脱芸術/脱資本主義論
来るべき〈幸福学〉のために
はじめに――若い人たちへ 1 「がんばる」という悪徳? 2 資本主義は本当に終わるのか? 3 超美学的文化のグローバリゼーション 4 新たな〈幸福学〉へ
第一部 脱芸術/脱資本主義 I 野村誠、ソロス、地域通貨――脱芸術/脱資本主義をめぐる三つのスケッチ 1 『わいわい音頭』――野村誠と老人たちの愉快な「作曲」 2 ジョージ・ソロスの「開かれた社会」――「超資本主義」の〈脱資本主義〉的運用? 3 地域通貨の挑戦――複属・複業的社会に向けて
II 来るべき〈幸福学〉へのノート――がんばらなくてもいい社会に向けて
III 嶋田美子――「女」とは? 「日本」とは? 「アイデンティティ」とは? 1 引き裂かれた「女」、そして関係の不均衡 「従軍慰安婦」/「現代日本女性」 マジック・ミラー――〈自己〉に幽閉する日本人 2 千人針、あるいは日本的マゾヒズム 「千人針」 日本的マゾヒズム――〈母性〉と「永遠なる少年」 日本の象徴系の両義性――サディズムへと豹変するマゾヒズム 3 脱アイデンティティ的コミュニケーションへ 『Sleeping with Your Enemy』――「日本人」の「女」であることの意味変容 アイデンティティから脱アイデンティティへ
IV 「死」の教室から「生」の教室へ――ボイスとシュタイナーの余白に
V ダムタイプ――愛=交通としての身体へ 1 現代の〈身体〉と二つの脅威 「情報汚染」 情報化によるエイズからの救済? 2 情報化にさらされる/に抗する〈身体〉 《036―Pleasure Life》 《Pleasure Life》 《pH》 3 《S/N》――脱芸術的実践へ パフォーマンス《S/N》――私は「OUT」している、ゆえに私はここにいる ARTとACTの狭間から
[インタビュー]ダムタイプとコラボレーション(古橋悌二/小山田徹/熊倉敬聡)
第二部 「芸術の死」から脱芸術へ I アドルノ、ブランショ、グリーンバーグ――批評におけるモダニズムというイデオロギー 1 三人の批評家を比較する 2 「近代芸術」の諸特徴 3 モダニズム的芸術観の三つの問題点 4 ブランショの転身
II コラボレーションの脱資本主義的可能性について――ロシア・アヴァンギャルドを中心に 1 コラボレーション=ポストモダン? 2 社会主義思想におけるコラボレーション=共働の意味 3 近代芸術の反資本主義性 4 ロシア・アヴァンギャルドにおけるコラボレーション――労働vs芸術の止場に向けて コラボレーションの自由意志的「組織化」 コラボレーションの脱資本主義的可能性
III 大竹伸朗――失われた近代を求めて 1 大竹の〈魅力〉の構造 2 ノスタルジーとしての〈近代〉、あるいは「東京」の悪魔祓い
IV IDEAL COPY 1 「シミュレーショニズム」の彼方へ 「シミュレーショニズム」の限界 システム・制度のexhibition 2 脱資本主義的芸術に向けて 芸術の三つの死、あるいは第四の道? トランス・メディア・ワーク Channel:FACE OF 10 ARTISTS あるいは脱走できなかった写真 Channel:OPEN あるいは「伝染」するIC Ch:Public Subscription――リゾームあるいは「開かれた連」 脱資本主義的芸術へ?
おわりに――初出ならびに謝辞
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