言及したことがあった。同じ手法は2010年以降のギリシャの破綻に端を発した欧州危機でも実践された。ECBのドラギ前総裁は、危機に際し「何でもやる」と何度も発言した。この発言が、市場の期待を変えたのだ。

リーマン・ショックから欧州債務危機にかけて、FRBは量的緩和を3回にわたって実施した。これを英語の頭文字略語でQE1~3と呼ぶが、当時のバーナンキFRB議長は、敢えて量的緩和と呼ばず信用緩和と呼んだ。これは、銀行が民間企業に貸出を増やすことで金融システムから染み出させたい意図を強調してのことだった。

最後の貸し手は、国内問題ならその国の中央銀行だ。しかし、その中央銀行でも手に負えない問題だったら何が起こるか。覇権国の中央銀行が各国の中央銀行への最後の貸し手になるのだ。この時代もスワップ協定でFRBが他国の中央銀行にドル貸出協定を結んで対処した。

そして、ここまで何度か市場には楽観の力があると書いたが、楽観を市場が織り込むと、その期待を裏切る政策を当局はもはやできない。期待に沿う政策を実施することで、市場の自己実現が起こるのだ。当局と市場の本当の対話には、市場が楽観を織り込み、当局がその正しい政策を実現する力がある。

 

デカップリング論の霧消

この頃は、仮に米国をはじめ先進国の経済が停滞しても、経済がブームにあったBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、のちに南アフリカが入る)など新興国が支えることで、世界全体の経済は好調を維持できるとする「デカップリング論」が主流の見立てだった。しかし、これは完全な誤りだったことが2008年9月のリーマン・ショックの後に判明する。金融面での覇権の力は強固で、新興国の景気悪化が米国に与える影響は軽微だが、米国の景気悪化が世界に与える影響は甚大だ。

投資家のジョージ・ソロスは、デカップリング論に基づいて実際にポジションを取り、巨額の損失を出したと告白している(10)。

米国の金融覇権の力の源泉は、米国の経済、金融、政策の世界への影響力の大きさだ。新興国経済の成長で米国の経済規模が相対的には小さくなっても、それらは何ら変わっていないことを改めて証明することとなった。

 

【注】

(1) neoconservatism, 新保守主義と訳されることもある。ネオコンの思想は代表的な論客であるロバート・ケーガンの自著「『ネオコンの論理』(光文社、2003年)にコンパクトにまとめられている。

(2) スティグリッツ、ビルムズ(2008)。

(3) フクヤマ(2006)。

(4) 通称「パリバ・ショック」。

(5) Credit Default Swap:CDOに対する保険契約。

(6) オバマ(2007)(2008)。ちなみにバラク・オバマ夫人のミシェルも、自伝『マイ・ストーリー』(原題Becoming)を2018年に刊行している。

(7) 米国の財政赤字はリーマン・ショック後の対応で急増した。「茶会」は財政赤字の存在そのものに強硬に反対する、主に共和党内の政策集団。

(8) レビット(2003)。

(9) ガイトナー(2015)14ページ。もともとのこの見解はウォルター・バジョットが1873年の名著『ロンバード街 ロンドンの金融市場』で示したものである。

(10) ソロス(2009)10ページ。

 

  

 

立ち読み:「おわりに」

米国が輝いていた1950年代に「ショウほど素敵な商売はない(There’s No Business Like Show Business)」というミュージカルがあった。あのマリリン・モンローが出ている映画だ。この言葉に近い感覚で、これまで筆者が出会った様々な業種の多くの経営者が「金儲けほど面白いことはない」と言っている。その通りだと思う。それが金融市場に関しては、市場で搦め手や裏技ではなく正攻法を取ることが結果として収益につながるわけで、こんな愉快な仕事はない。金融市場は短期的には間違えることはある。しかし、長期的には経済の現実を映す鏡だ。金融市場は市場経済を長期的には安定均衡へと導く水先案内人であり、たしかな相場観は正確な時代認識を備えてこそ習得できるものだ。相場で損を出すことを古い日本語で「曲がり」と言うが、曲がった時代認識は投資家として禁物だ。

意外と思われるかもしれないが、金融市場のプレーヤーには金や出世にほとんど執着しない、質素倹約を第一とする職人気質の人が多い。本書第6章で、心のバイアスを取り除き、物事を客観的に見ることの大切さと難しさを説明したが、そうした心構えでなければ、心の平安を保てないからではないか。押し寄せる現実に囚われていては夜も眠れなくなるのだ。また、速いスピードで変化し続ける金融市場を追って自分の腕を磨くには、金や出世などどうでもよくなり、眼中になくなるからだろう。ここは日本の職人文化の美点だといえる。

投資という仕事は、広く社会とのつながりを実感できる。また、そこに社会的意義を見出すこともできる。その意味で、昨今の資本主義批判が強くある中で敢えて市場を擁護する本書を書いた動機は、米536国の1960年代後半から70年代のような、そして日本の90年代以降のような過ちを繰り返してはならないと考えているからだ。

なぜ筆者がそのような感覚を持ち続けているかと言えば、それはひとえに、筆者が社会人として巣立って間もなくの平成時代の30年が、まるまる「失われた30年」と重なり、その間幾多の荒波に揉まれた経験を持つからである。

筆者は1987(昭和62)年に大和銀行に入行した。なぜ銀行に入ったかというと、当時の日本の銀行業界は、現在で言えばGAFAのような、世界最強のビジネス主体と見られていたからだ。だから、そういう強い業界で切磋琢磨しながら自分を鍛えたいと思ったのだ。当時は日本企業が世界に飛躍していった時代で、「世界を股にかける金融マン」というイメージが膨らんでいた。

ところが銀行に入って約半年後に世界の株価が急落したブラックマンデーを経験した。そしてその2年後の89年末に日本の株価は史上最高値をつけた後、90年代に入り、坂道を転げ落ちるように崩壊が始まった。同時に、銀行業界は10年以上続いた不良債権処理のアリ地獄にはまっていった。また、日米貿易摩擦が激化したことで激しい日本叩きも起こった。

率直に申し上げて、何が何だかほとんどわからないまま、事態の悪化に巻き込まれたという思いがあった。そして、自分の人生を自分で決められないこんな状態でよいのかという疑問を持つようになった。そんな中、米系の金融市場関係者からの情報発信だけは、将来の見通しという意味で信用できる気がした。しかも、当時有名だった、不良債権問題など日本経済の問題を追究したアナリストの中には、身の危険を感じて本国に帰ってからも日本に向けて警鐘を鳴らし続けた人がいた。これはインターネットがまだなかった時代の話で、徹底して真相を追う専門家の凄みを感じた。

当時、日本銀行から出されたある調査レポートが話題になった。それは、金融システムとしては、欧米の証券市場を通じた直接金融主体のシステムより、日本の銀行を通じた間接金融主体のほうが優れていると主張するものだった。案の定、海外から激しい批判が起きた。日本の銀行に高い審査能力があるのなら、深刻な不良債権問題など起こらないとする内容だった。

この頃に筆者は、直接金融システムを担う証券部門で働きたいという希望を持った。そして1991年からは証券投資部門一筋となった。当時の日本の人事はローテーション人事と呼ばれ、数年ごとに様々な部門を経験するのが主流だった。その意味では、早い段階で専門職を志望し、念願かなってその通りの仕事をさせてもらうことができた。中でも2000年代前半は、ストラテジストとして最大規模で約6兆円という巨額な資産の資産配分を担当するなどの経験を積んだ。巨額の資金を動かす時の武者震いは、今でも感覚としてはっきりと覚えている。そして、投資の哲学と技法を身につける過程で、本文中で何度も触れた武士の文化と商人の文化のちがい、日本人の思考の欠点、日本人社会の特質をはっきりと認識するようになった。

英語に「外国語を知らない者は母国語も知らない」という諺がある。ジェノア人の文化を継承する証券投資の世界を知ることで、日本の金融を含む産業界をマグレブ人の文化が支配していると感じ始めた。そして2000年代半ばのITとグローバル化で生じた変化に、日本企業がまったく適応できず凋落する姿を忸怩たる思いで見ることとなった。本書の日本を取り上げた第4章と第5章は、この時代に見聞きした思いをつづったものだ。

ところが平成時代しか知らない昨今の若者は、自らの体験をごく普通と認識するがために、敗北の時代と言われてもピンと来ないという。それは物価や資産価格の下落も同じで、下がるのが当たり前と認識する人が多いという。とはいえ近年は新入社員でも自分の401kなど確定拠出年金の運用で、資産を選択する必要に迫られる。一方で、自分で勉強しようとしても、書店には実務に向かない本が多い。一体どうしているのだろうか。

こんな想いをぼんやりと持っていた時期に、とある金融関係の仲間が集まる会で、そこに同席されていた経済書編集者の増山修さんと出会った。その後数年の交流の中で、あるとき、金融市場ウォッチャーがタイムリーに出版する時事的な解説ではなく、自分自身の体験に鑑みて時代と社会を見渡す大局観を持った「自分が生きてきた証し」の集大成を一冊にまとめるよう勧められて、本書は日の目を見ることとなった。筆者としては、当初は自分の子供に語り聞かせるようなわかりやすい投資の教科書的な本を書きたい意向があったのだが、それよりは、本書のような路線を選び、投資家としてもがき苦しみながら長い歳月をかけて身につけた投資哲学とそれを具現化する技法を、広く社会に還元する機会を得られて嬉しく思っている。自分がこれまで歩いてきた社会人生活の多くを書き込んだため、かなり分厚くなってしまったが、意思決定論としての投資の哲学の伝道書、戦後米国経済・金融史、日本経済論の三つのテーマを合体させた内容にすることができたように思う。

日本で高い収益を上げる外資系企業で働く日本人は、商人の文化の視点から日本を馬鹿にして自国嫌いになるか、武士の文化の視点からナショナリストのように日本文化に心酔するかの両極端に割れる傾向があるように思える。みすみす日本企業が収益機会を逃し、そこに目をつける外資系企業が儲ける姿をインサイダーとして目の当たりにする機会があまりに多いからだ。

本来望ましいのは、その中間だろう。外国人から馬鹿にされるような慣行を是正し、互いのよいところを取り入れて対等な立場で一緒にビジネスができる、そんな関係が最善ではないのか。それが実現できれば、結果的には本書で主張した、よい市場、よい取引、よい組織の三位一体が実現できるし、雇用はメンバーシップ型からジョブ型にシフトするはずだ。

そのためには世界に視野を広げ、正しく理解することが不可欠だと思う。今の貿易や交流など国際化が進んだ世の中で生きてゆくには、米国や中国などの大きな存在は、正確に理解して思考や行動のパターンを読んで予測できなければ、損をするはずだ。正しい理解や予測の答えは一つではない。本文中で何度も触れたように、歴史との比較や演繹的発想から、無限にPDCAを繰り返し修正を加える過程で探り当てるものだ。にもかかわらず、たとえば書店に行って米国や中国のコーナーをみても、脅威論か衰退論かの二極分化した内容ばかりが目立ち、現実的な理解に役立つものは実は少ないと思われる。特に中国などは、20年近くにわたって崩壊論が唱えられ続けたことは、日本全体が中国ビジネスで相当な機会損失になったのではないかと感じざるを得ない。米国に対しての認識はまだ現実的な理解が進んでいるようだが、ただ残念なのは、そうした現実的理解は地味なためか耳目を集めない一方、中国崩壊論と五十歩百歩の米国衰退論が次から次へと出されることだ。

これらの背景には日本独特の評論家文化があるように思う。一方、目を海外に転ずれば、投資の本を書く人は投資で名を成した人、中国ビジネスの本を書くのは中国ビジネスで財を成した人である場合が多い。しかも、惜しげもなくそのノウハウを公開する。第2章ではその時代に即した米国で著名な投資家が書いた投資論の本を紹介した。これは評論家文化に対する専門的実務家文化と名づけてよいだろう。

米国で職務の専門化が進んで「会社人間」が死語となり、転職市場が専門能力を査定する場として機能し始めたのは1980年代以降だ。米国経済が戦後2回目の黄金期に入った時期とちょうど重なる。日本では令和の時代に入り、経済団体が日本の雇用システムの抜本的な改革を提唱し始めた。米中の対立やインバウンドで日本に強いフォローの風が吹き始めた今、令和時代の明るい20年後のためにも、失政を繰り返してはならない。有名大学卒業者の就職人気ランキングで上位から日本企業がどんどん減る姿は、危機意識を高めるには十分なはずだ。(…略…)

  

 

『時代の「見えない危機」を読む――迷走する市場の着地点はどこか

時代の「見えない危機」を読む<br>――迷走する市場の着地点はどこか

歴史に潜む“落とし穴”を見抜く

市場は「経済の現実を映す鏡」だ。その実態を正しく摑むには、大局観に基づく中・長期的視点からトレンドを把握する必要がある。繰り返される歴史の波から帰納的に変動パターンを読み取り、平時と乱世、リスク局面などを的確に察知する力をつけるヒントも満載した、スケールの大きな現代経済・金融論!

▼大局観を持ってトレンドを摑め!

 鳥瞰と虫瞰の視点から歴史と市場を捉える

長期の投資哲学、世界の覇権国・米国の経済・金融史、日本経済の動向を三本柱に据え、市場動向を洞察する力へと読者を導く。
単なる金融市場の時事解説とは一線を画す、スケールの大きな知的エンターテインメント読み物。五百数十ページが苦もなく楽しく一気に読み進める、読み応え十分の一冊!

▼激動の30年を乗り越えた辣腕ストラテジストが培った投資哲学とは?

バブル崩壊から1997年金融機関破綻、サブプライム危機、リーマン・ショックと大変動が続いた平成時代の30年。この荒波を乗り切って良好な運用パフォーマンスを維持したスゴ腕の投資実務家が「市場の見極め方」を伝授する。
歴史学はストーリー付きの統計学であり、この歴史的事実=統計的データを正確に読み込むことこそ、時代認識と市場を見極める力をつける最良の方法であると説く。

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書籍詳細

書名 時代の「見えない危機」を読む――迷走する市場の着地点はどこか
著者名 黒瀬 浩一
分野 法・経・ビジネス
初版年月日 2020/05/15
本体価格 2,700円
判型等 四六判/仮上製
頁数 564頁

  

 

著者 黒瀬 浩一(くろせ・こういち)

黒瀬 浩一りそなアセットマネジメント(りそな銀行より出向)運用戦略部チーフ・ストラテジスト、チーフ・エコノミスト
1964 年生まれ。87年、慶應義塾大学商学部卒業、同年、大和銀行(現・りそな銀行)入行。国内支店勤務、香港の証券投資現地法人での勤務、出向した公益財団法人国際金融情報センターで米国経済担当シニアエコノミストを経て、99年より一貫して信託財産運用業務に従事。2004年よりチーフ・ストラテジスト、チーフ・エコノミスト。
BSテレ東「日経プラス10」、BSTBS「サンデーニュースBiz スクエア」、BS12「マーケット・アナライズ plus+」などでマーケット動向解説での出演多数。週刊エコノミストなど経済誌への寄稿多数。ブルームバーグ、ロイターなど情報媒体でのマーケットコメント掲載、りそな銀行での講演多数。
りそな銀行での黒瀬浩一執筆レポート公開サイト

共著
大場智満、増永嶺監修、国際金融情報センター編著『変動する世界の金融・資本市場〈上巻〉日・米・欧編』金融財政事情研究会、1999年


  

   

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