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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第2号(2006年7月)
 
 

継続的・双方向の日米対話を目指して

 こうして、私達日本が複雑な国際情勢のなかで冷静に国益を追求してゆく時、最も重要な対外パートナーは覇権国米国であることを認識する必要があります。同時に、その米国の動き自体が、揺れ動く世論と内在する異なる社会観を背景とするだけに、事前に予測することが難しいことも認識しなくてはなりません。実際、2004年秋の大統領選では、米国を二分するような形で選挙が行われました。その時、私は、@共和党系の人々の考え方と民主党系の人々の考え方との間の違い、また、A党派に拘泥せず、「是は是、非は非」として中道的な立場を望む人力が、極端に別れてしまった政策的選択肢に対して戸惑うという米国政治の現実をここハーバード大学で直接目にしました。そして或る民主党系の友人が、「ジュン、当分の間、カナダで人生を過ごしたい気分だよ」と言うのを聞き、意見の大きな乖離を米国内に発見した次第です。また、ラスヴェガスに向う飛行機で偶然隣り合わせた南部の裕福な白人紳士は、私を洗脳しようと、フライトの途中、南部言化りの英語でカリフォルニア州やマサチューセッツ州のリベラル思想を徹底的に批判して、私は完全な聴き手にまわり、ゆっくりとワインを飲む事も出来ずに大変な目に遭ったこともあります。

   このように、日本を含む世界の他の国同様、米国のなかにも多種多様の価値観があり、その集合体としての国家の「意思」は複雑で或る意味時と共に刻力と変化してゆくわけです。そうした「意思」をもつ覇権国米国が我々の最も重要な対外パートナーなのですから、私達は米国の「意思」を探るべく、注意して米国を観察し続けなくてはならないということは皆様にお判り頂けると思います。また、創刊号でも申し上げましたように、相手から質の高い情報を得ようとするなら、こちらから積極的に働きかけなければなりません。従って、こうした双方向の知的対話を継続的にしつつ、「振れ」の激しい米国の動向を正確に見極め、その上で我が国の国益を最大限にする戦略を見出してゆかなくてはなりません。

 日米対話の努力に関しては、もう既に優れた人々が始めておられることをご存知の方も多いと思います。政治レベルでは、前述のナウ氏がジョージ・ワシントン大学(GWU)の教授として運営する日米議員間交流プログラム (U.S.―Japan Legislative Exchange Program(LEP))は1985年以来、20年以上の歴史を誇っています。主要メンバーが固定しており、オフレコで自由闊達な議論がなされ、LEPでは、政治家間の個人的信頼感も既に醸成されたと聞いております。政治は正しく「ヒト」で決まる世界ですから、政治のレベルで「ヒト」同士の信頼関係が確実に深化していること自体、喜ぶべきことと考えております。

 私自身も米日リーダーシップ・プログラム (U.S‐Japan Leadership Program(USJLP))という日米交流活動に参画しております。これは、2000年に始まった比較的新しい活動で、専門領域を越えた日米両国の中堅20人ずつが、毎年集い、「ヒトの和」と「ヒトの輸」を築いてゆこうとする活動です。2000年の夏、NHK の今井義典論説委員長(当時)のご推薦を頂き、日本側の第1期生として参加致しました。シアトルのフォー・シーズンズ・ホテルに宿泊 し、国際政治経済問題や杜会問題、そしてジャーナリズムの役割等について、それも『ニューヨーク・タイムズ』紙のディヴィッド・サンガー氏等の外部講師と共に、討論に、スポーツに、そしてカラオケにと大いに楽しみ ました。また、前述した本間先生の講義も、 シアトルで伺ったものです。日本側第1期生として、河野太郎衆議院議員をはじめ、ワシ ントンDCに駐在するトヨタ自動車の岡崎達朗氏、2004年大統領選を取材した朝日新聞政治部の渡辺勉氏、そして昨年12月、ナウ教授の外交専門書『アメリカの対外関与―アイデンティティとパワー(At Home Abroad: Identity and Power in America Foreign Policy)』を訳出 した前述の村田先生等、様々な領域の方々が参加しました。このようにUSJLPでは日米間だけでなく、日本国内でも日常業務に忙殺されて接触する機会の無い日本の同年代の人力と質的に高い絆が出来るプログラムです。

  こうして国家と「ヒト」、二つのレベルで国際交流を考えた際、日本の対外パートナーとして米国が飛び抜けた位置にあることがご理解して頂けると思います。勿論、私自身、東アジア諸国や欧州諸国等との知的会話を否定している訳ではありません。それどころか、私は日米間の知的対話に比して、質量共に改善が望まれる他の国力との知的対話を推進したいと考える人間です。しかし、現実的には、言葉、価値観、歴史観といった克服すべき問題も含めて、他の国々(例えば隣国の中国や韓国、そして欧州諸国)との対話が、日米間の知的対話にレベルに追いつくには相当の歳月を要すると考えております。

 米国の魅力の一つとして、米国人は良かれ悪しかれ「アッケラカン」とした健やかさがあることを指摘しました。換言すれぱ、米国人は、こちらが誠意を尽くして、根気良く理論的に語れば、納得してくれる可能性が一番高い人々です。ぶっきらぼうに「問答無用」というような態度は採りません。勿論、国の威信や国の利害が絡んだ交渉の場で、そう簡単に「はい、そうですね」など、誰も言う訳はありません。しかし、私の限られた見聞でも、理と礼を尽くした時、米国人が最も真剣に対応してくれる相手だと理解しています。

  これに関して、作家の城山三郎氏とジャーナリストの下村満子女史が、1989年の『Voice』誌3月号に対談録「哲学を語れ」を発表して おります。その中で、「アメリカ人のいいところは、日本人みたいに感情的になるのではなく、論理的に説明すれぱ納得する国民なんです。その点はフェアです」という点がお二人の間で確認されています。そして城山氏は、 次のようにも語っています。「東京電力の平岩外四さんは、ニューヨークの外交評議会で、たまたま本の話になったのでこういわれた。『ユリシーズ』の決定版がアメリカで出たと聞き、本家のイギリスでさえ売れないものを出したアメリカは偉いと関心しつつ、買おうと思ったのだが、いくら探しても見当たらない。ずいぶん探してもらって、ようやく手に入った。アメリカはこんなにいい本を出すのだったら、なぜもっと売る努力をしないのか、 と。みんなシーンとしちゃいました。…アメリカ人に向かって『売る努力が足らん』といった。日本にそういう経営者がたくさんいてくれないとね」、と。私も城山氏の意見に大賛成です。繰り返しになりますが、世界の中で、米国人はこちらが誠意を尽くし、根気良く理論的に言えば、納得してくれる可能性が一番高い人々です。従って、問われているのは、城山氏が指摘するように、米国人が彼等自身の論理に従ったとしても納得せざるを得ないように、我々が質の高い見識を彼等に語りかけられるかどうかだと私は考えます。

  しかし、質の高い意見を交換する知的対話を行うには、小誌創刊号でも書きました5つの要件、すなわち、(1)一流の専門知識、(2)幅広い一般教養、(3)語学力、(4)マナーと交際術、(5)多角的・重層的な協カ・相互補助の精神が不可欠で、その条件を満たすには並大抵の努力ではできません。私事で恐縮ですが、ここ数年、年末にナウ教授がLEPで来日する時を利用し、二人で温泉旅行に出かけます。 温泉自体は素晴らしいのですが、体を湯に浸しながら、知的探究心の旺盛な同教授の質問に答えるには知的にも精神的にもそして体力的にも「したたかさ」が必要です。箱根の露天風呂では、同教授が「ジュン、(ドイツの政治家)アデナウアーに相当する日本の政治家は誰なのか?」や、「ジュン、(トルーマン政権時の国務長官)ディーン・アチソンの日本での評価はどうか?」とリラックスしようとしている私に語りかけてきました。また何事にも好奇心を持つのは結構なのですが、鬼怒川温泉では、同教授は日光名物のユバの製法を(知る由も無い)私に執拗に聞き、日本の食文化に対する私の知識不足を指摘しました。熱海に在る滝の水が流れ落ちる露天風呂では、西洋と東洋の自然観の違いに関する私の見解を同教授が問い質した時、私は思わず「黙ってくれない!」と叫んでしまいました。こう考えてみますと、質の高い知的対話は努力と忍耐が必要です。しかし、以上のようなナウ教授からの執拗な質問がなければ、私自身真剣に国際関係史や日本文化論を学ぼうと思わなかっただろうと、今は同教授の飽くなき探究心に改めて感謝しております。こうした経験から、若い皆様も、専門知識に加え、幅広い教養と語学力を養って下さることを願っております。

 こうして、常日頃からナウ教授とは次のよ うなことを互いに納得しております。すなわち、@日米両国は地政学的にも、歴史的にも、 また国民の価値観も異なる。それ故に国益が異なることは当然で、両国が対立することも時には不可避となる。その場合の我々の課題は如何に互いに譲歩して両者が納得できる合意点を見出すかである。同時に、A直接的・双方向・継続的な質の高い意見交換をせずし て、また猜疑心から誤った相手のイメージに基づいて、無意味な日米対立をすることこそが最も忌避すべき事態である、と。皆様もこの2点を銘記し、質の高い知的対話ができるよう努力を重ねて下さることを期待します。

 さて、私は今回、日米関係の重要性、米国 という国の持つ魅力と抱える課題、そして継続的・双方向の日米対話の重要性について述 べてきました。今回、チョッと理屈っぽくなり過ぎたかも知れないと反省しております。 結局のところ、いずれの国とのお付き合いも素晴らしいものでしょうが、私は、優れた「ヒ ト」、「モノ」、「カネ」、そして「情報」が集まる日米交流はそのなかでも格別だと申し上げたかったのです。昨年夏、ケネディ・スクールのディヴィッド・エルウッド新校長が、校長就任後、初来日をされました。その時、校長に同行した御蔭で、本校卒業生の素晴らしい方々と巡り合う機会に恵まれました(同校長の日本での行動は、The Gazetteの2005年8月号を参照して下さい)。特に、本校同窓会の運営に関してリード役を果たされている聡明な牧野容子女史のキビキビとした行動に感銘を受け、それ以来意気投合して双方向の知的対話をさせて頂いています。牧野女史は5月中旬に本校に立寄られ、私に本学付属フォグ美術館の学芸員の方々を紹介して下さいました。美術のお好きな方なら、美術館の舞台裏や内情も知り、そして美術の分野で国際的なネットワークを持つ学芸員と親しくなることが如何なる喜びかご存知だと思います。こうして私は、日本を含む世界中の「志」の高い人々と米国で知り合った幸運に喜びを感じております。そして、高い「志」と才能を秘めた若い皆様も将来是非、海外との知的対話を持たれることを心から願っています。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政学大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
 

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