井筒俊彦入門
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  言葉とコトバ

ことばとことば

   
 

 井筒俊彦が「コトバ」という術語を用いるのは、『意識と本質――精神的東洋を索めて』(1983年)以後である。この1語こそ、井筒俊彦の哲学を読み解く、最も重要な鍵概念となる。「コトバ」は、言語学でいう言葉、すなわちラング、パロールと無縁ではないが、ダイナミズムにおいては、それと比べるべくもなく超越的である。現代思想がいうエクリチュールとも接近するが、その意味は深く東洋の伝統に基づいている。井筒俊彦の境涯は、言葉にはじまり、コトバに至るといっていい。

 

 

 「中学生二年生、私は劣等生だった」(「語学開眼」)と70歳をこえた井筒俊彦が書いている。成績が思わしくないということなら、彼は言葉通り、優等生というには遠かった。「勉強ほど嫌なものはない」、「特に英語は嫌いだった」。

 

 ある日の英語の授業で、There is an apple on the tableを訳せと教師がいう。「テーブルの上にリンゴがあります」と生徒。それならThere are apples on the tableはどうだといわれ、やはり「テーブルの上リンゴがあります」と生徒は答える。君にとって、リンゴは1個でも10個でも同じなのかと教師はいう。

 

 何事もなく時が過ぎて、帰りの電車のなかで、ふと、リンゴの問題がふたたび生徒をとらえる。日本語では単数、複数の区別はさほど明瞭ではない。しかし、英語を使う人々は、ものが1つなのか、2つなのかを常にはっきりと区別しなければ言葉を発することができない。そんな人間の心の働きはよほど変わっているに違いない、と少年は思う。「このような反省を私の幼稚な頭がどんな内的言語で書きとめたのか」、そう後年の井筒俊彦は書いている。

 

 「家に帰りついた時、私は興奮しきっていた。世界中の言語を一つ残らずものにしてやろう、などというとんでもない想念が心のなかを駆けめぐった」。字義通りではないにせよ、のちに井筒俊彦は30に迫るあるいはそれを超える言語に熟達する。読むことだけでなく、話すことにおいても彼は優れていた。

 

 確かに彼の言語力は驚異的である。多くの人は井筒俊彦の哲学をいう前に、彼を語学の天才だという。たしかに、言語学の分野には、彼のように数十の言語を理解する者がいないわけではない。しかし、言葉、あるいは言語に出会ったときの驚きをそのままに、「コトバ」への道を進んだ者は少ない。

 

 注目するべきは、少年のときに心に宿った「内的言語」に、あくまでも彼が忠実だったことである。言葉との出会いをつづった「語学開眼」という小さなエッセイは、次の1文で終わる。「後年、自分が言語哲学などという学問に進むきっかけになろうとは、当時の私には知る由もなかった」。

 

 彼が通っていた中学校は青山学院大学の付属で、毎朝礼拝があり、聖書を読む時間もあった。ある日、新約聖書ヨハネ福音書、最初の1節に出会う。「太初にコトバがあった。コトバは神のもとにあった。というより、コトバは神であったのだ」。

 

 歴史に跡を残した哲学者は、自らの分身ともいうべき命題を残すことがある。「汝自身を知れ」とソクラテス、「われ考えるゆえにわれあり」とデカルト、「存在はコトバである」、井筒俊彦の哲学はこの1節に象徴される。
井筒俊彦が最も愛したイスラームの神秘家イブン・アラビーがいう「存在」とは、万物の始原であるとともに、不断の創造を続ける超越的実在、井筒俊彦がいう「存在」はそれを継承している。

 

 言語に超越者による創造の軌跡を見る学者はいた。言語学は現代の神学だとローマン・ヤーコブソンは考えていた。しかし、井筒俊彦はさらに透徹している。『意識と本質』でユダヤ神秘主義、カッバーラを論じたときに彼はいう。「神のコトバ――より正確には、コトバである神」。

 

 神を論じるのは神学であって、哲学の役割ではないというのは、近代の迷妄にすぎない。『神秘哲学』で井筒俊彦が論じるプラトンにとって哲学は、学問であるよりも求道の営みである。

 

 宗教の「神」は信徒にのみ実在する。哲学はその限界を突き破る。超越者と人間が真実の再会を果たす道、それが哲学だというのである。現代に生きる私たちは、ユダヤの賢者、キリスト教の教父、イスラームのスーフィー(イスラーム神秘主義の行者)のように「神」の1語に、絶対者への道を発見することは難しい。そこに畏(おそ)れと恐れを失ったからである。

 

 昔、ひとはその名前を呼ぶと実在が現れると信じ、「神」を「神」とは呼ばず、ヤーヴェ、アッラーなどと称してきた。彼らは超越者が出現するとき、生身の人間はそれに耐えられないことを知っていた。

 

 「存在はコトバである」、この1語に古代の賢者につながる井筒俊彦の実存的経験を見たとしても、大きな過ちにはならないだろう。

 

   
   
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若松英輔

 

 1968年新潟生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学科卒。評論家。「越知保夫とその時代」で第14回三田文学新人賞評論部門当選。その他の作品に「小林秀雄と井筒俊彦」「須賀敦子の足跡」などがある。2010年より『三田文学』に「吉満義彦」を連載中。『読むと書く――井筒俊彦エッセイ集』(慶應義塾大学出版会、2009年)『小林秀雄――越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会、2010年)を編集。2011年処女著作となる『井筒俊彦――叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)を刊行。

 

 

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