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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第3号(2006年8月)
 

 

■ 目次 ■

 

3. 結局は「ヒトの和」と「ヒトの輪」

 今回のテーマは「結局は『ヒトの和』と『ヒトの輪』」です。換言しますと“Harmony”と“Network”です。今回の結論を先取りして申し上げますと次の通りです。上述したように何事を成すにしても、@「志」を共有する仲間同士の「ヒトの和」と、A「ヒトの和」が世に広まった形である「ヒトの輪」を必要とする。「ヒトの和」は、各々が積極的にコミュニケーションに努め、高い「志」を共有しなければ瞬く間に消滅する。また、「ヒトの輪」は、馴れ合いを許す「仲良しクラブ」ではないので、高い「志」を共有し、知的に刺激し合う「ヒトの和と輪」でなくてはならない。「ヒトの輪」には仲間を限定した「閉じた輪」と、参加に関して或る程度開放された「開かれた輪」があり、各々長所と短所を持っているが、バランスの取れた「輪」を形成する必要がある。また、情報通信技術と運輸交通手段の発達で、物理的距離が短縮された時代には、グローバルな「ヒトの和と輪」の形成が以前に比べ容易になる。これが今回の話であります。

「ヒトの和」

 「ヒトの和」自体、皆様は「当たり前じゃないか」と思われるでしょう。その通りです。しかし、現実問題として、個人と国、いずれのレベルにおいても「和」を実現するとなると非常に難しいものです。確かに、聖徳太子の「和を以て貴しと為し(原文は漢文ですから正確には『以和為貴』)」は日本人なら聞いたことの無い人はいらっしゃらないでしょう。またお隣りの中国に目を向けると、昨年12月6日、中国の温家宝首相がパリを訪れ、名門大学校エコール・ポリテクニークで講演した時、同首相は、「『和』が、中国における文化伝統の基本的精神です(“和”是中国文化伝統的基本精神)」とフランス・エリートに語りかけました。時間は遡りますが、昨年2月16日、王毅駐日中国大使は、日本学士会から特別賞を受賞した時のスピーチの中で、共に「和」を大切にするのが日中両国であると述べられています。同時に、王大使は、『論語』「子路第十三」の「君子は和して同せず、小人は同じて和せず(君子和而不同、小人同而不和)」を引用され、互いに「違いを持って互いに補い合う」重要性を述べられました。

 皆様、「和」を大切にする我が国と、同じく「和」を強調する首相や駐日大使の国である中国とがどうして「不和」の状態になっているのでしょうか。残念ながら、私自身、この問題に対して明確な回答を持っていません。孔子が説くように我々が「小人」なのでしょうか。そんなはずはありません。皆様を含め、才能有る「ヒト」はこの世の中に溢れています。単に「好き嫌い」という要素もあるでしょう。しかし、それだけでは簡単に説明がつく問題でもありません。私は、ここでリーダーの役割を考えてみたいと思います。何故なら、リーダーシップの成否如何で、コミュニケーションの円滑化とその結果である「ヒトの和」の成否が大きく左右されると考えるからです。その論拠として一つの興味深い資料をご紹介します。30年以上も前の1973年7月19日、東京の世界貿易センターで、三菱商事の藤野忠次郎社長は、「『企業の責任』について」と題し、講演を行いました。冒頭、同社長は講演を行う前の数ヶ月間、欧米、東南アジア、ラテン・アメリカ等、世界各地を巡られたことを語りました。そしてその印象として、どの国でも性質は異にしているものの頭の痛い問題を抱えているとし、日本に戻って来ても状況は同じであると述べています。同社長はこの問題の原因として「国民的合意」が無いことを挙げています。そして、「我々国民の側に於いても、それが経営者であろうとなかろうと、夫々の立場で、国に対して自己の責任を、本当に果たしているかどうか」と、問いかけています。すなわち、当時、日本を含む世界の各地では「ヒトの和」が希薄であった。その「和の再生」のためには各々が各自の責任を果たす必要があると同社長は仰いました。

 「国民的合意」形成のため、藤野社長は、先ず強力な政治的リーダーシップを政界に要請しています。が、同社長はそれだけには終わりません。財界のリーダーの一人として、「国・社会の一員として自らもその言動が問われている」とし、本論である「企業の責任」を語り始めます。同社長は「企業の責任」について先ず一般的な整理をされます。企業は、(1)国及び社会(納税や寄付を通じて)、(2)株主及び従業員(配当や給与)、そして(3)企業自身の長期的存続の源泉(内部留保の蓄積)に対して責任がある、と。次に同社長は「豊かな時代における企業の責任の特徴」を述べられます--高度経済成長期は、「増産=経済的福祉の増大」という単純な算式が成立していた。こうしたなかでは、企業は規模拡大だけを実現していれば責任を全うしたとされていた。しかし、豊かな時代の企業の存在意義(レゾン・デトル)は異なる。長期的視点から社会情勢に柔軟に対応することこそが「企業の責任」である、と。藤野社長によれば、その「企業の責任」とは、「企業の社会的責任」を積極的に果たすことを意味します。そして具体的な指針として、@明確なヴィジョンを持つこと、A経済活動が課する社会への負荷を認識すること、B企業は、社会や個人に対して「いささかも」圧迫する環境を作ってはならないこと、C企業の価値観と自由な個人の価値観との整合性、以上4点を挙げられます。

 このように藤野社長は、「ヒトの和」が希薄になった状態では、単に政治家にリーダーシップを期待するのではなく、進んで自らの責任を明確にし、率先してリーダーシップを果たすという姿勢を示されました。これを読み、私は小誌前号でも触れたケネディ大統領による就任演説の中の言葉「国民の皆さん、国家があなた方に何をしてくれるのかを問うのではなく、あなた方が私達の国家に何が出来るかを問うようにして下さい(My fellow Americans, ask not what your country can do for you? ask what you can do for your country.)」を思い出し、「他人任せにするのではなく、自らが如何なる責任を果たせるか」を考える藤野社長の姿勢に感銘を受けた次第です。

 企業のリーダーとして、先に示した藤野社長の具体的な指針、すなわち、@明確なヴィジョン、A社会に対する責任感、B社会に対する控えめな態度、C社会との価値観の共有、以上4つは、30年経っても色あせるどころか、同社長の先見性故に今でも新鮮な響きのするものと私は理解しております。リーダーが明確なヴィジョンをフォロアーに提示し、リーダーが率先して社会に対し慈愛、謙譲、協調の態度で臨めば、フォロアー達の間では自ずとコミュニケーションが円滑になり、結果として「ヒトの和」が生まれてきます。逆に、リーダーが明確なヴィジョンを提示しなければ、フォロアー達は組織全体の基本方針が分からず、日々の作業、個々の作業に対して、各々の勝手な判断で臨むことになります。その結果として、コミュニケーションは大半が互いの意思の確認に費やされるか、最悪の場合はそうした探り合いから疑心暗鬼になり、コミュニケーションが滞り、その結果、「ヒトの和」が雲散霧消することは明白であります。

 1973年と言えば、奇しくも今と同様、戦火を交えた激動の年でありました。ヴェトナム戦争が終結する一方で、スミソニアン体制が崩壊し、10月には第4次中東戦争が勃発して第1次石油危機が世界経済を襲いました。藤野社長の講演直前である11月15日には、愛知揆一蔵相が円急騰に懸念を表明し、そして講演直後の23日には同蔵相が急逝するという波乱の年でした。このように見通しが立たず「一寸先は闇」というなか、「長期的視野」を強調されたリーダー、藤野社長の慧眼に敬服するしかありません。因みに、藤野社長はハーバード大学とも縁が深く、本学ビジネス・スクール(HBS)が1957年から年に1度開催する晩餐会(Harvard Business School of International Dinner)において、日本人初のキーノート・スピーカーとして1973年4月、講演をされています。千人以上の聴衆を前に、小誌前号で紹介した東京電力の平岩外四氏同様、米国人に向って「売る努力が足らん(正確には、“Many American companies have not taken the Japanese market seriously enough . . . ”)」と仰っています。勿論、紳士的かつ真摯な態度で仰ったのであって、決して「喧嘩腰」ではありません。高い「志」を懐く若人の皆様、藤野社長のように相手を唸らせるようなスピーチを千人以上の米国人の前で出来るよう、今のうちから努力して下さることを期待しております。私は、この講演資料を創刊号でもご紹介した元三菱商事の守恭助氏から頂きました。30年も前に、冷静な頭脳と熱き心をもって国際ビジネスの第一線で活躍されていた「サムライ藤野忠次郎」の姿を垣間見ることが出来たような感動を覚え、守氏に改めて感謝すると同時に、若い人々と共に私も遅まきながら努力を積み重ねたいと思っております。

 以上、「ヒトの和」は、個人と国、いずれのレベルでも、簡単なようで実際問題としては大変難しいと申し上げました。「ヒトの和」は、「和して同せず」という個性と違いを互いに尊重しつつ調和を図るという精神が重要です。しかし、我々は往々にして「同して和せず」という状況に陥ってしまいます。「ヒトの和」にほころびが表れた時には、藤野社長が態度で示されたように、各々が自らの意思を明確にし、自らが率先して責任を積極的に果たすという態度で臨む必要があります。換言すれば、各々が自らの「志」を発信して、コミュニケーションに積極的に参加し、「ヒトの和」の形成を行う必要があります。逆に、人々が自らの考えを発信せず、各自が異なる考えを懐いたままでいると、高い「志」は共有されず、往々にして低い次元の思想に止まってしまいます。そうした途絶えがちなコミュニケーションの下では、「ヒトの和」は瞬く間に消えてしまうでしょう。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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