1949(昭和24)年、光の書房から刊行された井筒俊彦2冊目の著作。慶應義塾大学にて戦前から行われていた講義「ギリシア神秘思想史」をもとに書き下ろされた。後年、著者自ら「思想的原点」と述懐したように、思想的種子となる問題群、鍵概念を含む井筒俊彦初期の代表作。
『井筒俊彦著作集』第一巻は『神秘哲学』である。刊行時期において、先んじたのは『アラビア思想史』(1941年)、『アラビア哲学』(1948年)である(この2冊はのちに『イスラーム思想史』として統合される)。
気が付いているひともいるだろう。「豊子に」という言葉通り、この巻は永年連れ添った妻井筒豊子にささげられている。著作集の刊行にあたり、イスラーム思想に関する論考ではなく、ギリシア哲学を論じた著作を、第1巻とするについては、著者の明確な意図があると思われる。
井筒俊彦の主著は『意識と本質』である。その副題にある「東洋哲学の共時的構造化」の実現が彼の哲学的祈願だったといっていい。彼はいくつかの対談で、自らのいう「東洋」とは、ギリシア以東だといった。もちろん、ギリシアを含む。
もちろん、このときの彼に「共時的構造化」という概念はない。しかし、一読すれば判然とする。登場する詩人、哲人、神々までもが、井筒俊彦によって、「今」に呼び出されている。『神秘哲学』において実践されたのは文字通り「東洋哲学の共時的構造化」だといっていい。作者にそうした明確な意識が芽生えていないとしても、である。
『神秘哲学』の著作集版は、2部構成になっている。第1部「自然神秘主義とギリシア」第2部「神秘主義のギリシア哲学的展開」である。
初版(慶應義塾大学出版会から今冬、復刊予定)刊行時は違っていた。第2部から始まり、第一部は「付録」として収められていた。
実際に書かれた期日を反映しているのは、著作集版である。一読すればわかるように、著者のほとばしるような筆致はむしろ、初版刊行時には「付録」となった論述において鮮烈に表れている。
実は、この部分は別な単著として、ほかの書肆から刊行される予定で、文字組みが完了したとき、その出版社が倒れたのだった。
『神秘哲学』は、神話時代にさかのぼりってギリシア思想の誕生が語り始められる。
『イリアス』『オデュセイ』、ヘシオドスはもちろん、北方の異神ディオニュソスの来襲がギリシア的叡智の始原に決定的な役割を果たした、現実の出来事として論じられる。
魂の救済を渇望する古代ギリシアの民、その苛烈な願いが密儀宗教を生んだ。井筒俊彦におけるギリシア哲学は、密儀宗教と別なものではない。むしろ、人間の真摯な祈願を成就するために、叡智が一層強力な普遍性をもって顕現したのが「哲学」に他ならない。
この著作を読むとき、「叡智」「純粋知性」「能動的知性」と表現がさまざまかわっていても、「ヌース」すなわち、人間の魂を超える実在がいつも背後で全体を支えている。キリスト教の伝統はそれを「霊」と呼ぶ。彼もそうした発展を意識していただろう。この著作でアウグスティヌス、エリウゲナ、トマス・アクィナス、アヴィラのテレジア、そして十字架のヨハネまで言及されるのは偶然ではない。
「ヌース」は述語的に存在するのではない。いつも主語的に自らをあらわにする。また、人間が暮らす現実界を住処とせず、「真実在界」と井筒俊彦がいう異界に在る。ギリシア哲学史はそのまま現世における「ヌース」の歴程だといっていい。
また、この著作の読者は、ギリシアの抒情詩人たちの使命と果たした役割の大きさに気が付くだろう。クセノファネス、ピンダロス、といった抒情詩人は預言者の役割をになって登場し、自然哲学者の登場を告げ知らせた。
イオニア学派からピュタゴラス、ヘラクレイトス、パルメニデスそしてプラトンへと続く「哲学」の系譜において、中心にあったのは、現実界の知解ではない。万人に奉仕するという目的に他ならない。その志を失ったものはすでに「哲学者」ではない。
初期の井筒俊彦の文章は現代の私たちにはすこし読みにくい。ゆっくり読んでいただきたい。彼が哲学者の使命をもっとも強く表現した一文である。
現世を超脱して永遠の生命を味識するプラトン的哲人は、澄潭の如き忘我静観の秘 境を後にして、またふたたび現世に帰り、其処に孜々として永遠の世界を建設せねばならぬ。イデア界を究尽して遂に超越的生命の秘奥に参入せる人は、現象界に降り来って現象界の只中に超越的生命の燈を点火し、相対的世界のイデア化に努むべき神聖なる義務を有する。(『神秘哲学』初版)
プラトンに続いたアリストテレスはイデア界の究明ではなく、燃える熱情をもって現実界を論じた。それをもって、人はプラトンを否定したとする。
井筒俊彦は、逆の言葉を発する。イデアは疑うことなき実在だが、それを実感できる人間は限られている。しかし、眼前の事物はイデアの実在を反証している。その追求に生涯をささげたアリストテレスこそ、プラトンの正統なる後継者だったという。
さらに、700年の歳月を超え、その血脈を引き継いだプロティノスは「神聖なる義務」から遊離することがなかったばかりか、さらに透徹した道を歩んだのである。
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