1957(昭和32)年に刊行された井筒俊彦訳(三辺文子との共訳)の思想書。原題はThe Mind and Heart of Love、1946(昭和21)年に出版された。原著者はマルティン・ダーシー。二十世紀イギリスを代表する思想家であり、公職においてはカトリック教会のなかで、最大規模の修道会のひとつイエズス会のイギリス管区長の重責にあった。1953(昭和28)年ダーシーが知的交流委員会の招きで来日したとき、井筒俊彦から本書の訳者になることを申し出た。作家イヴリン・ウォーはある伝記小説をダーシーに捧げている。無神論者であることを公言し、キリスト教への懐疑を投げかけ続けたバートランド・ラッセルも、ダーシーの信仰には賛同しなかったが、その知性には敬意を表したという。
『コーラン』に代表される井筒俊彦の訳業のなかで、本書が特徴的なのは、原著者が同時代を生きた人物だということである。ほかに彼が訳したのは二つ。ペルシアの神秘家ルーミーの語録とイブン・アラビーの霊性を継承したペルシアの神秘哲学者モッラー・サドラーの『存在認識への道』である。前者は13世紀、後者は16世紀に書かれたイスラームの古典である。『コーラン』は聖典、井筒俊彦がダーシーの著作にいかに大きく動かされたかが分かるだろう。
『愛のロゴスとパトス』が書かれる以前、愛をめぐって二つの大作が出た。フランスではドニ・ド・ルージュモンの『愛について』、スウェーデンではニューグレンによって『アガペーとエロース』が著された。ダーシーは自著をこの二著が提示した問題を引き受け書いたと冒頭に宣言する。
ルージュモンはエマニュエル・ムーニエによって提唱された人格主義に列する人物。ムーニエが登場した頃、フランスではマルクス主義が経済原理ではなく、人間を規定する哲学原理だった。ラッセルのいうとおり、もともとマルクス主義は構造的に「宗教的」だったのかもしれない。聖書と資本論、預言者とマルクス、超越者とプロレタリアートの位置は確かに、単なる類似以上の関係がある。
ムーニエはいう。人間は人格(ペルソナ)を付された者として、等しく聖なる存在である、信じる宗教、列する思想によって、盲目的に断罪されてはならない、キリスト教に反意を表明する人にも、聖性の実現は十分に可能である。当時、ムーニエが主宰した雑誌「エスプリ」は言論と信条の自由を求める人々によって強く支持された。彼は異教者、無神論者、マルキスト、アナキストたちと、文字通り身を削って対話を続けた。
ルージュモンの著作は、愛は教会の独占物ではないという。ヨーロッパでは教会の教義を超えたさまざまな「愛」が醸成され、なかでも情熱愛、「パッション」はエロスとアガペとは別な位相において人間を支配しているという。
ニューグレンはルター派を代表する神学者。アガペとエロスを対比し、前者を崇高なる神の愛であるとし、後者は人間が神をもとめる欲求ではあるが常に自我の迷路に迷い込む危険をはらむといった。
『愛のロゴスとパトス』は、愛の変遷を論じた思想書であるよりも、愛という存在の根本原理を追求した「非常に野心的な存在論の試み」であると井筒俊彦はいう。ダーシーは愛の種類を論じる先行の研究を引き受けつつも、パラダイムを変える。愛は、人間のある状態を示すのではなく、超越者の働きそのものだという。エロスはアガペと対立しない。エロスはアガペに内在するというのである。ダーシーの著作は次の一文で終わる。
アガペの中にニューグレンの要求するすべてが存している。神はすべてである。(中略)『エロスの武装を解け、長い一日の仕事は終わった。アガペのうちにこそ、平安と永遠の生命があるのだ』。
『神秘哲学』以降、この訳書が出るまで井筒俊彦は、クローデル論、聖ベルナール論を書くなどキリスト教思想に接近する一時期をもつ。しかし、この訳書の刊行以後キリスト教思想に探究することを、ひとたび止め、その範囲を彼がいう「東洋」思想へと転換していく。しかし、存在の原理としての「愛」を論じるという姿勢は、対象の変化とは別に彼の主著『意識と本質』まで、直線的に引き継がれている。
|