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目次
われわれが災禍を悼むとき
四六判/上製/244頁
初版年月日:2020/03/14
ISBN:
978-4-7664-2654-0
 
(4-7664-2654-1)
Cコード:C3036
税込価格:3,300円
われわれが災禍を悼むとき
慰霊祭・追悼式の社会学

目次

 はじめに

序 章 災禍の儀礼の社会学に向けて
 1 はじめに
 2 ディザスターリチュアル論の可能性と課題
  「災禍」と「儀礼」という概念の社会的前提/儀礼の詳細な記述と比較可能性/諸々の論
  点とパースペクティブ――苦難へのコーピング
 3 ディザスターリチュアル論から災禍の儀礼の社会学へ
 4 現代社会の苦難へのコーピングの比較考察に向けて
  インドネシア共和国アチェ州(スマトラ島沖地震、二〇〇四年)/宮城県石巻市および南三
  陸町(東日本大震災、二〇一一年)/長崎市(原子爆弾、一九四五年)

第1章 苦難へのコーピングと宗教
 1 「なぜ」をめぐる問いと災禍の宗教的意味づけ
 2 ディザスターリチュアル論における災禍と宗教
 3 世俗化論と苦難の意味論の不可能性
 4 津波の叡智――「試練」としてのスマトラ島沖地震
  アメリカのムスリム知識人における災害理解/Syaikh Gibrilの場合/Ustaz Mursalinの場
  合
 5 アチェ固有の文脈と背景
 6 苦難へのコーピングの日常的文脈と歴史的経緯の考察に向けて

第2章 苦難の神義論における集団と個人
 1 苦難の神義論再考
 2 インドネシアの災害観
  地震・津波への神の関与/イスラーム神学における神義論
 3 分析対象としての記念式典
 4 インドネシア・アチェのツナミ記念式典
  調査対象地の概要と歴史的背景/「神に近づく」ための式典/死者の救いと生者の試練
 5 ツナミの教説が生きられる日常的文脈
  救いを約束するアチェの悲嘆の文脈/救いの教説との対比から明らかになるリアリティ
 6 苦難の神義論とアチェを生きること

第3章 苦難の神義論から「救いの約束」論へ
 1 マルティン・リーゼブロートの宗教論
 2 実践的応答としての救いの約束論
 3 ヴェーバーとリーゼブロートにとっての苦難の問題
 4 苦難の神義論から救いの約束論へ

第4章 救いの約束のバリエーション
 1 救いの約束論からみるアチェの苦難へのコーピング
 2 「救いの約束」の両義性
 3 東日本大震災の記念行事における救いの約束
  石巻市の慰霊祭・追悼式の「無宗教」性/慰霊・追悼の場における救いの約束
 4 災禍の儀礼の比較社会学の可能性

第5章 「無宗教」式の慰霊・追悼と「儀礼のエキスパート」
 1 ディザスターリチュアル論における「儀礼のエキスパート」
 2 南三陸町の概要と東日本大震災
 3 町主催の慰霊祭と追悼式
 4 アートとしての「きりこプロジェクト」
  震災以前の「きりこプロジェクト」/震災以降の「きりこプロジェクト」
 5 「南三陸町の海に思いを届けよう」
 6 「記念の作業」と苦難のコレオグラフ

第6章 儀礼のディレクション(演出/方向)と「われわれ」のダイナミズム
 1 非常な死への社会的応答
 2 儀礼の変容を記述する
  通時的観察からみる死者と生者の関係/長崎市原爆慰霊における政治性
 3 長崎市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
  現在の式典――生者に向けた平和のメッセージ/GHQ占領期――慰霊祭と文化祭のジレ
  ンマ/市と奉賛会の共催期――儀礼のなかの民族と政治/式典の拡大と多元化――視
  点の転換
 4 なぜ死者は生者からまなざされなくなったのか
 5 「われわれ」という死のあり方
  われわれの死の変遷/われわれの過去―現在―未来
 6 儀礼によって位置づけられる死と生

終 章 遇うて空しく過ぐること勿れ――災禍の儀礼の社会学的諸特質

 註
 謝 辞
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 参考文献
 索 引
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