南方熊楠のロンドン
国際学術雑誌と近代科学の進歩

序 章 雑誌の国の熊楠――英文論文三七六篇の意義と価値 1 膨大で手つかずの英文論文 2 英文論文から見えてくるもの 3 これまでの研究 4 研究者なのか、インフォーマントなのか 5 アマチュアとプロの学問空間 6 雑誌という世界
第T部 『ネイチャー』――近代科学を支えた雑誌という装置
第1章 ロンドンでの二つの「転換」――なぜ植物学から離れたのか 1 研究のスタート 2 植物学との出会い 3 アメリカ時代の植物学 4 ロンドンでの植物学 5 大英博物館へ 6 書籍の収集 おわりに
第2章 「東洋の星座」に秘められた戦略――古天文学と比較民族学 1 『ネイチャー』における熊楠の位置づけ 2 「東洋の星座」の伝説 3 『ネイチャー』と熊楠 4 『ネイチャー』の誌面構成 5 自由で開放的な議論のネットワーク 6 『ネイチャー』における天文学 おわりに
第3章 一九世紀末の『ネイチャー』を読む――先端科学と科学啓蒙のあいだ 1 『ネイチャー』第四八巻 2 『ネイチャー』第四八巻の投稿欄 3 質疑応答と議論 4 熊楠の論文における応答関係 おわりに
第4章 東洋への関心――日本、中国、インド 1 「動物の保護色に関する中国人の先駆的観察」 2 『ネイチャー』における東洋 3 日本への関心 4 インド、中国への関心 5 初期日本人の投稿 6 インドのカンハイヤラル おわりに
第5章 東洋の情報提供者から世界の探求者へ――そして熊楠の挫折 1 「東洋の専門家」からの変化 2 「マンドレイク」 3 ロスマ論争とシュレーゲル 4 比較文化の時代 5 熊楠の東西比較
第6章 『ネイチャー』からの撤退――変容する雑誌空間 1 熊楠の帰国と、帰国後の投稿 2 那智隠棲期以降 3 最後の投稿「古代の開頭手術」 4 熊楠にとっての『ネイチャー』
第U部 『ノーツ・アンド・クエリーズ』 ――ローカルな知とグローバルな知の接合・衝突する場
第7章 熊楠と『ノーツ・アンド・クエリーズ』――三四年間の投稿生活 1 熊楠と『N&Q』 2 『N&Q』への初投稿 3 「神跡考」ほか
第8章 質疑応答するアマチュア知識人たち――『ノーツ・アンド・クエリーズ』という世界 1 『N&Q』の創刊 2 誌面構成と投稿者たち 3 世界各地に広がった『N&Q』 4 熊楠の投稿 5 『N&Q』と日本民俗学の創始 おわりに
第9章 辞書の黄金時代――『オクスフォード英語大辞典』『エンサイクロペディア・ブリタニカ』を生みだした場所 1 大辞書、大事典の誕生 2 オビチュアリ 3 『オクスフォード英語大辞典』 4 マレーと『N&Q』 5 『N&Q』投稿者と『OED』 6 『イギリス人名事典』と『エンサイクロペディア・ブリタニカ』 7 大辞書、大事典の世界から見えてくるもの
第10章 『ノーツ・アンド・クエリーズ』的空間の世界展開――人文科学者たちの見はてぬ夢 1 『フラヘン・エン・メデデーリンゲン』 2 熊楠への寄稿依頼 3 「妻の腹に羊を描いた男」 4 『フラヘン』と『N&Q』 5 『N&Q』から派生した雑誌群 おわりに
第11章 熊楠は『ノーツ・アンド・クエリーズ』をいかに利用したか――論文執筆の目的 1 『N&Q』におけるクエリー 2 熊楠のクエリー 3 熊楠へのリプライ 4 邦文論文との関係 5 リプライの邦文論文への利用 おわりに
第12章 熊楠の西洋世界への貢献――その英文論文はいかに利用されたか 1 『N&Q』におけるクエリーの位置づけ 2 ダグラス・オーウェンと「丸」 3 ポストゲイト「戦争における野生動物の使用」 4 アッカーマン『ポピュラー・ファラシーズ』 おわりに
終 章 国際的知的空間における熊楠の役割と価値――新しい熊楠像へ 1 熊楠の英文論文 2 アマチュアが支えたイギリスの科学 3 週刊誌と科学の進歩 4 雑誌と科学 5 熊楠が国際学術空間ではたした役割 6 研究者とインフォーマント 7 英文論文から見える熊楠像 8 熊楠の論文の目的
注 あとがき 索引
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