井筒俊彦の文章は決して難解ではない。論旨は明快である。私たちが踏み留まることを強いられるのは、文脈ではなく、彼独自の術語の前なのである。術語の表記が難しいのではない。コトバ、意識、文化、意味など彼が選ぶ表現もむしろ平易だといっていい。問題は意味の広がりと深さ、あるいは多層的次元に波及する力動性にある。ことに若いときの論考はそうだ。
『神秘哲学』(1949年)はその典型。表現者としての出発点となったと彼自身がいう、この著作を読み始めると読者は、まず鍵概念の反芻を求められる。最重要な術語の一つが「神秘道」である。
この一語を井筒俊彦は「神秘主義」と別に用いる。命題が神秘である以上、別な意味というのは存在の位相もまた異なることを指し示している。
「神秘道」という言葉も見慣れない表現だが、この一語を中核的術語として、最初に、かつ積極的に用いたのは井筒俊彦ではない。柳宗悦だったと私は思う。最初期の作品「即如」で彼はいう。「芸術にとって主義は堕落であった。宗教にとっても流派は凝固であった。形式は生命を拘束する」。
私たちは「総ての手段を絶し介在を破って直ちに即如に触れねばならぬ」、「即如」とは超越的絶対者の呼称。「主義」は超越者との接近を妨げる。また、神秘主義という言葉も、元来は「嘲る者が与えた侮蔑の意に萌した言葉」(「神秘道の弁明」)に過ぎない。「人は自ら神秘家である」、その本来の自己に還る道を「神秘道」と称する、と彼はいうのである。
井筒俊彦が著述で、柳宗悦に触れたのは一度だけ。しかし、蔵書には、若き日に読んだと思われる『宗教的奇跡』、『宗教の理解』、『宗教とその真理』がある。
3冊とも柳宗悦が民芸に出会う以前、世が彼を白樺派の文人、宗教哲学者として認めていたころの著作である。柳宗悦初期の作品を読むと、井筒俊彦の思想的近似に驚く。
もちろん、影響を受容したのは井筒俊彦である。おそらく柳宗悦は井筒俊彦を知らない。
柳宗悦が仏教の卓越した解読者だったことは改めて論じるまでもない。鈴木大拙が後継者に選び、柳宗悦自身もそれを了承していた。彼は古代中国思想、儒教、あるいは老荘にも独自の見解を持つ思想家であり、その筆はスーフィズム、ペルシアの詩人ルーミーやジャーミーまで及んでいる。
柳宗悦がキリスト教、ことに神秘主義の理解において近代日本、屈指の人物だったことはさらに論じられていい。「種々たる宗教的否定」には、アウグスティヌス、エリウゲナ、トマス・アクィナス、中世ドイツの神秘家マイスター・エックハルトとその弟子ゾイゼとタウラーを経て、カルメル会の基盤をつくった十字架上のヨハネに触れている。井筒俊彦が『神秘哲学』で言及したキリスト教思想家に重なり合う。柳宗悦がこれを書いたのは『神秘哲学』刊行の30年以上前である。
二人の間には、時代的精神の共鳴というだけでは済ますことできない影響の受容がある。「神は人に飢え人は神に飢える。あふれ出る霊の叫びは神が神を呼ぶ叫びである」(「種々なる宗教的否定」)。井筒俊彦が、柳宗悦に発見した最も真摯な事実、すなわち、神秘的経験の主体という命題に他ならない。
『神秘哲学』の第一章は「自然神秘主義の主体」と題されている。冒頭、井筒俊彦はいう。
神秘主義的体験は個人的人間の意識現象ではなく、知性の極限に於いて知性が知性自らをも越えた絶空のうちに、忽然として顕現する絶対的超越者の自覚なのである。
神秘体験とは人間が神を見ることではない、神が神を見ることだというのである。柳宗悦の言葉と深遠な符号があるのは偶然ではない。
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