1980(昭和55)年、岩波新書として刊行された。イスラーム神秘主義、なかでもイブン・アラビーの存在一性論の解明を主題とした講演録。およそ20年の海外生活を終え、井筒俊彦がイランから帰国したのは、前年の1月。翻訳、復刊は別に、1953年以来、日本語の新著を出していない彼の存在を、日本社会は、ほとんど忘れていた。新書、講演録という形態も手伝って、この本によって彼の名前が再び、広く知られる切掛けになった。のちに『超越のことば』に再録された。
もう20年以上前になる。遠藤周作が最も信頼したカトリック司祭、神学者である井上洋治に勧められて、『意識と本質』と『イスラーム哲学の原像』を読んだのが、私が井筒俊彦に接した初めての経験だった。井上洋治は友人に勧められて井筒俊彦を読んだと書いているが、それが遠藤周作であることは容易に想像がつく。今にちからみれば、神父が勧めてくれたのは、井筒俊彦の主著と、入門に最適の本だったことがわかる。
「井筒俊彦入門」として最適な著作を一つといわれれば、迷わず『イスラーム哲学の原像』を挙げたい。ただし、複数回序文を読む、という助言を付け加えたい。
もし、序文を通過してもイスラーム神秘哲学入門としての意味は損なわれないが、『井筒俊彦入門』としての役割を感じ取ることが難しくなる。
花が存在するのではない。存在が「花」するのであるとイブン・アラビーはいう。イブン・アラビーにとって「存在」は創造者であり、超越的絶対者の異名。万物は、存在が自己展開的に分節したもの。彼の思想の究極態において、存在するのは「存在」のみということになる。
偶像崇拝を厳密に禁じたという点においてイスラームは最も徹底しているが、イブン・アラビーによれば、すべては「存在」/神なのであるから、偶像を崇敬しても何ら問題ないというところにまで行く。この人物はすでにムスリム(イスラーム教徒)ではないという人々が少なくなかったのは当然だった。
イスラーム神秘主義は、その過激さにおいては、キリスト教神秘主義とは少々趣を異にする。マイスター・エックハルトの思想も、顕教的キリスト教からみれば、十分に異端的だが、その距離は、イブン・アラビーと正統的イスラームに比べれば近い。
イブン・アラビーは「完全な人間」をムハンマド的人間という言葉で表現し、アッラーへの信仰も隠さないが、その哲学は、すでに歴史的宗教としてのイスラームを超えている。世界を驚かせたイスラーム神秘主義研究の著作でもあったSufism andTaoismの著者である井筒俊彦は、もちろん超宗教的なイブン・アラビーの霊性を熟知している。『イスラーム哲学の原像』で井筒俊彦は、イブン・アラビーが幼少のころからすでに、既成宗教的枠組みの突破を指向した異能だった事実を、評伝的にではなく、思想的に明かにする。
この著作は、スーフィズムの解説である以前に、彼がいう「東洋哲学」の底を千年の長さにわたって静かに支え続けてきた、いわば東洋的霊性の一大思潮の復権を説く一冊なのである。
井筒俊彦をイスラーム学者と呼んだのは世間で、彼自身ではない。井筒俊彦の業績から、日本イスラーム学の歴史と展望を考察することが可能だが、彼をイスラームあるいは、イスラーム学に押し込めることはできない。井筒俊彦本人が、それを嫌ったのである。
西洋的価値観が無批判的に勢力を誇示できた時代はすでに遠く過ぎ去り、文化的分裂、価値の崩壊を目の前に、世界は、それを食い止める何ものかを求めている。
西洋の歴史をさかのぼり、たとえばドイツ神秘主義に、打開策の発見を試みるという動きもあった。しかし、それだけでは埋める事ができない陥穽がある。ルドルフ・オットーが『西と東の神秘主義』でマイスター・エックハルトとシャンカラを共時的に考察したのも、このような緊迫した霊性の危機を実感していたからだろう。それはのちにエラノス会議となって具現化する。「エラノス」、知の饗宴を意味するこの名前を提案したのがオットーであるのも偶然ではない。ルター派の神学者であり、インド神秘主義の大家でもあったこの人物の井筒俊彦への影響は、学説と哲学的視座において、深い。
しかし、西洋と東洋の対話の先に何かを求めることも、現代では淡い期待に過ぎない。対話の彼方に何かがあるのではなく、「彼方での対話」に何事かがあるのではないかと井筒俊彦はいう。
ここでイスラーム神秘主義を取り上げるのは、「東洋」思想の忘れられた位相を喚起するために他ならないと彼はいう。この本の奥付に著者略歴がある。専攻という項目には「哲学、意味論」と書かれていて、イスラーム学という文字はない。以下に引くのは、『イスラーム哲学の原像』序文にある一節である。
すぐれてイスラーム的な存在感覚と思惟の所産であるこの形而上学(イブン・アラビーの存在一性論)を、たんにイスラーム哲学史の一章としてではなく、むしろ東洋哲学全体の新しい構造化、解釈学的再構成への準備となるような形で叙述してみようとした。こういうといかにも野心的なようだが、いくら野心ばかり大きくとも、実践が伴わなくてはなんにもならない。私がこの本で実際にやったことはまことに微々たるものだ。私は自分の非力を痛感した。
彼をイスラーム学者と呼ぶことは、その試みは所詮「微々たるものだ」と本人にいうのに似ている。
この著作が書かれたころ並行して続けられていたのが、「意識と本質」の連載である。「東洋哲学全体の新しい構造化、解釈学的再構成への準備」というのは、そのことを意味している。
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