1983(昭和55)年に刊行された井筒俊彦の代表的著作である。それは英文著作を含めても変わらないと思われる。井筒俊彦の半生を貫く命題群の数々は、この一冊に凝縮されている。雑誌「思想」に断続的に8回、2年あまり連載された。上田閑照、新田義弘、河合隼雄、山内昌之のような哲学、心理学、歴史学の分野で独自の業績を残した人物だけではない。井上洋治のような宗教者、池田晶子や丸山圭三郎といった文学と哲学の間に生きた文筆家、さらに遠藤周作、日野啓三、司馬遼太郎、高橋たか子も『意識と本質』に大きく動かされた。
『意識と本質』を読もうとしたが途中でやめたというひとに何人出会っただろう。
読み返した回数が十回を越え、読み返すたびに理解が深まるというよりも、分からないところが鮮明になるという経験を繰り返していた頃、この本は必ずしも通読する必要はない、そう思うようになった。通読しないとしても、この著作から分に得るものはある。順序にとらわれない、ときに部分的に読むといった読み手の気まぐれにも、この著作は十分応えてくれる。井筒俊彦を知るというなら、いくつかの論考を読むより「意識と本質」の第1章を繰り返し読む方がよい。井筒俊彦はそこで、掛け足気味ながら、自らの哲学的遍歴を端的かつに包括的に論じている。
この本には「東洋哲学の共時的構造化」という副題が付されている。井筒俊彦がいう「東洋」とは、日本、韓国、中国といった地理的領域を意味するのではない。むしろ、理念的共同体を意味する。それを冒険的に表現したのが『意識と本質』である。
「共時的」とは時空の制限に限定されず、歴史的座標軸からさまざまな哲人、思想家、詩人たちを解放し、永遠の視座で面談させること。「つまり、東洋哲学の諸伝統を、時間軸からはずし」、「構造的に包み込む一つの思想的連関空間を、人為的に創り出そうとする」こと。そこに精神の饗宴というべき風景が現出する。
そこに集められたのは、サルトル、リルケ、マラルメといった詩人あるいは作家、松尾芭蕉、本居宣長、老子、荘子、朱子、程兄弟など宋学の儒者、スフラワルディー、イブン・アラビーいったイスラームの神秘哲学者、僧肇、道元、青原惟信、空海といった仏教の悟達、さらにユダヤ教神秘主義、古代ギリシア哲学、インド古代哲学の哲人たちだった。井筒俊彦は読者をここに招き入れる。
「意識」の在り方と「本質」の肯定あるいは否定する哲学、宗教を巡って、論旨は文字通り縦横無尽に展開する。しかし、この一冊でもっとも重要な命題は「意識」でも、「本質」でもない。「コトバ」という一語である。
井筒俊彦は空海の「真言(真なるコトバ)」に触れ、祈祷、すなわち祈りのコトバは私たちが暮らすこの次元に存在するとともに、異界と呼ばれる次元にも同時に存在するという。井筒俊彦は『意識と本質』でしばしばリルケに触れたが、この詩人の術語を借りれば、現実界にあるとともに、実在界にも、ということになる。
井筒俊彦がいう「コトバ」はある事物を指示する道具ではない。むしろ、「コトバ」が混沌から実在を呼び起こす創造的エネルギーだと彼はいう。
「存在はコトバである」と彼がいう時、「存在」は事物があることを意味するのではない。「もの」をあらしめる働きを指している。「存在」の一語を超越的絶対者と同義にもちいたのはイブン・アラビーである。この哲人の世界観に従えば、花が在るのではない、「存在」が花するといわなくてはならない、と井筒俊彦はいう。
『意識と本質』で井筒俊彦が試みたのは、「コトバ」の神秘哲学である。「コトバ」を根源的に論じることは絶対者に接近を試みることにほかならない。彼はここで「コトバ」への論究が、「神」を見失った現代における「神学」となるというのである。
また、この著作は学問的な集大成であるという意味でも秀逸だが、哲学者井筒俊彦の遍歴を知る、精神的自叙伝として読むこともできる。
井筒俊彦の読者は今も、海外にも多い。英文主著“Sufism and Taoism”を読み、井筒俊彦に注目したのは、ミルチア・エリアーデ、アンリ・コルバンを含むエラノスの参加者はもちろん、世界的なイスラーム学者たちだった。彼らは読後、率直な驚きを隠さなかった。読者にはジャック・デリダもいる。デリダは最大限の敬意をもって井筒俊彦に接した。しかし、デリダは日本語で書かれた『意識と本質』を知らない。井筒俊彦はこの著作は強い意志をもって日本語で書いた。もちろん、日本人の創造的読者の出現を期待して、である。
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