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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第5号(2006年10月)
 

 

■ 目次 ■

 

教養: 人生のお化粧として

 私はこれまで「教養」の大切さを、@ビジネスや研究の上で「ヒトの和」を作るのに有効という理由で、またA的確な国際情勢判断と明確な国益認識を持つ政治家を選出するため必須であるという理由で強調してきました。しかし、本当はそのように堅苦しく考えると今回のテーマは詰まらなくなるでしょう。『古今和歌集』に、「花に鳴く鴬、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」という言葉があります。すなわち、@やAで私が理屈っぽく語ったことにかかわらず、私達は美術や音楽を自然にまた気楽に楽しむ「生き物」ではないか、という点を最後に申し上げたいと思います。

 私は中国の『三国志演義』や『唐詩選』が大好きで、ケンブリッジに研修中・留学中の中国、香港、台湾、それに中華系シンガポールの方々と諸葛孔明や李白の話をするのが理屈抜きに楽しくてしかたがありません。The Gazette昨年5月号にも書きましたが、陽明学者山田方谷の人生を伊吹邦彦氏が著した『炎の陽明学――山田方谷伝』を私の机の上で発見した中国出身の友人が、「ジュン、この本は何?」と聞きました。そこから陽明学を通じた日中友好談義が始まり、彼から中国貴州省等、王陽明に縁の深い土地に関する情報を沢山教えて頂き、私自身大いに満足した経験があります。また彼等に日本における有名な小説家である夏目漱石のペンネームが『世説新語』に由来していることを話すと、知らない人が多いのには私自身驚かされ、日本文化の情報発信量が未だ少ないと感じた次第です。こうして今、有能で若い皆様がグローバルな「ヒトの和と輪」を形成して、私以上にのびのびと肩肘はらずに世界の色々な方々と共に文学や音楽を楽しんで頂きたいと望んでいます。

 大日本帝国海軍が誇る知将の一人、高木惣吉少将は著書『太平洋戦争と陸海軍の抗争』の中で日本の将官に対するマッカーサー元帥の印象に触れています。同元帥は青年将校時代の印象―日露戦争時の将軍である大山巌元帥、黒木為髑蜿ォ、東郷平八郎元帥等に会った印象―と、太平洋戦争時の将官に対する印象と全く違っていると吉田茂首相に語ったそうです。高木少将は太平洋戦争時も日露戦争時と同様、或いはそれ以上の知性と勇気を備えた将官がいたことを述べると共に、この占領軍総司令官の疑問に対して理由を2つ挙げています。その第一は優れた将官の多くが太平洋戦争中、無理な戦いで戦死するか自決してしまったことです。第二の理由は日清戦争以後にみられた全般的な軍規・士気の漸次的低下です。これに関して高木少将は次のように語っています。「物知りという点では昭和の軍人の方が昔の軍人より上になったが、一番問題なのは近年の軍人が、まず善良なる日本人であることよりも、強い軍人、向こう気の強い軍人を育てることに傾きすぎたということである。そのために視野の狭い、専門の職人的戦争屋になったのが大きな違いで、月を見ても、花を見ても、人生の悲しみも笑いもなくしたような人が多くなったように思われる。まして白昼公然と制服で上官を斬殺して平然たるような軍隊が、どうして厳しい対外戦ができると考えられようか」、と。皆様、文武両道を貴んだサムライ魂を忘れ、花鳥風月に不感症の無粋な「職人的戦争屋」とは、マックス・ヴェーバーによる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus)』の中の「精神のない専門人(Fachmenschen ohne Geist)」という「末期的人間(letzte Menschen)」と正しく同じ類の「輩」ではありませんか!!

 余談ですが、高木少将は東郷元帥が日露戦争直前の連合艦隊司令長官に就任される際の興味深い話を紹介されております。巷間、東郷中将(当時)の抜擢には明治天皇も不思議に思われ、山本権兵衛海相が「東郷は運のいい男ですから」と奏上したと言われており、私もそう理解しておりました。ところが、高木少将は次のように語っています。すなわち、山本海相の心を悩ませた一つが主将の選定でした。当時、鎮守府や各艦隊の多くの長官達は、口々に桂内閣の弱腰外交を罵倒していたそうです。そこで、山本海相が彼等に対露作戦に関する意見書を提出させると、回答のほとんどが楽観的開戦論で中央の軟弱外交を非難した提督さえあったそうです。ところが唯一通、異色の意見書があり、それは彼我の兵力、極東・欧露の地政学、基地間の兵站等を詳しく比較検討した上での日本勝利の確率的計算でした。この意見書の主が、当時、舞鶴で予備役直前の東郷中将にほかならなかったそうです。こうして、確かに東郷元帥は「運」も強かったのでしょうが、「知」についても優れていたことがご理解頂けたと思います。それが故に日本海海戦時、出色の名参謀秋山真之中将と見事な連携プレーが出来たのかも知れません。また高木少将によれば東郷中将が緒戦時の旅順閉塞に際して、全艦隊を率いての決死隊収容計画が追加されるまで、有馬良橘参謀がいくら進言しても聞き入れなかったそうです。そして、「こんどの戦い(太平洋戦争)で苦しまぎれとはいえ、特攻攻撃を中央大本営の計画に組みいれて、あまり良心の痛みを感じなかったらしい首脳と何たる相違であろう」と高木少将は記しています。こう考えると、日露戦争時の将官は「勇気」は言うまでもなく、「運」と「知」、更には「情け」をバランス良く兼ね備えていたと言えましょう。

 勿論、現在の中東情勢等を見ても分かる通り、戦争とは元来人命を奪う悲惨なもので、今尚世界の各地で散発しているのは悲しいことです。こうした辛い世の中ですが、私は幸運にも日米を中心とする立派な軍人の方々と親しくさせて頂き、彼等の「知」と「情け」に触れる機会に恵まれております。職業柄、いざという時には自らの生命の危険があることを覚悟しているからこそ、彼等は冷静で戦略的思考をなさいます。ゲーテも、「社交界同様、人生において最も有利な立場にあるのは教養ある軍人である(Die größten Vorteile im Leben überhaupt wie in der Gesellschaft hat ein gebildeter Soldat.)」と語り、教養ある軍人となら、「優しさを強さの影に隠しているので、いざという際には協調することが可能(weil doch meist hinter der Stärke eine Gutmütigkeit verborgen liegt, so ist im Notfall auch mit ihnen auszukommen.)」と語っております。

 翻って私達一般人はどうでしょう。ゲーテは「最も厄介なのは無骨な一般人だ。粗野なことに何ら関係する必要もないのだから、本来なら洗練されてしかるべきである(Niemand ist lästiger als ein täppischer Mensch vom Zivilstande. Von ihm könnte man die Feinheit fordern, da er sich mit nichts Rohem zu beschäftigen hat.)」と語っています。すなわち、「戦争の悲惨さも知らず、命を懸けて危険にも曝されぬ安穏とした一般人が知性・品性を洗練しないとは何事だ!」とゲーテは我々に奮起を促していると私は理解しております。

 軍人と一般人との結びつきで私が印象深く思っているのは、真珠湾攻撃直前までの、帝国海軍と大哲学者西田幾多郎博士等の京都学派との繋がりです。その関係で、知将高木惣吉は鎌倉姥ヶ谷の西田邸に伺った思い出を書かれています。すなわち、「西田先生の質問ほど特色のあるものは珍しかった。軍事問題、外交問題の核心にふれてくるその質問ぶりは、素人だからといってごまかせない真剣さがあり、むしろ凄みにちかいものがあって、体のひきしまる思いをさせられるのが毎度の例であった。部内の先輩では山梨大将がかつて次官時代、よく急所を質問されて恐ろしがったものだが、先生のような根本的な、しかも熱心な部外の質問者にあったことがない」、と。哲学者の三木清も西田博士の世事に対する洞察力を称えていますが、「正真正銘」の哲学者は、何事にも本質を見極める眼識が具わっているのだと改めて感じた次第です。因みに、山梨大将とは、若槻禮次郎首相の自伝『古風庵回顧録』にも出てくる極めて優秀な軍人の一人、山梨勝之進大将で、1930年のロンドン海軍軍縮会議の際、堀悌吉中将等と共に当時の国際情勢と日米の国力比較を冷静に勘案出来る数少ない人材でした。残念なことに、当時の帝国海軍は情緒的な強硬派が主流となり、組織として理知的な判断力が脆弱化し、山梨、堀といった帝国海軍の「頭脳」はその意思決定機構の外部へと姿を消してゆきます。これに関して高木少将は、「科学的、合理的とみずからも許し、世間にもうわさされた海軍も晩年はいつのまにか、精神主義にもどっていたのであろう」と書かれています。

 有能で若い皆様、軍人も一般人も、音楽や美術を愛する心を失い、無粋・無骨なまま短い人生を過ごすには余りにも「もったいない」と私は思います。確かに「教養」は、はしたなく見せびらかすものでもありませんし、また眩しく光り輝くものでもありません。その意味では、控え目な一つの「資質」であります。しかし、私の経験でもお分かりの通り、それなりに実用的で、また楽しさと喜びも与えてくれるものであることには間違いありません。私は、「教養」は薄い「人生のお化粧」だと考えております。或いは「人生の隠し味」と言えるかも知れません。音楽の短い一節や文学の短い言葉が、どれだけ私達、そして友人達を喜ばせ、心を一つにさせてくれるか。悲しい時や疲れた時、シェイクスピアの文学やショパンの音楽は私達の人生に希望という艶やかさを取り戻してくれます。私はこれまでの経験でその有り難さを充分感じてきました。この意味で、若い皆様がご自身ならではの個性的な嗜好・志向を持つ「教養」を身に付けていかれることを期待しております。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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