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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第2号(2006年7月)
 
 

米国が抱える課題

 英語には「コインの裏側(the other side of the coin)」という表現があります。物事には必ず表と裏があるという意味ですが、上述した米国の魅力は、見方を変えれば米国が抱える深刻な課題とも受け取れます。すなわち、@米国は覇権国であるが故に、世界の一部の国々と人々から、或る時は過度に期待され、また或る時は羨望と憎悪の対象になる危険性を持 っている点、A覇権国として世界を眺め、同時に世界から優れた人々が熱心に集まるが故 に、米国自身が世界の何処よりも素晴らしい国であると錯覚し、他国を過小評価するとい う慢心から「自ら所属する組織以外の情報を無視する行動様式(NIH 症侯群/“Not Invented Here (NIH) Syndrome”)」に陥る危険性、更には、B良かれ悪しかれ、米国の「アッケラカン」とした健やかさからか、米国の言動に「振れ」が生じ、周辺諸国の私達には理解し難い「大きな振れ」と映るために、覇権国自体が私達を困惑させる点、以上3つの課題です。

 @覇権国である限り、周囲からの過度の期待と失望、そして羨望と憎悪は或る程度宿命としか申せません。40年以上も前の1959年、米国が今以上に圧倒的な相対的国力を背景に自由主義世界のリーダーであった頃、米国の人類学者であるエドワード・ホールが著した『沈黙の言葉(The Silent Language)』の中の言葉は極めて示唆的です。すなわち、「米国は、対外援助に多額の資金を使ったにもかかわらず、世界から愛着も尊敬も得ることはなかった(Though the United States has spent billions of dollars on foreign aid programs,it has captured neither the affection nor esteem of the rest of the world. )」、と。いつの時代も、どこでも、そしてどのレベルにおいても、リーダーに対する視線はまことに厳しいものがあります。

  往々にして人間は情報の正確性とは関係無く、単なる「イメージ」や「風評」に頼って相手を評価します。従って、覇権国にぶら下がっている中小の諸国が、自らの責任と「力」を別にして、覇権国米国の「意思」と「力」を批判するのは良かれ悪しかれ仕方ありません。特に現在は質の如何にかかわらず情報がインターネットを通じて瞬時にグローバルに流れる時代です。無責任な情報、或いは誇張された情報によって米国自身と関連諸国共に様々な形で悩まされることになるでしょう。この意味で、ケネディ大統領が大統領就任時、覇権国としての立場を語った言葉「世界の皆さん、米国があなた方に何を為すのかを問わないで下さい。むしろ、自由世界のために我々が共に何が出来るのかを問うようにして下さい(My fellow citizens of the world,ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.)」を思い出しております。

 A無意識のうちに懐く米国の尊大な「大国意識」は何も覇権国に限ったことではありません。世界第2の経済大国である我が国も、また巨大な組織においても、往カにして前述の“NIH Syndrome"に陥ってしまうことは多くの文献が指し示すところです。ここで一つ注意したい点は、日米における“NIH Syndrome"の違いです。単純化して申し上げますと、覇権国米国はたとえ“NIH Syndrome"に陥ったとしても、国力を背景に「知らなかった」と居直ることが出来ます。勿論、周辺諸国には不満が溜まりますが、米国を心底怒らせる勇気は周辺諸国にはありません。しかし、日本が“NIH Syndrome"に陥った場合はどうでしょう。 周辺諸国が良心的である場合には日本に忠告してくれますが、そうでないと、陰で日本の“NIH Syndrome”を潮笑うか、「井の中の蛙」になって次第に国際舞台の中心から外れてゆく日本を傍観視しているだけです。

 以前、「ジャパン・パッシング/“Japan passing”」という言葉が日本国内で注目されたことがあります。この“Japan passing"自体、周辺諸国が日本を重要な相手として思っていないというシグナルだと考えています。紙面の制約上、詳しくは触れられませんが、様々な分野で今尚“Japan passing"が存在します。その意味でも若い人々の活躍が期待されておりま す。こうした“Japan passing"のなか、世界のどの国が一番先に日本に語りかけてくれるでしょうか。それは米国にほかなりません。そしてそれは当然ながら何も善意からではなく、米国の国益にかなった行動からであります。

  日米通商摩擦が最高潮に達した時期の1987年、貿易問題に関する研究者、エレン・ フロスト女史が、『日米新時代をどう切り開くか(For Richer, For Poorer, The New U.S.-Japan Relationship)』を著しました。原書のタイトルと文章に同女史のお人柄が表れているようで大変感激し、当時まだ純情だった私は、ワシントンDCに出張した際、アポイントメントを取り、付菱とラインマーカーだらけの同書を片手に、直接お目にかかりました。この会合が私にとって才色兼備の同女史との最初の巡り合いとなりました。そして別れる際、私は感謝の気持ちに溢れていたため、思わず手を差し出して握手をしてしまいました。皆様ご承知の通り、通常、男性の方から女性に対して、それも身分の低い人(この場合、私)が、身分の高い人に対して握手を求めることはマナーとして許されません。が、同女史は私に向って微笑みながら無作法にも私が差し出した手を優しく握って下さいました。私は今でもこのことを思い出すと顔から火が出るぐらい恥かしい気持ちになります。

  さて、お気付きの方も多いと思いますが、 同書の原書タイトル(<i>For Richer,For Poorer</i>)は、 結婚式の誓いの言葉(すなわち、「幸いなる時 も禍なる時も、・冨める時も貧しい時も、健やかなる時も病める時も…(for better or for worse, for richer or for poorer, in sickness and in health...)」)から採られています。同書の中で同女史は、「米日間の『離婚』は経済的に不可能であり、軍事的に非現実的であり、政治的に考えられないことである。(この意味で)双方はひたすら一層の努力をしなければならない(Divorce between the United States and Japan is economically impossib1e,mi1itari1y impractica1,and po1itically unthihkab1e.Both sides must simply try harder)」と述べています。 また同女史は、1987年当時から前述の“Japan passing"を予感するかのように、「色々問題がある米国人だが、こうした米国人を除いては日本は僅かしか海外に真の友を持っていない (Except for those problematic Americans,Japan has few real friends abroad.)」と、我々に対して厳しい言葉も述べています。

  その後、同女史の米通商代表部(USTR)時代や国際経済研究所(IIE)時代、私がワシントンDCを訪れた際に彼女のオフィスを訪れる機会に恵まれました。IIE時代に彼女は米欧関係の著書を書かれ、私にこう仰いました。「栗原さん、私はもう日本のことは書きません。だから欧州のことを書いたのです」、と。私はその時、何とも言えない寂しさを感じた次第です。その後、教育界に転身されたフロスト女史とは、2、3年後、友人であるIIEのアダム・ポーゼン氏の自宅で開かれたパーティで再会しました。その時、ワイン・グラスを片手に、欧州経済の話で盛り上がってはいましたが、私は素晴らしい日本の理解者を一人失ったような気持ちになったことを今も覚えています。

 B第三の課題は米国自身の「振れ」です。 これに関しては多くの専門家が書いておられるのでそれを参照されるのが一番だと思います。が、ここで私の理解を簡単に述べさせて頂きます。米国の外交政策の「振れ」は、結局のところ、(a)米国世論が諸事情により大き く振れることと、(b)米国に内在する異なる社会観が政権交代と共に表れてくることによる と考えております。世論に関しては、岡崎久彦大使がご著書『日本外交の分水嶺』の中で、 「アメリカの出方はわからない、というのが もっとも客観的かつ妥当な見通しです。…アメリカン・デモクラシーでは、結局は世論の 決定を待つことになるのですが、世論の動向 を前もって知るということが不可能だからで す」と的確に述べておられます。米国内の社会観に関しては、外交問題評議会(Council on Foreign Relations(CFR))の外交専門家ウォル ター・ミード氏が2001年に発表した著書 (Special Providence: American Foreign Policy and How It Change the World)が大変参考になります。また、ミード氏の考えをも取り込んで米国外交について簡潔に解説したものとし て、同志社大学の村田晃嗣先生による『アメ リカ外交』が2005年に新書として出ています。 尚、ミード氏は著書の中でサッチャー英国首相が米国の外交政策における誤った解釈をされたと指摘しています。英国の首相ですら誤解することがあるなら、我々日本人なら時々間違うことは無理からぬことでしょう。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政学大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
 

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