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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第5号(2006年10月)
 

 

■ 目次 ■

 

一市民として必須の教養

 以上、ビジネスや研究で、「教養」が極めて効果的であることを皆様にお伝えしました。次に、「教養」は一市民として必須であることを申し上げたいと思います。小誌でお伝えしているようにハーバード大学は一流の研究者に新たな見識や視点を尋ね、また意見交流をするために政治家、ビジネスマン、官僚、社会活動家等の一流の実践家が世界中から集まります。例えば、8月20日から9月1日まで、15ヵ国、64人の様々な分野のリーダーが集い、グラアム・アリソン教授やディヴィッド・ガーゲン教授等が企画した安全保障関連の会合(Senior Executives in National and International Security)が開催されました。また8月29日から4週間、The Cambridge Gazetteで何度もご紹介している中国高級官僚研修プログラム(中国公共管理高※培※班)(今回57人)もありました。そして現在3人の中国の現職副大臣がフェローとして参加され、中国の物流問題、知的財産権問題、そしてリーダーシップ論に関しハーバードで数ヵ月研修を受けられます。また小誌でも時折ご紹介しているように日本のリーダーも多数来られています。関西経済同友会の方々は、毎年1度、本学研究者と活発な意見交換をされています。そして9月7日、今秋から私が客員教授となった関西学院大学からは、本校卒業生の村田俊一教授が優秀な学生さん達を連れて本学を訪れました。

 こうして、各界のリーダーが本学を頻繁に訪れますが、元関西同友会フェローで大阪ガスの山川大介氏とガーゲン教授のリーダーシップ論について7月の一時帰国の際に思い出話をしました。すなわち、リーダーは、@能力、A積極性、Bフォロワーとの連携とフォロアーの組織化等で分類・評価できる。そして、(a)有能で積極的な「ヒト」、(b)自分自身は有能ではなくとも優秀な部下を多く抱え、彼等の意見を上手に聞きながら積極的に動く「ヒト」が優秀と評価され、逆に、(c) 本人が自らの無能さに気付かない上にフォロアーの意見も聞かない自惚れたリーダーが最も無能であるという話でした。確かに、「活動的な無知ほど恐ろしいものは無い(Es ist nichts schrecklicher als eine tätige Unwissenheit.)」と、ゲーテも示唆的な言葉を残しています。

 極めて稀ですが、善悪や好き嫌いを別として本学に集まるリーダーで「問題だ!」と私が思う方がいらっしゃいます。その方々の特徴は、@ピントが完全に外れた質疑応答をする、A話が長く考えが整理出来ていない、B協調の精神に欠ける、以上3点です。これに関し、冒頭でご紹介した垣口氏と共に参加した或る会合で私は大失敗をしました。或る財界のリーダーが、The EconomistやForeign Affairs等、世界の指導者層が目を通す所謂高級誌を読んだ経験も明らかに無く、一般情報だけに基づき、しかも国際関係の基礎を全く予習もせずに本学教授に対して半ば喧嘩腰で、その上長々と話しておりました。私はその話の余りの酷さに大人気なく怖い顔をしてその方を睨みつけていました。こうして私よりも若いのに常に冷静さを失わない垣口氏の傍らで大人気無い表情と態度を見せてしまったことが恥かしく感じた次第です。その2、3日後、私は同氏に向って言いました。「あの時、あの酷い話をどう捉えて良いか分からず、恥かしい程無愛想な態度になりました。申し訳ありません。が、時間をかけたため、考えが漸く整理出来ました。あの失礼な言動をした方は経理畑か技術畑かは知りませんが優秀な人に違いありません。だからこそあの地位まで上り詰めたのでしょう。しかしあの方は国際関係に関する知識、従って論拠が薄弱で、判断が感情的です。確かに彼は或る狭い領域において一流の専門家かも知れませんが、国際情勢を判断する能力は有りません。換言すればお金の勘定をする意味で一流の経営者だが一市民の資質としては疑問が残る。彼こそ正しくエコノミック・アニマルであり、民主主義下ではこういう人にも参政権が与えられている以上、国際情勢に暗く的確に国益把握が出来ない政治家が選ばれる危険が存在します」、と。

 小誌で繰り返し申し上げているように確かに国際関係は複雑です。だからと言って、極端に単純化され、偏狭なナショナリズム一辺倒で感情的に煽った主張に傾くことは極めて危険です。The Gazetteの4月号で、ジョセフ・ナイ教授が「ソフト・パワー」に関して外交専門誌『フォーリン・ポリシー』に質疑応答の形で解説した記事を要約しました。その中にヒットラーや毛沢東が信奉者に対して絶大なる「ソフト・パワー」を有していたことを同教授は述べておられます。英国の大学者E. H. カー等が的確に指摘したように、ヒットラーは確かに大衆に対する心理的誘導に卓越した才能を発揮しました。The Gazette昨年7月号でも触れた『わが闘争(Mein Kampf)』の中で、ヒットラーは対象とする相手を、理解能力の高い少数のインテリではなく、感情に左右される大多数の大衆とし、大衆に対する心理的誘導手段として宣伝の有効性を明確に述べています。すなわち、ヒットラーは「インテリ…にとって必要なのは宣伝ではなく学術的示唆である(Für die Intelligenz … ist nicht Propaganda da, sondern wissenschaftliche Belehrung.)」と正確な認識を持ち、彼自身の目的は「少数の学者や耽美主義の若人の変な満足感ではない(nicht die gelungene Befriedigung einiger Gelehrter oder ästhetischer Jünglinge)」と説き、「(大衆操作手段の)宣伝の術は正しく大衆心理の理解に在る(Gerade darin liegt die Kunst der Propaganda, das sie, die gefühlsämsige Vorstellungswelt der großen Masse begreifend.)」と喝破しています。

 そして、ヒットラーは大衆の資質を見抜き、「大衆は精神的受容能力が極めて限られ、理解能力も低く、忘れることも甚だしい。その結果、有効な宣伝は極めて少数のポイントに絞り込む必要があり、宣伝用のスローガンは大衆の最後の一人が理解するまで繰り返すべきである(Die Aufnahmefähigkeit der großen Masse ist nur sehr beschränkt, das Verständnis klein, dafür jedoch die Vergeßlichkeit groß. Aus diesen Tatsachen heraus hat sich jede wirkungsvolle Propaganda auf nur sehr wenige Punkte zu beschränken und diese schlagwortartig solange zu verwerten, bis auch bestimmt der Letzte unter einem solchen Worte das Gewollte sich vorzustellen vermag.)」と述べ、宣伝の知的レベルに関しても、「宣伝は全て大衆向けであるべきで、その知的水準は宣伝が向けられる人々の最低水準に調整すべきである。従って大衆の数が大きくなればなるほど、知的水準は下方修正しなくてはならない。… 全民衆に対して影響を与える目的なら、高度な知的水準という前提は回避すべきで、そのための注意はし過ぎることはない。(Jede Propaganda hat volkstümlich zu sein und ihr geistiges Niveau einzustellen nach der Aufnahmefähigkeit des Beschränktesten unter denen, an die sie sich zu richten gedenkt. Damit wird ihre rein geistige Höhe um so tiefer zu stellen sein, je größer die zu erfassende Masse der Menschen sein soll. Handelt es sich aber . . . ein ganzes Volk in ihren Wirkungsbereich zu ziehen, so kann die Vorsicht bei der Vermeidung zu hoher geistiger Voraussetzungen gar nicht groß genug sein.)」とこれまた驚く程的確です。従ってヒットラーの主張は大衆の感情に訴えるように極端に単純な形を採り、「宣伝を学術的情報のように多面的に検討がなされたものにするのは誤りだ(Es ist falsch, der Propaganda die Vielseitigkeit etwa des wissenschaftlichen Unterrichts geben zu wollen.)」と述べています。

 皆様、ヒットラーの分析は恐ろしい程見事ではありませんか。「もし彼が生き延びていたなら、本校は彼を大衆心理誘導の天才として招聘しただろう」と或る本校教授が私に冗談混じりに言ったのを身震いしながら思い出しています。かくして70年程前、良心的ドイツ人は、@強制収容所、A迫害、B亡命、それともC賛否・善悪を別とした服従、いずれかの道を余儀無くされました。歴史家のフリードリッヒ・マイネッケが戦後に著した『ドイツの悲劇(Die deutsche Katastrophe)』を読みますと、愚かな大衆心理に振り回された偉大なドイツの運命が本当に悲しく思えてきます。この意味で、有能で若い皆様が単純な議論で感情的に左右されるのではなく、複雑な議論を冷徹に追求する能力を持ち、しかも心理的にも逞しくて尚且つ国際的視野を持った「ヒト」になられることを願ってやみません。

 チョッと話が飛びますが、カズオ・イシグロの小説を基にした『日の名残り(The Remains of the Day)』は、大戦間期、親ナチ派の或る英国伯爵に仕える執事役を名優アンソニー・ホプキンズが演じた魅力的な映画です。映画の中で、当時の政治経済問題に関して執事が如何なる見識を有するか試される場面があります。また確かに真面目で有能な執事を雇っていましたが、主人たる伯爵は複雑な国際政治の中で判断を誤り、失意のうちに亡くなります。判断力の無い指導者とその指導者に盲目的に服従し、ひたすら尽くす有能な執事…。描写と演技が見事なだけに様々な意味で考えさせられた秀作でした。この執事のように単なる「善良な人」であるだけでは民主主義下の一市民として、その権利を有効に行使することが出来ません。ヒットラーのような政治家に騙されないためには、一市民としての「良識」が必須です。そしてその「良識」は、幅広い「教養」が長い時間をかけて熟成させてゆくものだと私は考えています。この理由から、市民として「教養」は必須となる訳です。

 現在、国際情勢は大戦間期同様、益々複雑化する様相を示しています。再び脱線で恐縮ですが国際関係に暗いエコノミック・アニマルと言えば、「日本人へ: 乱世を生きのびるには…」と題した小論を、『文藝春秋』誌4月号に載せられた作家の塩野七生女史のご意見に思わず微笑んでしまいました。すなわち、「激動する世界情勢下では主導権をにぎるしか勝つ道はないが、安保理の常任理事国でもなく核ももたず、軍事力を満足な状態では海外に送れない日本が、大国と思い込んでいたこと自体が妄想であったのだ」とし、「こうなっては腰を落ちつけて、日本人だけで解決できる問題にわれわれのエネルギーを集中してはどうだろうか。… 主導権欲しさに悪あがきしても効果なしとは、安保理常任理事国入りの一件でわかった。援助外交も効果なしということも、三十年にわたる経験でわかった。… 今度こそ、堂々とエコノミックアニマルをやるのである」と提案されています。『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』をはじめとして同女史の小説は誰をも魅了しますが、この提案には一瞬私も驚きました。しかし、最後の言葉「そして何よりも重要なのは、持てる資源を徹底して活用する冷徹な精神である。日本の資源と言えば、人材であることは言うまでもない。体力にさえ自身がつけば、何に対しても人間は、自信をもって対処できるようになってくるものですよ」を読んで納得しました。皮肉を絡めた軽妙なタッチの同女史の主張は「経済力だけを頼みに幻想である大国意識を独善的に抱いていては、世界で通用しない。自らの能力を冷徹に分析し、高い『志』と能力の持ち主である『ヒト』の心技体を鍛えよ」だと私は理解しております。

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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