井筒俊彦入門
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  井筒俊彦とは誰か?

いづつとしひことはだれか?

   
 

 1914(大正3)年-1993(平成5)年東京都生まれ。1931(昭和6)年、慶應義塾大学経済学部予科に入学。のち、西脇順三郎が教鞭をとる英文科へ転進。1937(昭和12)年、同大学文学部英文科助手、1950(昭和25)年、同大学文学部助教授を経て、1954(昭和29)年、同大学文学部教授に就任。1967(昭和42)年(-1982年まで)エラノス会議に正式講演者として参加。1969(昭和44)年、カナダのマギル大学の教授、1975(昭和50)年、イラン王立哲学研究所教授を歴任。哲学的意味論における碩学として世界的評価を受ける。1979(昭和54)年、イラン革命のためテヘランを去り、その後は日本に研究の場を移した。1982(昭和57)年、日本学士院会員。同年、毎日出版文化賞、朝日賞受賞。主な著訳書に、『神秘哲学』(1949年)『ロシア的人間』(1953年)翻訳『コーラン』(1957-58年)、『意識と本質』(1981年)。Language and Magic (1951年)をはじめ、英文著作も多数。

 

 

 井筒俊彦は確かにイスラーム学の世界的碩学、日本人でありながら、イラン人に先んじて、テヘラン王立哲学研究所に迎えられたイスラーム学者だった。イスラームの神秘家イブン・アラビーと老荘思想の研究、Sufism and TaoismーA Comparative Study of Key Philosophical Concepts をはじめとする著作は世界を驚かせた。しかし、井筒俊彦は、自らイスラーム学者だと名乗ったことはない。

 

 30に迫る言語を理解した言語学者、ギリシア神話時代からプラトン、プロティノスまでを論じた『神秘哲学』の著者、屈指の19世紀のロシア文学論『ロシア的人間』の作者、若き日には自ら詩作し、詩人論を書く批評家、コーランを原典から全訳した最初の翻訳者、エラノスが彼を招聘したのは、哲学的意味論の専門家として、だった。

 

 主著は『意識と本質』である。そこで彼は、ユダヤ、ギリシア、中東、インド、中国、日本、さらにはヨーロッパに生まれながらも「東洋的主題」を生きた詩人、哲学者、宗教者たちを包含する「東洋哲学の共時的構造化」を試みた。唯識論においてはアラヤ識の奥に「言語アラヤ識」を布置し、空海を論じながら、独自の意識/存在論的言語哲学を展開した。 ジャック・デリダは井筒俊彦を「巨匠」と呼んだと丸山圭三郎は伝えている。『大乗起信論』における意識の形而上学を論じつつ、彼は逝った。「20人ぐらいの天才らが1人になっている」と司馬遼太郎は井筒俊彦の異能を表現している。井筒は、自らを言語哲学者だといったことがある。しかし、そのとき彼がいった言語哲学とは、「言葉」の、ではなく「コトバ」の哲学である。

 

 『意識と本質』以降、井筒俊彦は、術語として「言葉」と「コトバ」を明確に使い分ける。井筒俊彦のいう「コトバ」は言語学でいう言葉を包含しつつ、力動的に超越する。それは万物の根源的エネルギー。個々の物質、精神、想念、人格に、意味と名前と実在を付与する働き。密教の曼荼羅に示されるイマージュ、深層心理学でいう元型を決定するのも「コトバ」だと彼はいう。

 

 イブン・アラビーは、超越的絶対者を「存在」と呼び、自らの哲学を展開した。『意識と本質』には「神のコトバ。より正確には、神であるコトバ」という記述もある。ある講演で井筒俊彦はいった。「存在はコトバである」。井筒俊彦の哲学は、いつもこの一節に帰ってくる。「コトバ」の神秘哲学者、彼をあえて一語で表現するとそうなりはなしないか。

 

 彼は、哲学者になることを運命づけられたところに生まれ、育ったのではなかった。父親は文学を学ぼうとした息子を強く戒めた。驚嘆すべき語学力、多次元を見据える哲学的洞察、詩の精神に裏打ちされた文章力、論理的思考に随伴する豊穣な創造的想像力。彼は確かに異能に恵まれていたが、それを開花させるべく積み上げた営みは、さらに常人の想像を超えていたのである。

   
   
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若松英輔

 

 1968年新潟生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学科卒。評論家。「越知保夫とその時代」で第14回三田文学新人賞評論部門当選。その他の作品に「小林秀雄と井筒俊彦」「須賀敦子の足跡」などがある。2010年より『三田文学』に「吉満義彦」を連載中。『読むと書く――井筒俊彦エッセイ集』(慶應義塾大学出版会、2009年)『小林秀雄――越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会、2010年)を編集。2011年処女著作となる『井筒俊彦――叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)を刊行。

 

 

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