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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第5号(2006年10月)
 

 

■ 目次 ■

 

3. 教養という人生のお化粧も忘れずに

 こうして今回のテーマは「教養という人生のお化粧も忘れずに」です。結論を先取りして申し上げますと次の通りです。国際的な知的対話では、それに値する一流の「ふさわしさ」ないしバランスが重要である。たとえ専門知識で優れていても、教養も、礼儀も、そして協調の精神もなければ相手にされない。仮に瞬間的に相手にしてもらったと思っても、相手の方が何度も会いたいと思われることはない。この意味で小誌8月号の「ヒトの和と輪」を生み出すには、「教養」は不可欠である。「教養」はビジネスや研究で有益であるだけではない。グローバル化が進展するなか、我々は複雑な国際関係に包まれている。正確な国際情勢把握と的確な国益認識を行い、その上で日本の意思決定を行う政治家を選出するには、一国民である我々も「良識」を持たねばならない。そして、その「良識」は、幅広い「教養」によって根気よく育んでゆくしかない。が、そう言っても本当は「教養」は上記のように堅苦しく考える必要はない。如何なる時も、すなわち、幸いなる時も禍ある時も、自らをまた友人に対して、希望と喜びという艶やかさを人生に与えてくれるのが「教養」である。換言すると、派手さは無いかも知れないが、「教養」は薄い「人生のお化粧」のようなものである。これが今回の話であります。

「ヒトの和」を生み出す教養

 寺澤氏のような超一流の経験はありませんが、私自身もビジネスの上で「教養」に救われた経験を持っています。これに関して、私が駆け出しの社会人であった頃の海外調査での経験をご紹介します。或る時、英独仏欧州3国及び米国における或る統計の収集と、専門家との面談という仕事を指示されました。小誌7月号でも触れた通り、大雑把な話ですが米国人は欧州人に比べて「アッケラカン」としている国民性から、若輩者の私でも単独調査可能との上司の判断でした。しかし、欧州人は性格が多少異なり、彼等独自の矜持というものがあって、エリートは或る種の「近寄り難さ」を持っています。このため欧州へは年配の上司と2人で行くことになりました。こうしてパリの予算省や国立統計経済研究所(INSEE)、ロンドンの中央統計局(CSO)、ヴィースバーデンの独連邦統計庁、そしてワシントンDCの国勢調査局等を訪れた3週間程の西廻りの世界一周出張を経験致しました。

 出張中、パリでプライドのとても高そうな高級官僚と面談後、その方を私共が夕食に招待することになりました。私は喜び勇んでガイド・ブック『ミシュラン』の三ツ星レストランを予約しようとしたところ、「フランス高級官僚にフランス料理でもてなすのは分が悪い」との上司の言葉から、渋々中華料理店に予約を入れました。そして難しい顔をしたフランス人と3人、沈黙の中で会食は始まりました。その時、上司が注文した羊料理が出てきたので「羊といえば、『お願いします、子羊の絵をかいて! (S’il vous plaît, dessine-moi un mouton!)』を思い出しますね」と話しました。ご存知の通り、これは『星の王子様(Le Petit Prince)』の中の王子様の最初の言葉です。するとそれまで仏頂面をしていたフランス人が、「栗原さん、どうしてそれを知っているのですか?」と驚いた声で聞きつつ、顔をほころばせています。そこで私は「お国から見れば日本は遠く離れた国かも知れません。が、多くの日本人がシャネルやルイ・ヴィトンだけでなく、サンテグジュペリやヴォルテールを愛しています」と答えました。更には「フリードリッヒ大王がヴォルテールをサン=スーシ宮殿での食事に招く時の『なぞなぞ』で書かれた招待状はお洒落ですね」と申し上げたところ、そのフランス人はテーブル越しに私の手を握りしめ、「フランスのことをそれだけ知っているとは驚きました」と仰りました。その後、私はこの方から「君の目だけだよ」というメモが着いた膨大な資料を頂きました。また上司からはホテルに戻った時に「クリちゃん、良くやった」というお言葉と共に美味しいフランス・ワインを頂戴しました。

 欧州から米国に渡り、所得階層別・人種別の家計調査に関して国勢調査局を訪れた時、8人の米国人が「変な日本人」である私に、次々と詳細な説明をしてくれました。彼等は、白人よりも黒人における所得格差の拡大が深刻だと私に語ってくれましたが、問題の性格故に重苦しい空気に包まれていました。ところが、私が「素人である私でも、それは分かるような気がします。ワシントンDCの街角で見かける浮浪者とマイルス・デイヴィスの人生を比較すると何となく分かるような…」と言った途端、彼等の瞳が好奇心で輝き出しました。米国経済担当の彼等は日本をほとんど知らないらしく、挙句の果てには「日本人もアメリカの音楽を聞くのか?」とこちらが驚くような質問まで飛び出しましたが、幸いにも大量の資料を頂いた経験があります。

 当時はインターネットもなく、また情報公開制度も充実しておりませんでした。従って細かい統計資料や狭い分野の調査分析となると、目的とする資料を一体誰が持っているのかを時間をかけて調べ、そしてわざわざ海外出張をしなくてはならない時代でした。そうした苦労も有りましたが、浅薄な「教養」でもそれなりに私を救ってくれました。勿論、私自身、「教養」が救ってくれた体験だけをしてきたのではありません。逆に私自身の「教養」の浅薄さを嫌というほど感じたことも数限りなくあります。小誌前号で書きました通り、「最近隣国」の朝鮮に関する歴史は恥かしながらほとんど知りませんでした。以前、スロヴェニアの優秀な研究者を、マサチューセッツ工科大学(MIT)ビジネス・スクール(スローン・スクール)の或る教授からご紹介を頂きました。しかし、その時私にとってスロヴェニアは、地理的にも遠く、知的にも未経験な国でした。このために真剣に日本の状況を聞くその研究者に対して、私の方からは具体的に伺うことが思いつかず、従って随分失礼なことをしたのではと反省した次第です。

 このように、幅広い「教養」はそう簡単に出来ないことがご理解頂けると思います。ただ、幸いにも幅広い「教養」には、画一的な「模範解答」もありません。従って、若人の皆様は私の例を余り気にされることなく、ご自身のペースで、また好みの分野を中心にして「教養」を気長に構えて身に付けて下さい。さて、「9/11」直前の2001年8月、未だ世界全体がテロの恐怖を意識しておらず、のどかだった時代、家族旅行でロンドンとパリを訪れました。ビック・ベンの斜向かいに在るマリオット・カウンティー・ホールに泊まり、翌朝、家族でテムズ河畔を散歩して、ロンドン塔の近くに在り、10年以上も前に出張で泊まったホテル、シスル・タワーの側まで来ました。そしてホテルの側で当時或る英国政府機関を訪れた時の忘れ難い出来事を思い出していました。英国高級官僚との面談終了後、別れ際にその方が、「栗原さん、これからどうされるのですか」と聞きました。「折角ロンドンに来ましたので、(書店の)フォイルズに立ち寄り、尊敬する(英国の大政治家)ディズレイリの『シビル、または二つの国民(Sybil, or the Two Nations)』でも買って読もうと思います」と申し上げたところ、彼の顔色がサッと変わりました。そして、「栗原さん、チョッと待って」と言い、長い廊下を通って再びオフィスに戻り、「これは表に出しては困りますが、あなたが資料をまとめる際に充分確信をもって書けるためには参考になるものです」と仰って資料を下さいました。この誇り高き英国高級官僚の方は、最初、東洋から来た私を単に調べものに来た「人類」とビジネスライクに思っていたのでしょう。が、私がディズレイリの話をした途端、教養ある彼等と同じ種類の「人間」として見做してくれたのだと思います。嬉しくなってホテルに戻り、膨大な資料を帰国前に別送したいとコンシェルジュに頼みました。しかし、忘れられていたせいか、翌朝のチェックアウト時にその料金が表示されていないので、微笑みつつも冷ややかに抗議した事を、2001年の夏、テムズ河畔で懐かしく思い出しておりました。

 皆様、「教養」は物知りになって自慢するということが目的ではありません。私の経験が示す通り、価値観を共有する仲間同士だと互いに確認する際、すなわち、「ヒトの和」を形成する際、「教養」が、時間と労力を節約してくれるのです。従って、グローバルな形で「ヒトの和と輪」を形成する時、「教養」は必ず皆様を助けて下さることでしょう。それに、今ではその気にさえなれば、インターネットでフリードリッヒ大王の「なぞなぞ」も『シビル』も簡単に知ることが出来ます。有能で若い皆様方のご努力に期待しております。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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