「三田文学」創刊100年記念出版。 ▼明治43年、永井荷風を主幹とし、森鷗外、上田敏を顧問にして「三田文学」が創刊されてまもなくデビューした水上瀧太郎。私淑する泉鏡花の作品からペンネームをとり、実業と文筆と「三田文学」の編集に尽力した水上瀧太郎。水上瀧太郎の文筆の最高傑作といわれる随筆集『貝殻追放』の全編を収録する。 ▼『貝殻追放』は、大正五(1916)年の帰朝後(29歳)から昭和15(1940)年の絶筆にいたるまで「貝殻追放」として発表され、総数は204編にのぼる。 ▼初版単行本『貝殻追放』の1から5までと『親馬鹿の記』を底本とし、単行本未収録作品57編を併せて収録。3巻(1巻・608頁、2巻・708頁、3巻・522頁)函入りの愛蔵版。


情報春秋 2010年11月30日(第1819号)(4面)に紹介されました。

■貝殻追放 1
(第一貝殻追放) はしがき 新聞記者を憎むの記 『八千代集』を読む 愚者の鼻息 『その春の頃』の序 購書美談 向不見の強味 先生の忠告 「末枯」の作者 兵隊ごっこ 女人崇拝 永井荷風先生の印象 「文明一周年の辞」を読みて 「幻の絵馬」の作者 泉鏡花先生と里見クさん 初夢 此頃の事 妾の子
(第二貝殻追放) 札の辻――桜田門 余が愛読の紀行文 秋声花袋両氏祝賀会に際し余の感想 戯曲に対する圧迫と国民性 「雪」を見る ……
著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
水上瀧太郎(みなかみ たきたろう) 1887生まれ−1940年没 明治20年、明治生命保険株式会社創設者の4男として東京に生れる。本名:阿部章蔵。慶應義塾大学理財科卒業後、父の命でハーヴァード大学留学。帰朝後、明治生命保険株式会社入社。その後、実業家と文学者・三田文学編集者の草鞋を履き続ける。『大阪』『大阪の宿』などが代表作。
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