一 出会い――初回調査
「お話しできるようなことはありません」
「お話しできるようなことはありません」――それが、阿川さんの最初の返事だった。
阿川さんと私が初めて出会ったのは二〇〇〇年五月。隠居研究会の本(第三章で言及した『「ご隠居」という生き方』)の読書カードに書かれていた阿川さんの言葉に惹かれ、私は阿川さんへのインタビューを思い立ったのだった。阿川さんの読書カードにはこう書いてあった。「定年退職と言うのが何度も出てきますが、私はこの年ですでに退職して隠居のつもりでいます。『生きていける、そう思えたなら、何歳であっても隠居になることはできる』そのつもりです」(阿川さんの漢字・仮名遣いのママ。以下同じ)。
阿川さん(男性)は当時五十三歳。関西出身の一九四六年生まれである。首都圏にある私立大学の工学部卒業後メーカーに就職し、三十年ほど勤めたのち、会社の早期退職制度により五十二歳で退職。現在無職で、再就職するつもりもない。二人の子どもも独立し、関東圏の自宅に妻と二人で暮らしている。
私はさっそく阿川さんにインタビュー依頼の手紙を送った。しかし、その返信はがきには、インタビューの諾否について「いいえ」にマルが付けられ、自由記述欄にはこう書いてあった。「折角のお申し出ですが、私、現在仕事を止めて一年余り、今だ今後の生き方も定まらず、又特に今何かをやっているわけでなく過ごしておりますので、お話出来る様な事もないと思いますので。」
しかし私は、読書カードに書いてあった「『生きていける、そう思えたなら、何歳であっても隠居になることはできる』そのつもりです」という阿川さんの言葉が、どうしても忘れられなかった。この言葉の背後に、阿川さんが深層部分で抱えている何か豊穣なものがあるかもしれない。そう直感していた私は、「お話できるようなことはない」という阿川さんの心境こそがインタビューする価値のあることのように思えてならず、阿川さんへのインタビューを諦めきれなかった。幸い、返信はがきのEメール欄に、阿川さんがメールアドレスを記入してくださっていたので、私はつぎのようなメールを阿川さんに送った。 ・・・・・
[本書47頁から48頁途中まで抜粋]
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