われわれが災禍を悼むとき
慰霊祭・追悼式の社会学
はじめに
序 章 災禍の儀礼の社会学に向けて 1 はじめに 2 ディザスターリチュアル論の可能性と課題 「災禍」と「儀礼」という概念の社会的前提/儀礼の詳細な記述と比較可能性/諸々の論 点とパースペクティブ――苦難へのコーピング 3 ディザスターリチュアル論から災禍の儀礼の社会学へ 4 現代社会の苦難へのコーピングの比較考察に向けて インドネシア共和国アチェ州(スマトラ島沖地震、二〇〇四年)/宮城県石巻市および南三 陸町(東日本大震災、二〇一一年)/長崎市(原子爆弾、一九四五年)
第1章 苦難へのコーピングと宗教 1 「なぜ」をめぐる問いと災禍の宗教的意味づけ 2 ディザスターリチュアル論における災禍と宗教 3 世俗化論と苦難の意味論の不可能性 4 津波の叡智――「試練」としてのスマトラ島沖地震 アメリカのムスリム知識人における災害理解/Syaikh Gibrilの場合/Ustaz Mursalinの場 合 5 アチェ固有の文脈と背景 6 苦難へのコーピングの日常的文脈と歴史的経緯の考察に向けて
第2章 苦難の神義論における集団と個人 1 苦難の神義論再考 2 インドネシアの災害観 地震・津波への神の関与/イスラーム神学における神義論 3 分析対象としての記念式典 4 インドネシア・アチェのツナミ記念式典 調査対象地の概要と歴史的背景/「神に近づく」ための式典/死者の救いと生者の試練 5 ツナミの教説が生きられる日常的文脈 救いを約束するアチェの悲嘆の文脈/救いの教説との対比から明らかになるリアリティ 6 苦難の神義論とアチェを生きること
第3章 苦難の神義論から「救いの約束」論へ 1 マルティン・リーゼブロートの宗教論 2 実践的応答としての救いの約束論 3 ヴェーバーとリーゼブロートにとっての苦難の問題 4 苦難の神義論から救いの約束論へ
第4章 救いの約束のバリエーション 1 救いの約束論からみるアチェの苦難へのコーピング 2 「救いの約束」の両義性 3 東日本大震災の記念行事における救いの約束 石巻市の慰霊祭・追悼式の「無宗教」性/慰霊・追悼の場における救いの約束 4 災禍の儀礼の比較社会学の可能性
第5章 「無宗教」式の慰霊・追悼と「儀礼のエキスパート」 1 ディザスターリチュアル論における「儀礼のエキスパート」 2 南三陸町の概要と東日本大震災 3 町主催の慰霊祭と追悼式 4 アートとしての「きりこプロジェクト」 震災以前の「きりこプロジェクト」/震災以降の「きりこプロジェクト」 5 「南三陸町の海に思いを届けよう」 6 「記念の作業」と苦難のコレオグラフ
第6章 儀礼のディレクション(演出/方向)と「われわれ」のダイナミズム 1 非常な死への社会的応答 2 儀礼の変容を記述する 通時的観察からみる死者と生者の関係/長崎市原爆慰霊における政治性 3 長崎市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 現在の式典――生者に向けた平和のメッセージ/GHQ占領期――慰霊祭と文化祭のジレ ンマ/市と奉賛会の共催期――儀礼のなかの民族と政治/式典の拡大と多元化――視 点の転換 4 なぜ死者は生者からまなざされなくなったのか 5 「われわれ」という死のあり方 われわれの死の変遷/われわれの過去―現在―未来 6 儀礼によって位置づけられる死と生
終 章 遇うて空しく過ぐること勿れ――災禍の儀礼の社会学的諸特質
註 謝 辞 初出一覧 参考文献 索 引
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