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著者インタビュー
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立ち読み:「おわりに」
米国が輝いていた1950年代に「ショウほど素敵な商売はない(There’s No Business Like Show Business)」というミュージカルがあった。あのマリリン・モンローが出ている映画だ。この言葉に近い感覚で、これまで筆者が出会った様々な業種の多くの経営者が「金儲けほど面白いことはない」と言っている。その通りだと思う。それが金融市場に関しては、市場で搦め手や裏技ではなく正攻法を取ることが結果として収益につながるわけで、こんな愉快な仕事はない。金融市場は短期的には間違えることはある。しかし、長期的には経済の現実を映す鏡だ。金融市場は市場経済を長期的には安定均衡へと導く水先案内人であり、たしかな相場観は正確な時代認識を備えてこそ習得できるものだ。相場で損を出すことを古い日本語で「曲がり」と言うが、曲がった時代認識は投資家として禁物だ。
意外と思われるかもしれないが、金融市場のプレーヤーには金や出世にほとんど執着しない、質素倹約を第一とする職人気質の人が多い。本書第6章で、心のバイアスを取り除き、物事を客観的に見ることの大切さと難しさを説明したが、そうした心構えでなければ、心の平安を保てないからではないか。押し寄せる現実に囚われていては夜も眠れなくなるのだ。また、速いスピードで変化し続ける金融市場を追って自分の腕を磨くには、金や出世などどうでもよくなり、眼中になくなるからだろう。ここは日本の職人文化の美点だといえる。
投資という仕事は、広く社会とのつながりを実感できる。また、そこに社会的意義を見出すこともできる。その意味で、昨今の資本主義批判が強くある中で敢えて市場を擁護する本書を書いた動機は、米536国の1960年代後半から70年代のような、そして日本の90年代以降のような過ちを繰り返してはならないと考えているからだ。
なぜ筆者がそのような感覚を持ち続けているかと言えば、それはひとえに、筆者が社会人として巣立って間もなくの平成時代の30年が、まるまる「失われた30年」と重なり、その間幾多の荒波に揉まれた経験を持つからである。
筆者は1987(昭和62)年に大和銀行に入行した。なぜ銀行に入ったかというと、当時の日本の銀行業界は、現在で言えばGAFAのような、世界最強のビジネス主体と見られていたからだ。だから、そういう強い業界で切磋琢磨しながら自分を鍛えたいと思ったのだ。当時は日本企業が世界に飛躍していった時代で、「世界を股にかける金融マン」というイメージが膨らんでいた。
ところが銀行に入って約半年後に世界の株価が急落したブラックマンデーを経験した。そしてその2年後の89年末に日本の株価は史上最高値をつけた後、90年代に入り、坂道を転げ落ちるように崩壊が始まった。同時に、銀行業界は10年以上続いた不良債権処理のアリ地獄にはまっていった。また、日米貿易摩擦が激化したことで激しい日本叩きも起こった。
率直に申し上げて、何が何だかほとんどわからないまま、事態の悪化に巻き込まれたという思いがあった。そして、自分の人生を自分で決められないこんな状態でよいのかという疑問を持つようになった。そんな中、米系の金融市場関係者からの情報発信だけは、将来の見通しという意味で信用できる気がした。しかも、当時有名だった、不良債権問題など日本経済の問題を追究したアナリストの中には、身の危険を感じて本国に帰ってからも日本に向けて警鐘を鳴らし続けた人がいた。これはインターネットがまだなかった時代の話で、徹底して真相を追う専門家の凄みを感じた。
当時、日本銀行から出されたある調査レポートが話題になった。それは、金融システムとしては、欧米の証券市場を通じた直接金融主体のシステムより、日本の銀行を通じた間接金融主体のほうが優れていると主張するものだった。案の定、海外から激しい批判が起きた。日本の銀行に高い審査能力があるのなら、深刻な不良債権問題など起こらないとする内容だった。
この頃に筆者は、直接金融システムを担う証券部門で働きたいという希望を持った。そして1991年からは証券投資部門一筋となった。当時の日本の人事はローテーション人事と呼ばれ、数年ごとに様々な部門を経験するのが主流だった。その意味では、早い段階で専門職を志望し、念願かなってその通りの仕事をさせてもらうことができた。中でも2000年代前半は、ストラテジストとして最大規模で約6兆円という巨額な資産の資産配分を担当するなどの経験を積んだ。巨額の資金を動かす時の武者震いは、今でも感覚としてはっきりと覚えている。そして、投資の哲学と技法を身につける過程で、本文中で何度も触れた武士の文化と商人の文化のちがい、日本人の思考の欠点、日本人社会の特質をはっきりと認識するようになった。
英語に「外国語を知らない者は母国語も知らない」という諺がある。ジェノア人の文化を継承する証券投資の世界を知ることで、日本の金融を含む産業界をマグレブ人の文化が支配していると感じ始めた。そして2000年代半ばのITとグローバル化で生じた変化に、日本企業がまったく適応できず凋落する姿を忸怩たる思いで見ることとなった。本書の日本を取り上げた第4章と第5章は、この時代に見聞きした思いをつづったものだ。
ところが平成時代しか知らない昨今の若者は、自らの体験をごく普通と認識するがために、敗北の時代と言われてもピンと来ないという。それは物価や資産価格の下落も同じで、下がるのが当たり前と認識する人が多いという。とはいえ近年は新入社員でも自分の401kなど確定拠出年金の運用で、資産を選択する必要に迫られる。一方で、自分で勉強しようとしても、書店には実務に向かない本が多い。一体どうしているのだろうか。
こんな想いをぼんやりと持っていた時期に、とある金融関係の仲間が集まる会で、そこに同席されていた経済書編集者の増山修さんと出会った。その後数年の交流の中で、あるとき、金融市場ウォッチャーがタイムリーに出版する時事的な解説ではなく、自分自身の体験に鑑みて時代と社会を見渡す大局観を持った「自分が生きてきた証し」の集大成を一冊にまとめるよう勧められて、本書は日の目を見ることとなった。筆者としては、当初は自分の子供に語り聞かせるようなわかりやすい投資の教科書的な本を書きたい意向があったのだが、それよりは、本書のような路線を選び、投資家としてもがき苦しみながら長い歳月をかけて身につけた投資哲学とそれを具現化する技法を、広く社会に還元する機会を得られて嬉しく思っている。自分がこれまで歩いてきた社会人生活の多くを書き込んだため、かなり分厚くなってしまったが、意思決定論としての投資の哲学の伝道書、戦後米国経済・金融史、日本経済論の三つのテーマを合体させた内容にすることができたように思う。
日本で高い収益を上げる外資系企業で働く日本人は、商人の文化の視点から日本を馬鹿にして自国嫌いになるか、武士の文化の視点からナショナリストのように日本文化に心酔するかの両極端に割れる傾向があるように思える。みすみす日本企業が収益機会を逃し、そこに目をつける外資系企業が儲ける姿をインサイダーとして目の当たりにする機会があまりに多いからだ。
本来望ましいのは、その中間だろう。外国人から馬鹿にされるような慣行を是正し、互いのよいところを取り入れて対等な立場で一緒にビジネスができる、そんな関係が最善ではないのか。それが実現できれば、結果的には本書で主張した、よい市場、よい取引、よい組織の三位一体が実現できるし、雇用はメンバーシップ型からジョブ型にシフトするはずだ。
そのためには世界に視野を広げ、正しく理解することが不可欠だと思う。今の貿易や交流など国際化が進んだ世の中で生きてゆくには、米国や中国などの大きな存在は、正確に理解して思考や行動のパターンを読んで予測できなければ、損をするはずだ。正しい理解や予測の答えは一つではない。本文中で何度も触れたように、歴史との比較や演繹的発想から、無限にPDCAを繰り返し修正を加える過程で探り当てるものだ。にもかかわらず、たとえば書店に行って米国や中国のコーナーをみても、脅威論か衰退論かの二極分化した内容ばかりが目立ち、現実的な理解に役立つものは実は少ないと思われる。特に中国などは、20年近くにわたって崩壊論が唱えられ続けたことは、日本全体が中国ビジネスで相当な機会損失になったのではないかと感じざるを得ない。米国に対しての認識はまだ現実的な理解が進んでいるようだが、ただ残念なのは、そうした現実的理解は地味なためか耳目を集めない一方、中国崩壊論と五十歩百歩の米国衰退論が次から次へと出されることだ。
これらの背景には日本独特の評論家文化があるように思う。一方、目を海外に転ずれば、投資の本を書く人は投資で名を成した人、中国ビジネスの本を書くのは中国ビジネスで財を成した人である場合が多い。しかも、惜しげもなくそのノウハウを公開する。第2章ではその時代に即した米国で著名な投資家が書いた投資論の本を紹介した。これは評論家文化に対する専門的実務家文化と名づけてよいだろう。
米国で職務の専門化が進んで「会社人間」が死語となり、転職市場が専門能力を査定する場として機能し始めたのは1980年代以降だ。米国経済が戦後2回目の黄金期に入った時期とちょうど重なる。日本では令和の時代に入り、経済団体が日本の雇用システムの抜本的な改革を提唱し始めた。米中の対立やインバウンドで日本に強いフォローの風が吹き始めた今、令和時代の明るい20年後のためにも、失政を繰り返してはならない。有名大学卒業者の就職人気ランキングで上位から日本企業がどんどん減る姿は、危機意識を高めるには十分なはずだ。(…略…)
『時代の「見えない危機」を読む――迷走する市場の着地点はどこか』
市場は「経済の現実を映す鏡」だ。その実態を正しく?むには、大局観に基づく中・長期的視点からトレンドを把握する必要がある。繰り返される歴史の波から帰納的に変動パターンを読み取り、平時と乱世、リスク局面などを的確に察知する力をつけるヒントも満載した、スケールの大きな現代経済・金融論!
長期の投資哲学、世界の覇権国・米国の経済・金融史、日本経済の動向を三本柱に据え、市場動向を洞察する力へと読者を導く。
単なる金融市場の時事解説とは一線を画す、スケールの大きな知的エンターテインメント読み物。五百数十ページが苦もなく楽しく一気に読み進める、読み応え十分の一冊!
バブル崩壊から1997年金融機関破綻、サブプライム危機、リーマン・ショックと大変動が続いた平成時代の30年。この荒波を乗り切って良好な運用パフォーマンスを維持したスゴ腕の投資実務家が「市場の見極め方」を伝授する。
歴史学はストーリー付きの統計学であり、この歴史的事実=統計的データを正確に読み込むことこそ、時代認識と市場を見極める力をつける最良の方法であると説く。
書名 | 時代の「見えない危機」を読む――迷走する市場の着地点はどこか |
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著者名 | 黒瀬 浩一 |
分野 | 法・経・ビジネス |
初版年月日 | 2020/05/15 |
本体価格 | 2,700円 |
判型等 | 四六判/仮上製 |
頁数 | 564頁 |
りそなアセットマネジメント(りそな銀行より出向)運用戦略部チーフ・ストラテジスト、チーフ・エコノミスト
1964 年生まれ。87年、慶應義塾大学商学部卒業、同年、大和銀行(現・りそな銀行)入行。国内支店勤務、香港の証券投資現地法人での勤務、出向した公益財団法人国際金融情報センターで米国経済担当シニアエコノミストを経て、99年より一貫して信託財産運用業務に従事。2004年よりチーフ・ストラテジスト、チーフ・エコノミスト。
BSテレ東「日経プラス10」、BSTBS「サンデーニュースBiz スクエア」、BS12「マーケット・アナライズ plus+」などでマーケット動向解説での出演多数。週刊エコノミストなど経済誌への寄稿多数。ブルームバーグ、ロイターなど情報媒体でのマーケットコメント掲載、りそな銀行での講演多数。
りそな銀行での黒瀬浩一執筆レポート公開サイト
りそなアセットマネジメントでの黒瀬浩一執筆レポート公開サイト
共著
大場智満、増永嶺監修、国際金融情報センター編著『変動する世界の金融・資本市場〈上巻〉日・米・欧編』金融財政事情研究会、1999年
激動する世界経済・市場のダイナミズムを把握し、金融危機などの大きなリスクを見極めるには、全体を見通す大局観や過去から情報を得る歴史観が必要となります。
本フェアでは、これらの視野を養うのに役立つ書籍を、りそなアセットマネジメント運用戦略部チーフ・ストラテジスト/チーフ・エコノミストの黒瀬浩一氏に紹介していただきます。経済書だけでなく、歴史読み物やビジネス書も取り揃えたバラエティ豊かな書籍たちを、ぜひ楽しんで読んでいただければ幸いです!
フェア書目については、こちらをご覧ください。
以下の書店で展開がスタートしました。ぜひその様子もご覧ください。
○MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店4階企画棚
○ジュンク堂書店大阪本店
○くまざわ書店武蔵小金井北口店