井筒俊彦入門
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  新古今和歌集

しんこきんわかしゅう

   
 

 「新古今が好きで古今集、新古今集の思想的構造の意味論的研究を専門にやろうと思ったことさえある」。 

 

 司馬遼太郎との対談「二十世紀末の闇と光」での井筒俊彦の発言である。「専門にやろう」というほどの思想的関心を和歌に抱いていたことを、彼自身がいったのはこの時がはじめてである。この対談が、井筒俊彦の公の場に出た最後の機会になった。

 

 和歌における思想的構造の意味論的研究、この分野は、今にちも未だ黎明期である。万葉集を対象に佐竹昭広、あるいは白川静が論考を書き、それぞれ秀逸な成果を残しているが、古今集さらには新古今集まで領域を広げると、ほとんど着手されていないといってもいいのではあるまいか。

 

 和歌における意味論の研究に本腰を入れることを考えた時期とは、おそらく彼が慶應義塾大学で1951年「言語学概論」の講義を開始した時期からLanguage and Magic (1956年)が書かれるまでの間だろうと思われる。

 

 Language and Magicでも主に万葉集に触れ和歌における言語論、あるいは言霊論が展開されている。 しかし、彼がいう「思想的構造の意味論的研究」は、言霊論や言語創造論とは異なる様相を呈しただろう。手掛かりが『意識と本質』にある。

 

 佐竹昭広と白川静がともに注目したのは万葉集における「見ゆ」の世界、古代人における「見る」の意味論である。「見る」ことは人間を超える世界に触れるということに他ならなかった。

 

 それは神との交わりと神への賛美と神が遍在する世界への祝福を意味した。しかし、万葉集の時代に中核的役割をになったこの一語も、古今集になるとほとんど同様の用法が見られなくなる。

 

 古今和歌集の「仮名序」はよく知られている。「和歌(やまとうた)は人の心を種として、よろずの言の葉(ことのは)とぞなれるける」、また「花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」。

 

 和歌はこころを種子とする言葉によって生まれる、すべての存在者はあまねく歌を歌うというのである。新古今和歌集にも同じく漢文の「真名序」と仮名で書かれた「仮名序」がある。

 

大和歌は、昔天地開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国(なかつくに)の言の葉として、稲田姫素鵝の里よりぞ伝わりける。

 

 同様の文章は古今集の序にもある。だが、古今は、存在者が発する「コトバ」はすべて歌であるという歌の発生形態と一元性を論じたのに対し、新古今はまず、歌、すなわち「コトバ」の起源から論じ始めているのは興味深い。

 

 古今集は四人の撰者によって編まれた。「仮名序」を書いたのは紀貫之とされているが、そこには個人の意思の反映はなく、あるのは和歌に真実在を発見した精神的共同体の鮮烈な宣言である。さらに新古今の「仮名序」には、古今集以来の勅撰和歌集を踏襲するに留まらず、世界観の転換をはかりたいという声明が刻まれている。

 

 古今の時代、「眺め」は、折口信夫のいう通り、春の長雨のとき、「男女間のもの忌につながる淡い性欲的気分でのもの思い」を意味した。

 

 しかし、新古今の時代になると様相が一変する。「眺め」とは情事を示す一語に留まらない、存在論的な「意味」を有するようになる。現象界の彼方を「眺め」ようと試みる歌人、現象的には詩人だが、精神史上の役割においては、彼らはむしろ「哲学者」だった。

 

 「彼は天稟の詩魂を有つ詩人であることによって、ギリシア形而上学の予言者となった」と井筒俊彦が『神秘哲学』でクセノファネスを論じていった同じ言葉が、新古今の歌人たちにむけて発せられたとしても、驚くに当たらない。

 

 「眺め」とは、「『新古今』的幽玄追求の雰囲気のさなかで完全に展開しきった」とき、「事物の『本質』的規定性を朦朧化して、そこに現成する茫漠たる情趣空間のなかに存在の深みを感得しようとする意識主体的態度」であると井筒俊彦はいう。

 

 「眺め」ることが即時「存在」との応答になる。「一種独得な存在体験、世界にたいする意識の一種独特な関わり」となるというのである。

 

 古今集以降の和歌において、倭詩(やまとうた)の決定的な変貌を論じ、中世に流れる「幽玄」の精神を現代に蘇らせたのは風巻景次郎である。『中世の文学伝統』は大部の書ではないが、彼の主著であり、日本古典文学研究が精神史の一翼を担うことを鮮明にした書として記憶されなくてはならない。和歌は、倫理と道徳あるいは宗教の世界に収まりきらない、魂の現実が言葉を通じて直接自らを表現したものだと彼はいう。歌人は一個の通路であるというのだろう。

 

 初版が刊行されたのは1942年、戦後1947年に復刊する。井筒俊彦が読んだのはおそらく「古今・新古今」に向き合っていた頃だろう。

 

日本文学史の決定的に重要な一時期、『中世』、への斬新なアプローチを通じて、文学だけでなく、より広く、日本精神史の思想的理解のために新しい地平を拓く。(「私の三冊」)


 井筒俊彦73歳の時の『中世の文学伝統』評である。和歌、すなわち日本の詩を巡る彼の詩作はその半生を貫いた。

 

 井筒豊子は俊彦の妻でもあるが、独立した一個の思索者である。小説集、複数の訳書もある。しかし、彼女の業績のなかで最も注目するべきは和歌における「思想的構造の意味論的研究」である。

 

 成果は「言語フィールドとしての和歌」、「意識フィルールドとしての和歌」(雑誌「文学」岩波書店)そして「自然曼荼羅」(岩波講座 東洋思想『日本思想』岩波書店)の3部作に見ることができる。私たちはそこに井筒俊彦が畏怖と深甚な感動を覚え、蠱惑的と感じた世界へ単独で進んでいった一人の女性を発見するのである。

 

 井筒俊彦がこれらの論考を評価していたことを書いておきたい。井筒豊子については、改めて別稿で論じることになるだろう。

 

 

   
   
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若松英輔

 

 1968年新潟生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学科卒。評論家。「越知保夫とその時代」で第14回三田文学新人賞評論部門当選。その他の作品に「小林秀雄と井筒俊彦」「須賀敦子の足跡」などがある。2010年より『三田文学』に「吉満義彦」を連載中。『読むと書く――井筒俊彦エッセイ集』(慶應義塾大学出版会、2009年)『小林秀雄――越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会、2010年)を編集。2011年処女著作となる『井筒俊彦――叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)を刊行。

 

 

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